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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】ぺるとも-強さの原動力-

実績は数知れず

この記事を書くにあたり、その男が書いた自らの実績一覧を読み返していた。そこに書かれていたのは、多くの大会の名前と、”優勝”と”準優勝”の文字だった。大会によってルールも環境も異なるが、「関係ない」と言わんばかりにタイトルを獲得してきた。その強さは衰えるどころか、現在も加速している。現状維持という言葉すら相応しくない。

様々な大会や大喜利会で爆笑を取り続け、圧倒的なスピードで勝利を重ねてきたのが、本記事の主役、ぺるともである。

関東の大喜利プレイヤーであるぺるとも。高校生の時に生大喜利の世界に飛び込み、今日に至るまで、多くの大会で優勝してきた。その実力は誰もが認める所だろう。

一度でもぺるともの大喜利を見ると、他のプレイヤーとは強さのレベルが違うことがよく分かる。お題の最適解を導きだせる思考回路と、生み出した回答を見る者全員にズレなく伝えられる表現力を兼ね備えた、玄人を唸らせ新人が憧憬するプレイヤーである。また、回答の中により多くの人が”面白い”と感じる部分を忘れずに入れてくる技術の高さも、ぺるともの強さの一因だろう。

そんなぺるともは、自らが築いた実績に甘んじることなく大喜利大会への出場を繰り返し、貪欲な挑戦者であり続けようとする。また最近では、大喜利ライブへの出演が縁で、自分の名を冠したネタライブが行われるなど、予想外の方向で名前が広まりつつある。

大喜利に向き合い続け、界隈の先頭を走り続けてきたぺるともは、過去と今、そして未来について、何を語ってくれるのだろうか。非常に”わくわく”しながら、当日を迎えた。

2021年3月4日21時、インタビュー開始。

生大喜利デビューするまで

ZOOMを繋ぎ、軽く挨拶を交わす。筆者とぺるともが1対1で話す機会は、これまでほぼ無かった。お互い変な緊張を感じている中、まずは生大喜利デビュー以前の話を伺う。

ぺるともが初めて大喜利に触れたのは、「中学に入るか入らないかぐらい」の時期だった。「Amebaピグ」というオンラインゲームが全てのきっかけであり、原点である。そのゲーム内には現実世界を模したエリアが広がっており、場所ごとに「釣り」や「カジノ」などの様々なゲームで遊ぶことが出来た。ある時ぺるともがゲーム内で見つけたのが、「浅草」の「寄席」というエリアだった。

「そこで本当に笑点のセットみたいなのがあるんですよ。客席があって、舞台上に座布団が5,6個並んでて、司会席があって、チャットで司会の人がお題出して、座布団に並んでいる人たちが挙手して、司会の人が指名したら答えるみたいなのをやってて」

当時ペルーに住んでいたぺるともだったが、笑点の存在は知っていた。「笑点のやつじゃん」と驚きながらも、その場で何をしているのかは瞬時に理解出来た。

そこから、Amebaピグ内の大喜利コミュニティに入り浸る日々が2年近く続いた。「今日みんなで寄席に行きませんか」と仲間に呼びかけて、大喜利をする毎日だった。その後、当時Amebaに存在した「グルっぽ」という同じ趣味の者同士が交流できる、mixiのような機能を使って大喜利をするようになった。

そのグルっぽのコミュニティには、ネット大喜利の古参、悠祐ゆっけが参加していた。当時悠祐ゆっけは、自身がネット大喜利で出した回答をブログにまとめていた。ぺるともはそのブログを通じて、「大喜利PHP」や「ネタボケライフ」などの大喜利サイトの存在を知った。ただ、自分もそのサイトでボケてみようという考えにはならなかった。

しばらくAmeba内で大喜利を楽しんだ後、主戦場がニコニコ生放送に移る。「生主」がお題を出し、視聴者がコメントで答えるニコ生の大喜利に、ぺるともはのめり込んだ。

「基本的にお題出たら、時間内だったら無制限に回答出来るんですよ。そこで加点(の腕)を養われたんじゃないかと、なんとなく自分では思ってるんですけど」

一つでも自分の回答を生主に読まれたい、そんな思いでひたすら回答していた。まだ中学生の時の話である。

デビュー戦、そして初優勝

高校1年の9月、ぺるともは初めて生大喜利を体験した。ニコ生を通じて知り合った、東北の大喜利プレイヤーのウズマキガンキョウに誘われて、大喜利専門のスペース「喜利の箱」に行くことになったのだ。

元々人見知りだったが、”勇気”を出して、一歩を”フミ”だすことに決めた。道すがら、かなり緊張していたぺるともだったが、喜利の箱で行われていた大喜利初心者向けの会「ひなどり」に参加し、最後に行われた初心者のみのトーナメントでは、見事優勝することが出来た。初めて生大喜利をした時の感想を訊いてみる。

「笑い声が直であるっていうのがめちゃくちゃ感動したんですよね。目の前に人がいて、その人たちが笑ってるっていうのがめちゃくちゃ楽しくて」

ニコ生やAmebaとは大きく違う環境に、新鮮に驚いたことは、今もはっきりと覚えているようだ。

ひなどりのトーナメントで優勝した後、ネイノー(六角電波)から「第4回中央杯」の話を聞かされる。ネイノー主催のその大会は、ぺるともが初めて参加した、喜利の箱以外の場所で開かれる大喜利大会である。出場を決めたぺるともは、決勝トーナメントでオフィユカス、妙子、俺のランボルギーニ、タミフルロケットといった面々を倒し、見事優勝を決めた。華々しすぎるデビューである。

「新鮮に、『生大喜利楽しすぎる!』ってずっと思ってた時期です」

優勝の嬉しさよりも、生大喜利に対する楽しさが勝っていたと語ってくれた。”こころ”の底から大喜利を楽しむスタンスは、始めた当初から変わっていない。

印象的な大会

東京を拠点に大喜利をしながら、関西や東北の大会にも出場してきたぺるとも。勝利の喜びはもちろん、敗北の悔しさも味わってきた彼が、印象に残っている大会は何か。

「まずは戦ですね…」

関西で行われてきた大喜利の団体戦「戦-大喜利団体対抗戦-」。この大会で、ぺるともは2度優勝している。1度目の優勝は2017年、やまおとこ、ニューコンテニュー、蛇口捻流と組んだ「大喜利未来杯」というチームで出場した時のことだ。ぺるともにとって、初めての遠征だった。

「勝ち方もドラマチックというか、予選で僕と蛇口が点を取れて、本戦はニューコンテニューが勝ち抜き戦で全勝して決勝進出ってなったんですよ。で、決勝の大将がやまおとこさんで、ここで勝った方が優勝ってなった時に、めちゃくちゃウケてくれて優勝して、本当にめちゃくちゃ嬉しかったです」

2度目の優勝は、2019年に「始めの一歩」で出場した時。始めの一歩は大喜利初心者に向けられた会で、主催の虎猫と、2018年4月のその会でデビューしたジョンソンともゆき、ハシリドコロと共に出場した。前回とは違い、今回は戦の経験者として、チームを引っ張る立場にあった。

自身の活躍よりも、新人の二人にウケてもらいたいという思いで挑んでいたぺるとも。その思惑通り、ジョンソンともゆきとハシリドコロは、予選でポイントを獲得することが出来た。

「そこで言っちゃうなら、役目を果たしたじゃないですけど、自分の中で一個目標達成というか、苦い思いして帰って欲しくないなっていうのがあったから」

虎猫の記事にも書いた通り、本戦そして決勝に駒を進めた始めの一歩は、ピンチを迎えながらも優勝した。4人の活躍が合わさって、付いてきた結果である。

「2回目とか関係なくめちゃくちゃ嬉しかったです。優勝っていくらしても嬉しいからやっぱ。一回目(の戦)は自分が初心者側として出たけど、今度は親目線じゃないけど、経験者として率いていく側で出て優勝出来たから、これ以上のこと無いなっていう」

チーム戦で勝利した時の喜びは、個人戦のそれとはまた違うものがある。ちなみに、ぺるともが個人戦で印象に残っている大会は「ほっとけない学生芸人GP2019」の大喜利部門である。マイナビ学生の窓口が主催する本大会は、プロの芸人がMCや審査員を務め、優勝者には賞金10万円が贈られる。WEB予選を1位で通過し、客前で行う決勝へ進んだぺるともだったが、自分の中で勝てる見込みは全くなかった。

「”大喜利”の中では(自分は)面白いとされてるけど、果たして周りが全然”大喜利”じゃない人ってなった時に、どうなるんだろうっていうのがすごい不安があって」

他の出場者は、同じくWEB予選を勝ち抜いた、サークル等でお笑いの活動をしている大学生。普段出場している、大喜利界隈の中で開催される大会とは、環境が大きく異なるイレギュラーなイベントのため「勝てなさそう」とまで思っていた。

普段の自分の大喜利が、そのような場でウケるのか自信がなかったぺるともだったが、見事最終決戦に進出することが出来た。

タイマンとなる最終決戦。回答ごとに審査をして、審査員全員が旗を上げたら1ポイントが加算され、先に5ポイントを取った方が勝者となる。ぺるともも相手も、4ポイントまでたどり着いたものの、そこからお互い決定打を出せず、決着はなかなか付かなかった。

お題がどんどん変わっていく中、いよいよ用意されていた最後のお題が出された。その時ぺるともは、書きながら「これで勝てるかもしれない」と思った答えを出し、ポイントを獲得して優勝した。

「まさか優勝出来るとは。自分が大喜利の中でやってることが通用したじゃないですけど、こういう外の場になっても勝てるんだっていうのが、凄い自信に繋がりました」

EOTを獲るまで

2020年3月22日、高円寺Studio Kにて、大喜利大会「EOT-extreme oogiri tournament- 第6章」(通称:EOT)が開催された。一日に最大70人のプレイヤーが競い合ったこともあるこの大会に、ぺるともは第1章から全ての回に出場している。

記念すべき第1章が行われたのは、2017年3月。ライブハウスの印象が強いEOTだが、初回は足立区生涯学習センターの会議室で開催された。運営を担当するEOC(Extreme Oogiri Club)のメンバーは、ばらけつ、羊狩り、星野流人の3人のみ。ぺるともは始まった当初のEOTを、「運営の方とかお題とか、凄いちゃんとしてて、格式はありそうだなと。本気だ、と思って。すごい上からになっちゃうけど、面白い大会になるぞってのはなんとなく思ってました」と回想する。

予選が回答ごとに審査される加点式で、成績が上位の者が本戦に進める。本戦が他の出場者や観客に面白いと思われた方が勝ち上がる、印象式のタイマントーナメント。このEOTのルールは、初回からほとんど変わっていない。加点を得意とするぺるともは、毎回確実に予選を突破してきた。しかし、タッグ戦となる第4章で、警備員と共に準優勝した回を除くと、本戦トーナメントで一度も勝てていなかった。

「タッグだととりあえず勝てるっていう。個人になると本戦で負けるみたいなのが、ドーンと乗っちゃったような気がして。勝ちたいなーみたいなのは思ってて。でも自分の中で、一回本戦で勝ったら、良いとこまで行けるんじゃないかなぐらいには思ってたんですよ」

予選で高得点を獲得しても、本戦の一回戦で負けてしまうことを悩んでいたぺるとも。迎えた2020年3月開催の第6章に出場する際、密かに定めた目標があった。

EOTでは、どの出場者が通算何ポイント獲得したか、本戦進出経験のある出場者は誰かといったデータを、運営である星野流人がnoteにまとめ、誰でも閲覧出来るようになっている。

「予選でめちゃくちゃ点伸ばしたいって思ったんですよ」

あくまで「本戦で一勝する」「優勝する」というのを掲げた上で、これまでに出場した誰よりも予選でポイントを獲得して、新記録を出すことを狙った。

ぺるともが組み込まれたのは、後半のIブロック。手すり野郎やせんだいといった面々を相手に、回答に回答を重ね、不言実行の精神でポイントを荒稼ぎ。結果的に、一答で最大5ポイントを取れる形式で、3問通して67ポイントを獲得。歴代の記録を大幅に更新した。

しかし、「こんだけ点取ったんだから、さすがに勝たなきゃダメだろ」と、自分で出した結果が自分にプレッシャーをかけてしまっていた。いよいよ本戦1回戦が始まる。対戦相手は個性の強い大喜利をする、前半ブロック8位通過の椙田政高。椙田は予選でも、自分にしか出来ない戦法で、着実にポイントを取っていた。

加点ルールで8位だった出場者が1位の出場者を倒すことは、印象ルールなら充分あり得る。限られた人数が審査員を務める予選とは違い、本戦は会場にいる全員が審査を務める。ばらけつの合図で、面白かったと思う片方の出場者にのみ拍手をして、その大きさで競い合う。緊張しながら挑んだぺるともだったが、非常に大きな拍手を得て、ひとまず勝利することが出来た。「一回勝てば良いとこまで行けるかも」と、優勝の文字がちらついたが、2回戦の相手は、EOT個人戦2連覇中の六角電波だった。

タッグ戦を含めて、現時点でEOTの予選を全通しているのは、ぺるともと六角電波の二人のみ。EOTに限らず、数多くの大会で好成績を残してきた両者。お互い簡単に勝てないことはわかっていただろう。

六角電波との対戦が決まり、さらに緊張が増したぺるとも。そんな状態で出番を待っていた彼に六角電波は近付き、こう言った。

「初めて戦いますよね」

この一言が、緊張に拍車をかけた。何度も同じ場で大喜利をしていた二人だったが、1対1での対戦はしてこなかったのだ。自分との戦いを、六角電波は楽しみにしているんだろうと感じたとぺるともは語る。

対戦が始まった。開始から手を緩めることなく、高いクオリティの回答で拍手笑いを取り続ける両者。一歩も譲らない。手数、表現、視点、ありとあらゆる武器を使って勝ちに行く。再延長までもつれ込み、辛くも勝利したのはぺるとも。負けた六角電波にも、惜しみない拍手が贈られた。

この激闘の一部始終は、是非動画で目撃して欲しい。内容もさることながら、普通のアマチュア大喜利の動画では考えられない高評価の数に、きっと驚くだろう。

強敵を倒したぺるともだったが、優勝まであと2勝という所ですでに満身創痍だった。かなりヘトヘトの状態で、本戦初進出の手すり野郎に準決勝で勝利し、決勝に進出する。

決勝戦の相手は、これまで様々な大会で決勝進出経験のあるいしだ。いしだが優勝した「SENIOR OOGIRI CLASSICS"MASTER=PIECE"2019」という大会は、最初から最後まで印象審査で勝敗が決まる。それを含めて、いしだにタイマンで勝てるイメージは全く湧いていなかった。

ついに迎えた決勝。二人に出されたお題は、長文のかなり難しいお題。ぺるともは大きな疲労を抱えながらも、お題を捉えるためにしっかり読み込んでから、回答を出し続けた。

その時の状況や心境は、ほとんど覚えていないという。それだけギリギリの闘いだった。制限時間の3分が終わり、会場の判定を待つ。自分がすごくウケたという手ごたえも無く、いしだの回答もしっかりとは聞けていなかった。どう転ぶのか全く分からなかった状況で、自分への拍手の量がわずかにいしだを上回り、ぺるともは悲願の優勝を果たした。

「優勝ってなって本当に一安心というか。EOTで本戦勝ったことないってずっと苦しめられてたけど、勝って優勝出来たってなった時に、自分が『一回勝てたら良いとこまで行けるんじゃないか』って思ってたことが間違ってなかったというか。そういうのが凄い自信になったじゃないですけど、EOTでまさか優勝出来るとはなって。ずっと嬉しいですね」

本戦で一回勝つどころか、優勝まで出来た。しかし、それでもぺるともは、まだ満足というわけにはいかない。また開催された時には、再び全力で優勝を狙う。EOTに対する熱意は、燃え続ける一方だ。

またすぐにやりたくなった

30戦17勝12敗1分。

これは、2019年5月に池袋GEKIBAで行われた「ぺるとも30人組手」の最終的な結果である。ぺるとも一人が30人の挑戦者と、3分1問(延長の場合もあり)のタイマン勝負をし続ける、他では見られない状況のイベントだ。

元々この組手は、2018年8月に「冬の鬼30人組手」が開催されたのが最初である。このイベントには、ぺるともはチリ旅行のため出場も観戦も”叶”わなかったので、「そんなイベントがあるんだ」程度に思っていたが、まさか自分が挑戦を受ける側になるとは考えもしなかった。

主催のばらけつから組手のオファーを受けて、承諾したものの、ぺるともには一つ懸念材料があった。

「(挑戦者や観客が)集まるかすごい不安でしたね。俺とタイマンで戦うってだけじゃないですか言っちゃうと。一戦やって、エキシビションやって、後は基本ずっと観るだけだから。普通の大喜利会なんかより全然やれるお題も少ないし。ほとんどずっと俺がやってるだけだから、挑戦者も観覧の人も埋まるとは思わなかったというか」

人を呼べるのかと心配していたが、結果的に抽選が行われるほど挑戦者のエントリーがあった。すり身や博士の生い立ちなど、関東圏以外の地域からも挑戦者がやって来たことから分かるように、多くのプレイヤーが「出たい」と思えるイベントだった。

30人の挑戦者のうち、25人が一般エントリーで、5人は運営がオファーした刺客である。さらに、5人のうち2人の刺客は、当日までシークレットとなっていた。

イベント当日。6人目の挑戦者として登場したのは、シークレット刺客の一人、冬の鬼だった。組手経験者でもある冬の鬼は、対戦前ぺるともに「むっちゃくちゃ疲れるけど2日後またやりたくなりますよ」と声をかけた。ぺるともにとって印象深い一言となった。

「確かにまたすぐやりたくなったんですよ。楽しいなーと思って」

またやりたい理由はそれだけではない。イベントの最後に登場した刺客は、普段から仲の良い警備員だった。警備員とは、ライブの企画等で対戦して引き分けた経験はあるが、大会等で本格的に戦ったことは無かった。

初めてちゃんとした形式で戦う警備員に対し、負けたくないと思っていたが、「警備員が警備員らしいことして」ぺるともは負けてしまった。その悔しさが後押しして、「またすぐやりたい」と思ったのだ。

「もちろん疲れましたけど、また機会あるなら絶対やりたいなって思いますね。あんなこと無いから、30人とやるなんて」

またぺるともは、「いろんな人の30人組手も見たい」と語る。「改めてやっぱ人が30人と戦うのを観たいなって思うし。本当にばらけつさん凄いなって思うのが、お客さんを楽しませる側としてわくわくさせてくれるというか。刺客のシステムとかも、めちゃくちゃわくわくするなと思って」

30人と連続で戦った者のみにわかる話から、ばらけつの企画力の凄さに着地した。ぺるとも30人組手が成功に終わったのは、最後までペースが乱れなかったぺるともの実力はもちろん、運営の力も大きく起因しているだろう。

「タイマンに苦手意識があったんですけど、あれのおかげで凄い楽しくやれたというか。勝ち越せたのもすごい嬉しかったし、『タイマン意外と出来るじゃん』ってのも発見出来たし。あと、30人やれるしまだまだやりたいって思えてるのも嬉しかったですね。30人終わったら『もうしばらく大喜利いいや』ってなりそうだなって思ったんですけど、全然まだまだやりたいと思うし、2回目3回目やりたいなと思えたから、まだまだ大喜利好きなんだなっていうのが再確認出来ましたね」

ライブ出演の話

関東の一部の大喜利プレイヤーには、プロの芸人に混じってライブに出演する機会がたまにある。マセキ芸能社所属のピン芸人、寺田寛明主催の企画大喜利ライブ「大喜利千景」(通称:千景)には、これまで様々な大喜利プレイヤーが出演してきた。

生大喜利を始めた当初のぺるともも、大喜利千景の存在は知っていた。「選ばれし者が出させてもらえるライブ」という印象を千景には抱いていた。「オオギリダイバー」という大会で優勝したタイミングで、ぺるともに出演のオファーが来た。

「めちゃくちゃ嬉しくて、出て、本当に全くウケなかったんですよ(笑)」

大喜利ライブへの出演経験がほとんど無かったこともあり、普段の面白い自分を出すことが出来なかった。もう呼ばれないだろうと思っていたが、再び出演のオファーが来た。

「見限られなくて良かった~と思って、出て、一回目よりひどかったんですよ(笑)」

2回目の千景出演でも、ウケることが出来なかった。その後しばらくオファーは無かったが、ある時急遽出られなくなった出演者の代役として、ぺるともが出演することになった。

「(3回目)出た時に、少なからず1,2回目よりはすごいウケた感覚があって、ホッとしました」

それが要因かどうかははっきりとは分からないが、その後ぺるともは千景に4回目の出演を果たす。そこで、かなり大きな笑いを取ることに成功する。それを境に、ほぼレギュラーメンバーのような扱いを受けるようになる。芸人がメインのライブにも、ごく普通の素人のぺるともが呼ばれるという謎の現象も発生した。

さらに、主催の寺田寛明に気に入られたのか、「ぺるともNight」「ぺるともKingdom」「閉運!ぺるとも神社」といった名前のライブが開催されるようになる。この事態を、本人はどう思っているのか。

「千景でふざけすぎだろと思ってるんですけど(笑)ありがたいことに、お笑いファンのはずのお客さんとかにもちょっと認知してもらったり、何が起きてるのか自分でもわかんないんですよ、本当に(笑)」

ライブに出演しているプレイヤーはたくさんいるが、ぺるとものようなポジションの人間は他にいない。いつの間にやら名が知られるようになった彼の特殊な活躍に、これからも目が離せない。

この人に驚いた

ここまで主にぺるとも自身のトピックスを訊いてきたが、ここからは他のプレイヤーの話である。ぺるともがこれまでに大喜利を見て、「面白い」「凄い」と思った人物を挙げてもらう。

「sudoさんが自分は一番好きかもしれないな」

ネット大喜利を主戦場としていた、ベテランのsudo。ぺるとも30人組手にも、二人目のシークレットの刺客として出場していた。

「言葉の選び方とかが、全然難しくないんですよ。凝った言い回しとか、凝った表現とか、知らない難しい言葉使ったりっていうのがほとんどないのに、その組み合わせが全部新鮮なんですよ。全部の回答を聞いても、聞いたことないんですよ。ずっと新しいなって思えるんで」

また、もう一人ベテランのプレイヤーで名前が出たのが、この話題で3度目の登場となる俺のランボルギーニ。ここまで来ると、ただただひれ伏すのみである。虎猫が「生大喜利の塊のような人」だと評した俺のランボルギーニの凄さを、ぺるともが再確認する場面があった。それは、蛇口捻流と共同で主催している、約12時間大喜利をやり続ける「あたおか大喜利会」でのこと。

「休憩を挟みつつ、朝の9時から夜の9時45分までやるんですけど、俺ランさんが最初から最後までずっと面白かったんですよ。わけがわかんなくて(笑)。ずっと面白くて、何なんだこの人って思って。元々面白いのはわかってたし、絵描いたりとか、声出したりとか、ボードに「!」っていっぱい書いたりとか色んなことするけど、12時間やって、12時間ずっと面白かったっていうのがすっごい衝撃で」

ありとあらゆる大喜利会で、圧倒的な力業や離れ業で爆笑を取り続けてきた、未だ衰え知らずの俺のランボルギーニ。ぺるともに「バケモノ」と言わしめるだけのパワーがある。

「あと…いっぱい居すぎて難しいですね……ダンジョンのTさん」

関西を中心に活動するダンジョンのT。日本最大級の大喜利大会「大喜利天下一武道会」の第16回で、4位に入賞している。ぺるともは、ダンジョンのTの表現力の部分を高く評価している。

「(大喜利)未来杯の、お父さんスイッチのお題がすごい面白くて。言い方とか表現とかが、こんな風に言いたいなみたいな。『こういうセリフがあったらこう言いたい』みたいなことが一番ストレートでめちゃくちゃ面白くて。そこから凄いめちゃくちゃ好きになって、一緒になると見ちゃうんですよね。わくわくするんで、どういう回答するんだろうと思って」

そして、ぺるともが「ああいう人が一人もいない」と評するのは、関東の若手プレイヤー、ジャスミンである。

2019年4月の「始めの一歩」で生大喜利デビューしたジャスミン。お題という制限の中で、限界まで”自分が思う面白いこと”を炸裂させるそのスタイルは、他の誰とも被らないし、被る気配すらない。

「丁度いないところって言うんですか。それ故にめっちゃスベったりもしてるけど、それもジャスミンの魅力だし、面白いですね。スベっても絵になる人って凄い羨ましいんですよ。スベった時に『スベってるじゃん』ってなって、それが面白いになる人って凄い貴重だし、そういう人ってめちゃくちゃライブ映えすると思ってて。そういうのを含めるとジャスミンの大喜利は凄い魅力的だなって」

この文章を読んで、今後のジャスミンの大喜利に多少なりとも影響が出てしまわないか不安に思ったが、要らぬ心配だろう。どれだけ評価されても、ジャスミンはジャスミンを貫き通し、何も変わらないのはほぼ確定事項のようなものである。

変わらないモチベーション

これまでぺるともが様々な大会で優勝してきたことは、すでにお分かり頂けただろう。どんなルールも乗りこなし、どんなお題でも笑いを取り、どんな相手にも食らいついて、勝利をもぎ取ってきた。ぺるともが挑戦を続ける理由は一体何か。何をモチベーションにしているのか。改めて本人に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「根底は多分、全部”ウケたい”なんですよ」

それは極めて単純な願望だった。最近始めた新人も、戦い続けるベテランも、大喜利をする者なら誰しもが思っている「ウケたい」「面白いと思われたい」という気持ちを燃料にして、ぺるともは大喜利を続けている。

「ウケなくて勝つよりも、ウケて負ける方が良いですね。面白いと思われたいです。それは最初から変わってないですね」

高校生の時、喜利の箱で初めて体験した、大喜利でウケる喜び。その時から、モチベーションは変わっていない。勝負の場面に何度も身を投じてきたが、勝つことよりも、ウケることを念頭に置いて、ボードにペンを走らせてきた。

「やっぱ大喜利を楽しみたいってのが一番最初にあるんで、勝っても負けても(気にしない)って感じでやってます」

おわりに

今回のインタビューで、ぺるともの強さの秘密を少しでも理解出来たらと思っていた。強いて言うならば、大喜利を始めた当初から、目標がぶれていないということが、強さに直結していると考えられるだろう。

2020年4月から、会議室を借りて会を開いたり、ライブハウスで大会を開催したりといった、普段から当たり前にやっていたことがほぼ不可能となってしまった。このような状況で、スプレッドシートを使用したオンラインの大喜利会が行われるようになり、多くの人が趣向を凝らした会を開いてきた。

ちなみに、ぺるともも「ツイートお題会」といった大喜利会をオンラインで開催している。誰かのツイートをそのまま大喜利のお題として使用するその会は、ぺるとも独自の発想から生まれたものだ。

ぺるともが抱き続けている「ウケたい」という気持ちは、生大喜利でもオンラインでも変わらない。楽しむことを前提としているからこそ、”アキ”ることなく続けられる。「メンタルはそんなに強いわけではない」と語っていたが、その考え方は、すぐにでも真似出来るだろう。「ウケたい」という気持ちは、大喜利プレイヤーを何よりも強くさせる。そんな当たり前のことを気付かされた2時間のインタビューだった。

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