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【エッセイ】影響を受けるって何?

先日友人から「千原ジュニアに結構影響受けてるよね」と言われた。私が毎週金曜日に更新している、近況を箇条書きにする「近況日記」にて、個人的に気になったことをよく書いている様が、日常の些細なことをトークに昇華させている千原ジュニアみたいだという意味のニュアンスだった。確かに千原ジュニアの著書を繰り返し読んだことはあるし、「にけつッ!!」や「すべらない話」も何度も観たことはあるので、自覚はないが影響を受けているのかもしれない。

そもそも、誰かからの影響って自覚出来るものなのだろうか。たとえば、私が大喜利を趣味でしている人にインタビューをして、ルポルタージュを書き始めたのは、水道橋博士による「藝人春秋」という書籍からの影響であることは断言できる。語彙力などは博士の足元にも及ばないが、人を一人取り上げてルポを書くという構成は、ほぼほぼ同じであるからだ。

しかし、誰かの影響で何かを始めたエピソードは、これくらいしかない。

とはいえ、私はこれまで数々の人の著書を読んで、映画を観て、ラジオやポッドキャストを通じてトークを聴いて、漫才やコントなどのネタにふれてきた。はっきり覚えているものも、記憶していないものもあるが、それら全てが血肉になっていると言っても過言ではない。私は小説は書かないし、楽器を演奏しないが、読んだ小説や聴いた音楽から影響を受けていることだってあるはずだと思う。

ただ、私が人から影響を受けて、それが最も現れているのは、「文体」とか「話し方」ではなく「マインド」や「考え方」である。「尊敬する人がこんな行動を起こしたから、自分もこう動いた」「周りの人からこんなことを学んだ」ということが多い。それらは目に見えないので、はっきりと「影響を受けた」とは言い難いかもしれないが、自分の中では間違いなく、「他人からの影響」である。

人からの影響というものは、本来は目に見えないものなのかもしれない。ちなみに、千原ジュニアは以前、「芸人の芸風を見れば『誰々がルーツだな』となんとなくわかるが、野性爆弾だけは突然変異」みたいなことを言っていた気がする。

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