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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】ウォーリー-不動の三本柱-

はじめに

「赤黄色!」

主催のoとMCの羊狩りが同時に叫び、2022年4月10日に開催された大喜利大会「EOT-extreme oogiri tournament- 第8章」の優勝者が決まった。およそ2年ぶりに行われたEOTの個人戦は、これまで出場経験のなかった赤黄色の優勝で幕を閉じた。

赤黄色とタルタルソースで行われた決勝戦では、勝ち進めなかった68名の出場者の悔しさを吹き飛ばすかのように、何度も何度も爆笑が起こり続けていた。広島から東京まで遠征し、誇りにも傷にもならなかった結果を持ち帰ることになった私も、そのすさまじい光景を目の当たりにして、勝手に幸せな気持ちになっていた。

その後私は、一部の出場者で行われた打ち上げに参加する。その席で、とある男にこのような一言を受けた。

「ナカノさん!俺にもインタビューしてください!」

突然の直談判をしてきたのは、先ほどまで行われていた第8章で、ベスト16という成績を残したウォーリーだった。ウォーリーは、関西を拠点に大喜利やコント、社会人落語を行っている、多才で活動的な人物である。

そのセリフを言われた瞬間、私が何と返したのかは覚えていないが、一瞬の間にウォーリーの経歴や実績、トピックスを頭の中で思い返していた。大喜利、アマチュアお笑い、社会人落語、三つの顔で結果を残し続ける彼を掘り下げることは、とても面白そうだと思った。

その飲み会では、具体的なインタビューの日程までは決まらなかったが、面と向かって言われた以上、実現するしか選択肢はない。前回の記事の禁生大喜利部の座談会を行う数日前、TwitterのDMで連絡をして、日程を決めた。

現在30代半ばにして、様々な経験を積んできたウォーリー。彼を掘り下げた先に待っているのは、一体どんな言葉なのだろうか。

2022年7月22日21時、インタビュー開始。

落研に入部

ウォーリーは、1987年生まれの神戸市出身。元々お笑いが好きだった彼は、2006年に「漫才が見たい」「どうしても吉本の劇場に通いたい」という理由で、大阪の大学に進学する。その大学で、落語研究部に入部することになる。ちなみに、漫才やコントがメインのお笑いサークルは存在せず、落研の部員が行っていたのは主に古典落語だった。

「銀杏亭魚折」の高座名で、しばらく落語の活動に励んでいたが、想像以上に、いわゆる世間一般が思う「ネタ番組」「芸人さんのライブ」で行われているような「お笑い」の活動が出来なかった。そこで、3年生の時に、落研の部室の隣にあった練習部屋を借り、身内を呼んで、一人で行うコントを5,6本披露する単独ライブを行った。それが現在まで続く「どくさいスイッチ企画」の始まりである。

「その時に、今になって思えばですけど、まな!さんが観に来てくれてました。まな!さんて大学は別なんですけど落研なんですよ。そこで『面白かったです』って言ってもらった記憶があります」

大学4年生の2月。卒業間際のこの時期に、ウォーリーの人生において重要な出来事が訪れる。岐阜県で行われる大学生の落語の全国大会「策伝大賞」に出場し、見事優勝を果たしたのだ。ウォーリーが優勝したのは、第7回。193名が出場した予選を勝ち抜き、最優秀賞である策伝大賞に選ばれた。

「この優勝が無かったら、今何もやってないです。策伝大賞で優勝したから、大学生活も良かったねってなったし、落語続けようかなと」

社会人落語

大学を卒業し、社会人になっても落語を続けることにしたウォーリー。一体どのような形で落語を披露していたのか。

当時、別の大学の卒業生が、社会人落語を行う団体を立ち上げようとしていた。「午後の小噺」と銘打たれたその団体に、ウォーリーも入らないかと声がかかった。

「要は、落語を一人でやるのはなかなかしんどいので。3,4人集まると『寄席』って形で公演が打てるんですよ。そういう感じの団体を作ろうとしてる人で」

宝塚南口駅周辺を拠点に、社会人落語の定期公演を行っていた。また、それ以外にも、老人ホームから余興の依頼を受けるなど、様々な場で落語を披露していた。

「この辺から、新作落語を作り始めるんですよ。ずっとここまで古典落語ばっかりやってたんですけど、自分で作ろうかなと思って、作り始めるんですよ」

ここまで細々と落語の活動を続けていたウォーリーだったが、2013年に、再び落語の大会に出場する。「第5回社会人落語日本一決定戦」に、26歳の時に出場し、「スライダー課長」という創作落語を披露して、見事優勝を果たした。「策伝大賞」との二冠である。

「これが結構デカくて、全国から社会人が集まるから、本当に老若男女なんですよ。で、大体社会人落語ってプレイヤーの年齢が高いんですよ。40~50歳くらいから始める人が多くて。そこに20代で出て、決勝行っただけでも結構話題になって。そこで優勝したんで、すっごいチヤホヤされたんですよこの時(笑)」

大喜利にハマるまで

落語の活動に関しては、順風満帆だった。さらなる飛躍を目指したウォーリーは、2014年に大阪で開かれた大喜利大会「第6回大喜利鴨川杯」に出場する。これまで時系列順に活動を書いてきたが、この章では「ウォーリーと大喜利」に着目して話を進めていきたいと思う。

鴨川杯は、関西でかつて開かれていた大規模な大会で、敗退したら復活のチャンスはほぼ残されていないシビアなルールで競い合う。YouTubeの動画で大会の存在を知ったウォーリーは「落語は獲ったから次は大喜利だ。今俺面白いからいけるだろ」というモチベーションで挑み、そのままの勢いで見事に好成績を残し…というわけにはいかず、見事に玉砕する。

「自分の中でも『やったぞ!』みたいな気はなかったし、そこから『よし、これからは大喜利だ!』っていう感じも全然無かったです。どんどんハマっていって、みたいなのは無かったです」

その後数年間は、大喜利に心が移ることなく、ひたすら落語に専念する。風向きが変わるのは、2019年。関東の大喜利プレイヤーである、俺スナが大阪で大喜利ライブ「扇雀」を主催したことがきっかけだった。

「(このライブが)エントリーを募集してますと。違う大学の後輩から『これ出たいんですけど、一人で出るの怖いから一緒に出ませんか』って言われて、じゃあ是非っていうので出たんですよ。で、ここで初めて大喜利でめっちゃウケたんですよ」

そのイベントで出会った関西のプレイヤーに、回答を褒められた。これを機に、様々な大喜利イベントに参加するようになる。

2020年3月。新型コロナウイルスが生活を捻じ曲げ始めた時期。ここで登場するのが、スプレッドシートを使用したオンラインでの大喜利である。スプレッドシート大喜利のシステムを使用して、これまで様々な人物が趣向を凝らした大喜利会をリモートで開いてきた。ウォーリーが初めてスプレッドシート大喜利に触れたのは2020年の5月だが、のめり込むきっかけとなったのは、関東のプレイヤーのるるはんが考案した「おはよう大喜利」だ。

2020年8月から始まったおはよう大喜利。現在は土曜日の朝8時からオンラインで集まって大喜利を行う会となっているが、開始当初はそれに加えて、水曜日の6時台にも会が開かれていた。その時間帯にもウォーリーは参加していた。

「むっちゃおもろいやんこれってなって。一番斬新だったのは『練習しなくて良いじゃん』っていう(笑)僕2006年からずっと”練習”してるんですよ!台本作って練習してっていうのをずっとやってたから、練習せずに文字パンと出して、笑ってもらって褒めてもらったりすることあんの?ってなって。そこで完全にハマりましたね」

月日が流れ、関西の大喜利会も徐々に動き出していく。現在「グリエルシャーベット」というアマチュアコンビで活動する家本とうふがライブハウスで主催していた「家本とうふの大喜利会」や、木曜屋とポンコツさん太郎が定期的に開催している「オオギリバッティングセンター」に参加するようになる。

大喜利大会にも少しずつ出場する。大阪で不定期に開催されている1対1のトーナメント戦「一撃」の第2回では準優勝、ゴハが主催した「『N』ショート・サーキット②」という大会では優勝という成績を残した。大喜利も軌道に乗り始めた時期である。

どくさいスイッチ企画、再始動

大喜利の活動は上記の通りだが、それ以外のお笑いの活動はどうしていたのか。話は2020年3月頃に戻る。

社会人落語の活動を続けていたが、「午後の小噺」の公演を打とうにも、年配者を一か所に集める落語の寄席は、クラスターが発生した際のリスクが高い。賢明な判断で、一旦落語の活動はストップすることになった。

人前に立って芸を披露する活動が、一つ無くなってしまったウォーリー。どうしようかと悩んだ時に頭に浮かんだのが、学生時代にサークルの練習部屋で、ほぼ身内だけの単独公演を行っていたどくさいスイッチ企画である。

関西には、アマチュアでお笑い活動を行っている人なら誰でも出演できる「ブンブンライブ」というライブが存在する。元々、ブンブンライブ主催で、アマチュアお笑いのコンテスト「ブンブンチャンプ2020」が開催される予定だったが、コロナの影響で中止になった。代わりに行われたのが、ネタの動画で面白さを競い合う「ウェブンブンチャンプ2020」だった。

この大会に、どくさいスイッチ企画として動画を投稿した。優勝こそ出来なかったが、審査員には好評だった。そして、同じく出場者だった、当時別のコンビを組んでいた家本とうふの目に留まり、主催のネタライブ「MAIN THEME」への出演オファーを受ける。

「ここで初めて、アマチュアでお笑いやってる人たちいっぱいいるんだっていうことを知るんですよ。演者ってこんなにいるんだって」

翌年6月、「ブンブンチャンプ2021」が開催された。今回は動画審査ではなく、いわゆる普通のライブ形式でネタのコンテストを行う。全国から猛者が集まる中、決勝に進んだのは、名古屋の教師と塾講師のコンビ「ガーベラガーデン」、東京を中心にピンでアマチュアお笑いの活動を行っている「Xe(キセノン)」、そしてどくさいスイッチ企画だ。

予選を3位で勝ち進んだどくさいスイッチ企画だったが、決勝で二組をまくる形で優勝した。「これがデカかったですね!」と語気強めに振り返るウォーリー。

「『俺ブンブンチャンプ優勝できんじゃん、頑張ろう!』と思えたんですよね」

魚折祭

次は落語の活動の話に戻る。2020年9月、神戸の「喜楽館」という劇場を借りて、落語会を開催した。本来キャパの大きい会場だったが、感染対策として席を間引いた結果、80人の来場者の前で落語を披露することに。そのイベントを打ったことで、「一個完成した感じ」はあったとのこと。

ひとまず大きい落語会を無事に完遂することは出来た。ここで「銀杏亭魚折としてはクローズかな」とまで思っていた。

しかし、とある人物の一言をきっかけに、落語と大喜利のイベント「魚折祭」を2021年7月に東京で開催する。その経緯はこうだ。

「馬肉かなめから『ウォーリーさん15周年でしょ』と言われて。『なんかイベントやりませんか』みたいなので、新宿ブリーカーっていう劇場を借りてくれて」

東京の大学の落研出身で、お笑いライブへの出演経験も多数ある馬肉かなめの誘いで、再び落語会を行うことになった。落語の合間に設けられた大喜利コーナーには、関東の大喜利プレイヤーであるわんだーや東堂、虎猫や俺スナなどが出演した。

「『東京でイベントをやるよ』ってなった時に、大阪を拠点に活動してるから集客が見込めないかなって思ってたんですけど、大喜利の人がめっちゃ来てくれて。めっちゃありがたかったですね。そこで凄いびっくりしたんですよ、『俺一年でこんな知り合い増えたんだ』と思って(笑)」

準々決勝進出

ここからは、2022年の話に突入する。

アマチュアでお笑いを行っている人達と深く関わるようになって、普段のライブ出演などの活動とは別に、「M-1グランプリ」「キングオブコント」などの、アマチュアもプロも出場できる賞レースに出ている人が多いことに気付く。それに触発された結果、どくさいスイッチ企画として、ピン芸の日本一を決める大会「R-1グランプリ2022」に出場した。

ウォーリーは、過去にもR-1グランプリに出場したことはあった。2回戦まで進んだ経験はあるものの、そこまで「ウケた」思い出としては残っていない。

8年ぶりに出場を決め、まずは最低目標だった1回戦突破を決める。次に迎えた2回戦。過去の出場では、毎回ここで苦戦してきた。緊張しながら挑んだ結果、「自分が受けた2回戦史上では一番」ウケた。突破している自信は無かったが、とりあえず笑いを獲ることは出来た。ここで終わっても満足の出来だったが、結果的には勝ち進み、準々決勝へと進出した。

「上に行けば行くほど見えるものがいっぱい増えてくるから、それは新鮮でしたね。(自分は)お笑い好きでもあるんで、M-1の動画とかめっちゃ観てるタイプの人間なので。R-1の準々決勝は、普通に『楽屋にさや香の新山さんいる!』みたいなことも起きて。すっごい緊張しましたね。」

あの体験をもう一度味わえるなら、次回も出るつもりでいるそうだ。

単独ライブ

R-1グランプリの準々決勝があったのは、2022年2月3日。その翌々日に、どくさいスイッチ企画の第1回単独ライブ「どうせなにもなくなる」を行うという割と無茶苦茶なスケジュールでウォーリーは動いていた。

ちょうどこの時期、アマチュアのコンビやピン芸人が、立て続けに単独ライブやツーマンライブを行っていた。一度のライブで複数のネタを披露する単独ライブを何本か観て、「自分もしてみたい」と憧れを持った。基本的には、周りの影響で自分も動き出すことが多いとのこと。

最初に決めたのは「一人でコントを8本行う」こと。3ヶ月かけて8本のネタを揃えて、その後はひたすら練習。”機械”になったかのように、繰り返しネタを体に叩き込んだ。

「今後もやれるネタを8本やろうっていう思いが結構あって。そこでやったネタを使って、ライブに出させてもらっている感じはあります。第1回の単独が、お客さんも来てもらったし、”成功”と言って良い終わり方をしたので、そこで『どくさいスイッチ企画頑張ろうかな』っていう気にはなりました」

憧れのEOT

2022年3月13日、EOT第7章が開催された。2020年3月以来行われていなかったEOT。基本的に個人戦の大会だが、第7章は二人一組で挑むタッグ戦だった。

大喜利にハマってから、過去の大会の動画を観ていたウォーリー。もちろんEOTも視聴しており、「いつか自分も出たい」という思いを募らせていた。そこにこのEOT再始動の吉報。東京で行われる大会だが、関西との物理的な距離は、出ない理由にはならなかった。同じく関西のプレイヤーであり、この連載を同人誌にする際に、個人的にデザインの面でお世話になった島と「野球少女」というタッグを組み、エントリーを決めた。

ウォーリーも島も、東京の大喜利大会に出るのは初めてだった。周りのほとんどが関東勢の中、普段の何倍も緊張していた二人。”いい塩梅”で挑むことは出来なかった。

「二人ともガッチガチで(笑)僕も動画で自分のやつ見直したんですけど、僕の良くない所が全部出てて、そんなウケてないのに自分だけ凄い笑ってるし、浅い回答をたくさん出してたって感じでした」

慣れない場で奮闘するも、本戦進出などの輝かしい記録は残せなかった。翌月の10日に、今度は個人戦の第8章が開催されることになっていたが、第7章で悔しい思いをしたウォーリーは、絶対に出るつもりでいた。

EOTの個人戦では、出場者一人一人にo考案のキャッチフレーズが付けられ、本戦進出の際には、羊狩り考案の前口上とともに舞台に上がる。ウォーリーは、EOTのその部分に憧れていた。

「あれ凄い好きなんですよ。oさんが紙引いてキャッチフレーズと名前読み上げるだけの動画(ブロック分け抽選の動画)をずっと観てたんで。羊狩りさんの『Hブロックどうなってしまうんだ!』みたいなのを聞くのがすごい好きで、それが生で見られるってだけでもだいぶ興奮してて。『俺何て言われるんだろう』って凄い楽しみにしてて」

自分のキャッチフレーズが何になるか、全く予想できなかった。抽選の結果、Fブロックに組み込まれたウォーリー。彼につけられたキャッチフレーズは「カミソリスライダー」。「社会人落語日本一決定戦」で優勝した際の創作落語「スライダー課長」の要素を拾ったものだった。

自分の大きな要素を知られていたことに感動しているうちに、Fブロックの他のメンバーが決まった。ぺるとも、風呂つんく、千代園ジャンクション、隅に楽譜、きりまる、kubodiと同じブロックで競い合うことになったウォーリーは、興奮が止まらなかった。特に、第6章優勝者であり、第1章から皆勤のぺるともに関しては、特別な思いがあった。

「ぺるともさんと大喜利やれるなんて夢みたいでしたね。同じブロックでぺるともさんいて、マジで俺EOTにいるんだと思って凄い嬉しかったんですよ」

EOTの予選のルールは、一答ごとに審査されて、その都度点数が動く加点式。一定以上のクオリティの回答を、とにかくたくさん出さなければならない。第7章の時の不調だった自分は、舞台上にはもういなかった。結果的に、3問で50ポイントを獲得し、後半ブロック3位で予選を通過した。

本戦は、前半ブロックの上位8名と、後半ブロックの上位8名を合わせた、16名(8位が同率で複数名いた場合は例外あり)で競い合うトーナメントだ。ウォーリーの対戦相手は、第1章の王者であり、数々の実績を持つ蛇口捻流。

「(対戦が決まった時は)めっちゃ嬉しかったです。(蛇口さんは)スーパースターだから、自分の中で。『あの蛇口捻流さんと?僕が?』みたいな」

憧れの相手と真正面からぶつかり合った結果、惜しくも敗北してしまう。それでも、楽しい思い出として、心に残り続けている。

この人の大喜利に驚いた

この章では、自分が思う凄い大喜利をするプレイヤーを、ウォーリー目線で語ってもらう。彼の目から見て、驚いたプレイヤーは3人いる。

「まず、脳髄筋肉さん。ずっと関西で大喜利やってるうえで憧れの人ではあるんですけど、はっきり大喜利で驚いたやつが一回あって」

ウォーリーが驚愕したのは、とあるお笑いのイベントでの話。大喜利が苦手だと自覚している芸人さんが、大喜利が強い人にアドバイスを受ける企画があった。脳髄筋肉は、アマチュアでありながら、大喜利を教える側で登場した。

まず、大喜利が得意ではない人の回答を見て、脳髄筋肉が、「どこがよくないか」「こうしたらウケるのでは」と、柔らかい口調で助言を行う。

「で、満を持して『では、脳髄さんに答えていただきましょう!』って言われて答えたら、無茶苦茶ウケたんですよ(笑)凄すぎると思って。俺こんなことでけへんってなったんです」

2人目は、永久保存。彼女はウォーリーよりも大喜利歴は長く、大会での優勝経験もある。数年前からコンビでのネタの活動も行っており、ウォーリーにとって「よくしてもらっている」先輩の一人だ。当然、大喜利の実力も、以前から知っていたが。

「EOT第7章で死ぬほどウケてたじゃないですか。あれ見てめっちゃ驚きましたね。『この人こんな強いんや』って思って。あの日の保存さんはめちゃくちゃ面白かったですね。良さが全部出た状態で勝ってたから」

第7章で吉永とタッグを組み、関東の精鋭をなぎ倒して、準優勝まで上り詰めた永久保存。その光景を見て、改めて凄さを再認識した。

「3人目が、六角電波さんです。まずおもろすぎる。数出してあのクオリティがずっと出せてるのがヤバイ。わけがわからへん」

10人目に取材した、関東のトッププレイヤーの一人、六角電波。これまでのEOTでの輝かしい成績はもちろん、先日行われた「大喜利渋谷杯フェス」の夜の部「3on3トーナメント」での、プロの芸人を相手にした際の大活躍も記憶に新しい。

もう一つ、ウォーリーが六角電波に対して凄いと感じているのは、規模の大小関係なく、大喜利イベントを成功させている、裏方としての手腕だ。

「『あの大会、六角電波さんの仕切りやったんや』っていうのでビックリしたことがあって。生で見た時の気迫と、能力の高さ、あれはむっちゃビックリしました。こんな動ける人がいるんだと思って。憧れ続けることにはなるだろうって気はしてます」

ネタが面白いアマチュア芸人

大喜利で驚かされたのは、上記の三名。では、漫才やコントなどのネタの面白さで、ウォーリーを唸らせたのは誰なのかも訊いてみた。

「まず、ガーベラガーデンさん。あと東京のハバネロ胡椒さん。動画では観てて、動画で活動を追ってく人達だと思ってたんですけど、大会で会って生でネタを見た時に、まず二組とも声デカすぎるんですよ。他の演者が全然比べ物にならないくらい声デカいんですよ。プロやんけと思って(笑)」

ネタのクオリティはもちろん、漫才をするうえでの心構えから違うと感じたというガーベラガーデンとハバネロ胡椒。その気合いが入った二組を初めて生で見て、背筋を伸ばしたのは今でも覚えている。

「まあここ二組は、アマチュアお笑いやってる人やったらみんな挙げるとこやと思うんですけど、ここで紹介したいコンビが二組いて。二組とも大阪で活動しているコンビなんですけど、鉄腕打線っていう社会人のコンビと、錦登山下山っていう学生のコンビがいるんですけど、ここ二組めっちゃ面白いんですよ。よくライブで一緒になって、めっちゃウケてるんで、なんとかして世に出したいという思いがあります(笑)」

今後の展望

「マジな話、今後もこの3つを続けていこうと思ってるんですよ」

ウォーリーで大喜利、どくさいスイッチ企画でコント、銀杏亭魚折で落語という3つの活動を、可能な限り続けていきたいというのが、彼の今後の目標だ。

「僕今34歳なんですけど、これが40とか45になった時にこんなこと言ってられんのかっていうのはあるんですけど、それでも続けていきたいっていうのはめっちゃあります。全部楽しいんですよ本当に。全部楽しいから全部やりたいっていうのはありますね」

普段の仕事と並行しながら、趣味としてのお笑いを続けていく。他の社会人芸人から影響や刺激をもらいながら、独自の道を進んでいけたら良いと、ウォーリーは本気で思っている。年を重ねた時に、周りの環境がどうなっているのかはわからないが、彼の今後の活動は、私の目から見ても非常に楽しみである。また何かに触発されて、4本柱になる可能性だってある。もしそうなっても、彼ならこなしていけるだろうと、2時間話を聴いて思った。

おわりに

ここまで読んでくださった方なら、ウォーリーが視力を失いそうになるほど眩しい経歴の持ち主だということを”おわかりいただけただろうか”。

そんな彼の活動を生で見たいという方に告知事項がある。

8月6日の土曜日、大阪市の西区新町にある劇場「楽屋A」にて、どくさいスイッチ企画の第2回単独ライブ「嘘嘘、ぜーんぶ嘘」が行われる。前回の単独同様に、ゲストを呼ばず、小道具もほぼ用いず、コントを8本披露する。チケットは現在発売中だ。

披露する予定のコントは、全てウォーリー一人で行うもの。”リテイク”は許されない。現在もひたすらネタを稽古する日々を送っている。少しだけ内容を聴くと、「前回と比べて事件性が高いライブになりそう」だという。

ウォーリーはこれからも、実績を積み重ねていく。彼の今後には、”楽しいことしかない”。

※単独ライブは9/10(土)に延期になりました



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