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タンザニアの高速ダンスミュージック、シンゲリ Singeli の発祥と語源について

2020年に https://note.com/jmworks/n/nead3d99e47eb Singeliについての記事を書いたんですが、その後のアップデートです。
もともとは連ツイしてたんですが、なぜかTwitterを凍結されたまま解除されず・・・・というわけで折角なのでnoteにも。

2019年にベルギーの研究者の方が「シンゲリにみるタンザニアの『真の』音楽を求める闘い ―ナショナル・アイデンティティ構築の人類学的分析―」的なタイトルの論文を書かれていて、その中で、Vairas MduduとSissoの証言の記載がありました。

論文はこちら Anke Van der Stockt - The struggle for 'real' Tanzanian music: an anthropological analysis of the construction of national identity in Singeli 5万語くらいあるので興味ある人は頑張って読んでね

話はシンゲリが誕生に至る流れから。 タンザニアが1961年に独立を果たした後、初代大統領ニエレレは、一党独裁政権のもと植民地時代に失われたアフリカの文化の復興を最優先課題に掲げました。 彼は外国の影響を受けたタアラブ(Taarab、ザンジバルで生まれた舞台音楽)やダンシ(dansi、ジャズに影響を受けたダンス音楽)を斥け、土着のンゴマ(バンツー語でダンス、ドラム、祝賀の意)音楽を国民文化の中心に据えようとしました。

1980年代、商業文化団体がンゴマ音楽を普及させ、南部タンザニアに起源を持つ腰振りダンスが人気を博しました。当初、ニエレレ政権は南部のエロティックなダンス(例えばシンディンバ・sindimbaなど)を国民文化から排除しようとしました。しかし、商業的な文化団体がこれらのダンスを積極的に取り入れ普及させたため、政府の方針とは逆に、むしろ人気が高まってしまいました。 結局、政府は市民社会の嗜好に逆らうことができず、公式の国民文化の構築という試みを断念せざるを得なかったということです。

1990年代に入ると、自由化政策によってボンゴ・フラバ(Bongo Flava、ヒップホップやレゲエの影響が強い)などの外国の音楽がタンザニアに流入します。 一方でタアラブ音楽はンゴマのリズムを取り入れ、より速いBPMへと変化を遂げていきます。

2000年頃、ダルエスサラームの貧しい地区で開かれていたビゴドロ(vigodoro、all night partyの意)と呼ばれるパーティーにおいて、DJがタアラブ音楽の速度を上げ、ムチリク(mchiriku)などのンゴマ音楽のサンプルを混ぜた新しい音楽スタイルが生まれました。

しかし、これがタアラブ・アーティストとの激しい争いを引き起こすことになります。タアラブ・アーティストは著作権を主張し、自分たちの楽曲を無断で使用したDJを訴え始めたのです。訴訟を避けるため、DJたちはサンプリングした音源が元の楽曲から判別できないよう、BPMを上げシンセサイザーを多用するなどの工夫を凝らすようになりました。

2010年頃、シンゲリMCでもあるMakaveli(Nyege Nyege Tapesからのリリースでお馴染み)のDJが、タアラブ音楽の速度をさらに上げ、主にムチリクなどのンゴマのサンプルと混ぜ合わせるという革新的な手法を編み出しました。

さらにMakaveliは、自身のダンサーであるKisingeliをビゴドロ・パーティーに同行させました。 Kisingeliは手を地面につけながら激しく腰を振るダンスを披露し、たちまち人気者となりました。 彼の名前がこの新しい音楽スタイルと結びつけられ、「Singeli」の名が広まっていったのです。 シンゲリという名称の由来について、2018年にアーティストのVirus MduduとプロデューサーのSissoが明かしています。

Kisingeliの独特のダンススタイルが人々を魅了し、彼はダルエスサラーム中のパーティーに引っ張りだこになりました。人々は彼のダンスをまねて踊り、シンゲリという言葉は瞬く間に広まっていったのです。

こうして誕生したシンゲリは、より速いンゴマのリズムを求める大衆の嗜好に応える形で発展を遂げ、今や「本物の」タンザニア音楽としての地位を確立しつつあります。シンゲリは、グローバル化の中で失われゆく民族文化の独自性を強調しながら、同時に国際的な音楽産業のトレンドも巧みに取り入れた、まさにグローカルなジャンルだと言えるでしょう。

おわり。

Makaveli - Nammiliki (SINGELI)


いろんな研究に使いますので100円〜でも是非🙏🏻