雪舟

雪舟の前衛性

スクリーンショット (520)

 前衛絵画を彷彿とさせるタッチ。ありあまる余白、洗練された印象。雪舟の傑作、破墨山水図である。。

 中国の山水画である南宋絵画の本質を「余白」であると早々に見抜いた雪舟は、それを自分のものにし、中国の画家を上回るほどまでに極めた。本元の中国の山水画ですら中国の山水の風景を描いた画であるにも関わらず、雪舟のこの画は、そうした具象的な対象すら感じさせない抽象画にさえ見える。

 お正月に雪舟のドキュメンタリーを観て、この時代になんと洗練された画を描いていたのだろうかと感動した。

 この時代というのは1495年である。時は室町時代。時代をヨコにスクロールすると、西洋ではルネサンスの盛期である。

 ミケランジェロであり、ラファエロであり、ティツィアーノである。もっとわかりやすく言えば、レオナルドダヴィンチが、あの「最後の晩餐」の制作に取り掛かったのが1495年である。

最後の晩餐

 地球のはるか彼方の西洋では、余白を残さず、画面をふんだんに使った「遠近法」という絵画手法が使われていた。そのスタイルが、雪舟の「余白」とあまりに対照的であり驚く。

 西洋で、写実的絵画から、輪郭線が描かれない抽象表現へベクトルが向き始めるのは印象派あたりからだろうか。モネの「印象、日の出」をその起点とするならば、その制作年は1872年であり、雪舟の「破墨山水画」から約400年後の事となる。

 雪舟の前衛性には脱帽である。

 

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