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【名医インタビュー】患者目線で歩み続ける 医師たちの軌跡 出沢 明/脊椎内視鏡手術

失敗しても挫けず 走り続ける姿勢を貫く
小さな切開で行う椎間板ヘルニア手術「PED」を国内に導入し、普及に尽力してきた出沢明医師。大学病院時代には6年間も手術を待つ患者がいるほど、多くの悩める患者の拠り所となってきた。そうしたニーズに応えるべく、2014年に独立開業。脊柱管狭窄症への応用も実現しながら、さらなる高みを目指している。

※『つらい痛みを名医が解決! 骨 関節 リハビリの頼れる病院2021』(2021年1月発行)から転載

高度かつ独自のテクニックを要求されるPED

 腰の痛みや痺れを引き起こす、椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症などの脊椎脊髄疾患。その治療において、内視鏡を用いてわずか8mmの切開で行う「PED(経皮的内視鏡下椎間板摘出術)」を国内に導入し、脊椎内視鏡手術の発展を担ってきたのが出沢明医師である。

 PEDの最大の特長は、その低侵襲性にあるだろう。極めて小さな切開で、患者の負担を抑えて治療でき、早期に社会復帰して積極的に身体を動かすことまで可能だ。

 「背中の筋肉へのダメージを防げるPEDでなければ、早期のスポーツ復帰はなかなか難しいでしょう。もちろん、傷あとが小さいことは美容面においても利点といえます」と出沢医師は説明する。

 一方、執刀医の高度な技術・熟練度が要求される側面もある。第一に、切開創の小ささから器具の操作範囲が制限され、内視鏡操作のテクニックが欠かせない。「神経は決して傷つけてはなりません。そこで組織の硬さや柔らかさなどの感触から、これは骨、これは神経と判断しつつ、慎重に内視鏡を進める必要があります」

 また一般的な手術では、必要に応じて対象から距離を置き、「鳥の目」、すなわち俯瞰で全体を把握することが可能だ。ところがPEDは術野に潅流液を流しながら、まさに水の中で治療する術式。微量の出血でも視野が滲むため、対象の間近までカメラを接近させて「虫の目」で観察・認識する必要がある。そうした視野のコントロールには特に訓練を要するという。

 「内視鏡の視野と自らの認識を一致させることも重要で、慣れていないと今どこを見ているのか、内視鏡がどこにあるか、方向喪失してしまうこともあるのです」

1998年、ネバダ大学での脊椎内視鏡トレーニング。まだ誰も振り向いてくれない頃から内視鏡の前方法をThalgott 教授から学ぶ

小さな傷でも確実に治療できると確信を持つ

 今日の治療技術を確立するまで、道のりは決して平坦ではなかったと出沢医師は述懐する。もともと現在の領域に進んだのは、神経という組織の奥深さに惹かれたことがきっかけだ。神経は一度傷つくと、基本的に再生することはない。そこで神経に関する疾患こそ「最後まで残る病気」、いわば未開の領域になると考えていたという。

 そうした中、恩師である井上駿一教授(千葉大学整形外科/当時)を慕って、整形外科の道を選んだ。「井上先生は患者さん一人ひとりに真摯に向き合い、時には一時間以上かけて、丁寧に診察される方。どこまでも患者想いの姿勢に憧れ、進路を決めました」

 ただ整形外科に入局した頃は、「Great Surgeon,Great Incision(偉大な外科医ほど大きく切開する)」という理念が模範とされていた。椎間板ヘルニアの手術では、腹部を大きく切開して術野に光を当て、腸管を避けながら患部に到達する、大きな侵襲を伴う手術が一般的。そうした「常識」に疑問を持つようになったという。処置するヘルニアは小さいのに、光を入れるために大きく切開するのはおかしいのではないか。小さな傷でも確実に治療できるのではないか―。そこで思い描いたのが、内視鏡下の脊椎手術に他ならない。

 出沢医師は当時、内視鏡を用いて血管内の血流を調べる研究に携わっていた。その内視鏡を脊椎の診断、ひいては脊椎手術に応用することを考えたのだ。「脊柱管に内視鏡を入れた途端、呼吸とともに拍動する脊髄が見えて感銘を受けました。ここまで綺麗に視えるのなら、脊椎内視鏡に人生を懸ける価値がある、そう決意したのです」

何かを作り出すには失敗に挫けず進む姿勢が必要

 着想を得てからは、脊椎内視鏡手術の実現に向けて米国・ドイツに留学し、内視鏡技術の研鑽を重ねた。しかし、PEDの導入を期して帰国した後、鳴かず飛ばずの日々が待っていたと出沢医師は苦笑する。理由の一つが合併症の問題だ。「現在のように手技が洗練されておらず、ヘルニアを治療できても、周囲の神経が障害されてしまうことがあったのです」

 どうすれば合併症を無くし、治療の安全性を高められるか。出沢医師は細径の内視鏡や、先端が曲がる鉗子などの手術器具を独自に開発し、トレーニング機器も準備して試行錯誤を繰り返した。PEDの習得を目指すものの、手技の難易度から諦めてしまう医師も多く、一人で研究を進める状態が続いた。それでも、小さな切開で確実な治療を実現できると確信し、信念を貫いた出沢医師。その結果、課題を解決するとともに、おおよそのノウハウを確立するに至ったという。

 「苦しい数年間でしたが、合併症の原因を追求するため、あらゆることに取り組んできました。そうした経験が現在の技術や自信につながっていると感じます。何かを作り出すためには、例え失敗しても諦めず、怯まずに進む意志の強さが求められると思います」と、これまでの歩みを振り返る。

 導入当初、PEDの対象は椎間板ヘルニアに限られていたが、出沢医師は脊柱管狭窄症への応用に取り組み、多くの患者の助けとなってきた。さらに現在、腰椎に不安定性を認める症例にも目を向け、内視鏡下で除圧・固定する内容の研究も進めている。一つの術式を確立するだけでも果てしない努力を要するにもかかわらず、前へと進み続ける自分自身を、次のように評する。「常に走っていないと駄目な性分なのでしょう。足を止めたら、今までやってきたことがすべて崩れてしまう感覚があるのです。ただそれも、内視鏡下の固定術が最後だと思っています。もしかしたら完成できないかもしれません。でもこれまで、何度も諦めない心で克服してきましたから」

 悩める患者がいる限り、走り続けるその姿勢こそ、恩師の井上医師から受け継いだ、医師としての在り方なのだろう。

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出沢明PEDクリニック/向ヶ丘PEDクリニック理事長
出沢 明(でざわ・あきら)

1980年、千葉大学医学部卒業、整形外科学教室入局。1987年、国立横浜東病院在籍時に、ファイバースコープによる脊柱管内診断法を開発。アメリカ・ネバダ大学、ドイツ・サーランド大学留学、帝京大学溝口病院整形外科教授を経て現職。日本PED研究会代表世話人などを歴任。