【名医インタビュー】患者目線で歩み続ける 医師たちの軌跡 平川 和男/人工股関節置換術
最小侵襲手術の名手に全国から患者が押し寄せる
鎌倉市の一角に、国内で最高峰と称される人工関節置換術に特化した医療機関、湘南鎌倉人工関節センターがある。北は北海道、南は石垣島まで、同院には全国から患者が押し寄せ、手術は3カ月先まで予定がいっぱいだという。
従来、20cmほどの大きな切開で行われてきた人工股関節置換術。それを平川和男医師は7~8cmほどと極めて小さな切開で行う。カーテンを開くように筋肉を分け入り、その空間で人工股関節を設置する。皮膚だけでなく、筋肉や靱帯もほとんど切らないため、術後当日から歩行も可能で、入院期間はわずか5日ほど。こうした患者への負担を最小限に抑えられる最小侵襲手術(MIS)が、多くの患者の注目を集めているのだ。
「患者さんが早期に退院できることが最大のメリットです」と話す平川医師。彼こそ、このMISを国内に広めた立役者である。
「患者さんを早く歩かせる」その思いで世界に飛び出す
平川医師がMISと出合ったのは1998年。海外の学会で、米国では人工股関節置換術をたった5cmの切開で実施していることを知った。入院期間も1週間。当時、2カ月以上入院することが一般的だった日本とのギャップに大きな衝撃を受けたという。
「患者さんのほとんどはご高齢のため、長期入院による体力・筋力の著しい低下が問題視されていました。だからこそMISに感動したのです。しかし、日本人の患者さんは先天性の臼蓋形成不全が原因であることが多く、関節の変形が強いため、小さな切開での手技は難しいだろうと考えていました」
MISの難しさとしては、小切開ゆえに術野が見えにくいことが挙げられる。変形が強い場合はなおさら難易度が増す。小さな視野から、筋肉や靱帯へのダメージを抑えつつ人工股関節を正確な位置・角度に設置するためには、緻密な手技を実践する技術と経験、さらには関節周囲の構造の理解が欠かせない。当時、国内ではまだMISが実施されていなかったため、平川医師は迷わず世界に飛び出した。「MISを開発した先生方のもとへ、欧米諸国を飛び回って教えを請い、国内に導入できるだけの技術を体得しました」
2000年、平川医師は頼れるのは自分だけという状況下でメスを握り、国内でもMISを開始した。そして、すぐにその有用性は間違いないと確信したという。「大きな切開で手術していた頃、患者さんは痛みに耐え、背中を押してもらいながらリハビリに励んでいました。ところがMISを始めてからは『無理しないで』とこちらが止めるくらい、早期からリハビリできる患者さんが増えたのです。その姿に教えられました。『MISは難しい手技だけれど、やり続けなければならない手術なのだ』と」
米国で培った〝夢〟を実現する力
MISをスタートした後、平川医師が次に抱いた〝夢〟こそ、人工関節センターの開設だった。
「90年代後半、既に欧米には多くの人工関節センター(専門施設)が設立され、各地から患者さんが集まっていました。それにより医師は多くの実績を重ね、専門的な技術を高めていました。そこで、日本でも人工関節に特化した施設が必要だと強く感じたのです」
そして平川医師は2004年、日本初の人工関節専門施設として同センターを誕生させた。これを成功例に、その後全国では同様の施設が次々と開設されていった。MIS導入、人工関節センター設立と、未開の領域にも臆することなく突き進んできた平川医師。その原動力はどこにあるのだろうか。
もともと医学の道を志した契機は、小学4年生の頃の骨折だったと平川医師は振り返る。雨の日に鉄棒で転倒して骨折、手首が違う方向を向いたが、適切な治療により、真っ直ぐになった。『壊れたものをきれいに治す』、その仕事に心が動いた。
山形大学で学んだ後、医師として方向性を決定づけたのは留学先米国での経験だった。日本では抄録を書けば学会で発表できる日々を過ごしていたが、米国では違った。書けども書けども『不採用』の通達を突き付けられた。米国の学会で発表される論文は卓越した内容ばかり。論文の採択率は2割を下回っていた。
「『少し頑張ればなんとかなる』と思っていた自分のやり方が覆されました。3年後に必ず学会で発表すると目標を掲げ、昼夜時間を惜しまず必死で取り組みました」
その結果、3年の留学期間中に8本の論文を発表。「厳しかった米国での経験から、誰かを真似るのではなく正しく理路整然と研究する医学者としての基本認識と、真に優れたものを求める姿勢を学べたと思っています」。より良いものをとことん突き詰める姿勢を学んだことが、後に、MISの追求や人工関節センター開設など、夢の実現につながっていった。
人工関節で笑顔を取り戻す
平川医師は現在、年間700件ほどの人工股関節置換術を手掛ける。究めてきたMISにこだわっているかというと、決してそうではない。痛みが辛いのか、左右差を治し外見を整えたいのか、スポーツを続けたいのか。患者の希望は何か、一例一例に寄り添い、熟考するスタイルを貫く。「どのような症例であっても患者さんが美しく歩くために、手を替え品を替え最適な方法を選びます」
平川医師は人工関節を「患者さんから笑顔をいただけるもの」と話す。「痛みで顔をしかめていた患者さんが手術後、別人のように素敵な笑顔を見せてくれる。それが、私の原動力です」
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