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写真なのか、画像なのか…問題。

カメラのことをYouTube(お世話になっております…)で勉強していて、日々、小さな疑問にぶち当たる。

いろんな考え、捉え方があると思っているので、疑問が生じた時はひとりのYouTuberに崇拝することなく、違う人のYouTubeを探したり、ネットで調べたり、カメラ触ってるうちに解消出来ることもあったり…

そして、なかなか解消出来ない大きな壁にぶち当たった。

それは、タイトル通り…

ワタシの撮ってるものは「写真」なのか、「画像なのか」…問題。

明るさは後からどうにでも出来ますから…とか、

色味は好みに変えられます…とか、

要らないものは消せます…とか、

トドメを刺しに来たかの如く、牛1頭消したり、鉢の形をビヨ〜ンって変えるソフトの広告が何度も現れる。


確かにコンデジの時から、多少ソフトを弄っているので、ソレが出来ることは知っているし、技術が進化してることも認識している。

がーーーっ!そんなに変えていいの⁉️という喜びではなく、罪悪感に近い思いが芽生えてしまった。

どこまで変えていいのか…

厳密に言うと「許されるのか?」くらいの気持ちだった。

でもね、ソフトであれこれ弄るのは楽しいと思っちゃう自分もいるし、ちょっと残念だよなって写真をガラッと印象変える力があることも知ってるんだよね。

写真は撮りたいものを撮ればいいし、楽しく撮らなきゃ表現も出来ないと思ってる。

なのに、迷宮入り(笑)


【ワタシは何のために写真を始めたのか?】を思い起こし、納得できる情報を探しまくる。

混乱の原因は、頭の片隅に「一眼レフ=写真」という固定観念があったこと。

デジタル一眼レフで撮るものは、コンデジやスマホで撮るものと何ら変わらない「デジタル画像」だとわかっていながら、固定観念により脳ミソが誤作動。

そして、点と点が繋がらなくなっていたのだ…


報道カメラマンと趣味で撮ってる人じゃ目的が違うだろうし、印刷するしないとか、発表する場によってとか、多少考える部分があるだけで、今のところは、仕上がったものはその人の「作品」だ…というところに着地した。


そーすると、一眼レフじゃなくてもいいじゃないか?なんて浮上。

いやいや作品の幅を広げるアイテムなのだ。

じゃぁ、違うレンズだったら、もっと違う世界を切り取れるんじゃないか?

違うメーカーのカメラも使ってみたいよね?

スマホも新しいの欲しいな…とか、

作品作りと着地した途端、欲望は果てしない…🤣


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