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選んできた人生のこと

今の私が立ってる場所にたどり着いたのはどこが分岐点だったのかを考えるとそれは自分で進路を決めたときだったかな、と思う。

保育園に入園し、小学校入学、転校、中学校入学、ここまでは私の意志などまるで関係なく、親が選んだ居住区で決められたところに通っただけだ。

高校は自分で選んだとは思うけど、ほかに選択肢があったとも思えない。

となると、高校卒業後の進学先を選んだところからが今の私のにつながるのか?

しかし、とにかく家を出たかった私がいろんなところを受験して、いくつかの選択肢を持ったにもかかわらず、叔母家族がいるから、という理由だけで進学先は京都になった。京都でよかったと今でも思っているし、京都が今に続いていると思っているけれど、あれ?よく考えると親に決められたということになるのか?


京都で4年間勉強した。
助産婦学校は名古屋も受けたけど補欠合格しかもらえなかったし、そこで実家に近い名古屋に行くという選択肢は私の前には現れなかった。

就職、
親からしたらいい加減帰ってこい!というのもあっただろう。私なりに考えて名古屋の病院に応募した。

が落ちた。笑


で、大阪の実習病院に就職することにした。


そこからが今につながっている。


自分で決められなかった部分も、自分で決めてきた部分も、私の生きてきた道に対して特に悔やむことはない。
親に決められた部分もちょっとはあったけれど、それに関して親のせいで不幸になったなんてみじんも思っていない。まだ子供だった私の軌道修正をしてくれたんだろう、程度に思っている。


選ばなかったほうの人生を生きていたらどうなっていたかということを考えたことがないわけでもないけれど、そこまで大きな分岐点があったわけでもなく、ただ流れに身を任せて生きてきた、それが今に続いてきた。
でも、自分で選び取ってきた人生だとは思っている。だから、誰かのせいにすることはできない。自分で選ぶことは責任につながる。誰かのせいにできたら楽だな、と思うことはまだあるけれど。


こんなことを考えるのはなぜなのか、
おそらく息子のことがあるからだろう。

自分で高校卒業後の進路がうまく決められていない息子。
そこにどこまで口を出すのか。
出さずにいたら義姉夫婦に心の底から心配された。


夫も私も、親に決められた人生を歩んでいない。

息子の進路にどこまで意見するか、どうしたらいいのかわからない。


親に言われたことをして後悔だらけの人生になっただなんてことになってほしくない。


でも今のままでは自分で自分の人生を切り開くことすらしないような気がする。


息子自身、まだわからないと思うけど、今こそ人生の分岐点かもしれない、そう思うと、とにかく何かしら始めてほしいと思わずにはいられない。


自分でやりたいことを見つけて、自分で方法を探す、そんな子が心底羨ましい。


生き方を選ぶ。


18歳には難しいことだろうけど、ちょっとくらい考えて欲しいよ。



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