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付き合ったのに全く会わなかった二人の元彼の話

「あなたがなんで誰にも愛されないか分かる!?あなたが誰も愛してないからよ!!」

…沁みる。

かなり古いドラマにはなるが、これは私が愛してやまない女王の教室というドラマ内で、天海祐希演じる阿久津真矢がかつての教え子に放った台詞である。

台詞は尚も続く。

「周りの人に愛してほしいと願うばっかりで、あなたはその人達のために何かしてきた?」

「結局あなたは自分が可愛いだけなのよ。他の人のことなんかどうでもいいのよ。」


「そんな人のことを誰が愛してくれるっていうの!?」


今でもドキッとさせられる名言がそこにある。

愛したからといって愛されるとは限らない。だが、人から愛されるためにはまず自分が愛する必要がある。

−じゃあ、貢いでる人はどうやって説明するの?

そう思ったそこのあなた。
このドラマは物語内できちんと答えを用意してくれている。

「愛することと甘やかすことは違います!」

これですよ。
相手のことを真に想うなら、相手の為にならないことはしないということなんですね。

では、そもそも愛とは何なのか。

−相手に対して何も望まないこと
−自分から与えること
−愛は育てていくもの

なんだこれは。くさい、くさすぎる。窓を開けて換気したい。
これは、マッチングアプリtappleのホームページに書いてあった愛の説明である。

でも、これがもし倫理の教科書に書いてあったら受け入れられるのかな…。てかまんまアガペーの説明な気もする。よく知らないけど。

せめてこれよりもしっくり来て、くさくない愛の定義を説明したいものの、なかなかどうしてむずかしい。

−恋は下心、愛は真心

この説明もよく聞くが、個人的にはイマイチしっくりこない。
愛って世界共通の概念な気がするし、漢字の成り立ちで誤魔化されてもな、とも思う。

それに下心、真心って言われると、上心もあるのだろうかとか考えてしまう。浮ついた心…浮気?
(余談になるがゲイの世界では浮気をする人たちが多い。もしかすると彼らは愛を超越した者なのかもしれない。)


こういう哲学的な問いに対して思うのは、悩んでも議論しても答えは一つに定まらないのだということである。

結局色々な経験をして、傷つき傷つけてを繰り返しながら、自分なりの答えを見つけていくことに意味があるのだと思う。

いつか自分なりの答えを見つけられることを夢見て、今を生きていこうと思う僕なのであった。

(本題に入る前にブログの記事が一つ完成したような気もするが、まぁ気にしない)

初めての彼氏

初めて彼氏ができたのは19歳の時だった。

恐る恐るインストールしたゲイ向け出会い系アプリでマッチングした、一つ歳上の男の子だった。

さっきまでtappleの事を馬鹿にしてたのに、結局僕もマッチングアプリで愛を探していたのである。

マッチングしてからはトントン拍子で話が進み、次の土曜に上野動物園に遊びに行くことになった。

ちなみに僕は動物園や水族館といった場所があまり好きではない。
各檻の中にいる、大して特徴も知らない動物を一つずつ眺めて回る、この行為があまり得意ではないのだ。

−各動物につきどのくらいの時間を掛ければいいのか?
−せっかくきたのに、早く移動しないと全ての檻を見ることができないのでは?

こういった思いに終始囚われてしまい、あまり楽しめた経験がない。
もしかすると僕は動物園をスタンプラリーする場所だと勘違いしているのかもしれない。

行く場所に対してはあまり気乗りしていなかったが、彼と会うこと自体は楽しみ、という気持ちのシーソーをしながら僕は上野へと向かった。

待ち合わせ場所。おそらく彼らしい人がいた。だが人違いだったらどうしよう。
念のためメッセージを送ってみる。

「つきました!」

すると彼はキョロキョロと周りを見渡す。
僕の中の確信度合いは上がるものの、敢えて気づいていないふりをして僕もキョロキョロと周りを見渡してみる。

実に非合理的な動きである。全ての檻を回れるか気にしているならさっさと声をかけるべきであろうに。

何を守ろうとしてるのかさえ定かではないが、気恥ずかしさから僕は時々こういった無駄な行為をしてしまう。
きっと出会う前から駆け引きは始まっているのだ。

そうこうしているうちにお互いの視線が交わる。軽く会釈をしてみると向こうも会釈を返してくれる。やっぱり彼だった。

「「こんにちは」」

お互い挨拶を交わし、ぎこちなさをテンションを上げることで補おうとしてみる。
こうした経験を重ね、自分をうまく騙せるようになることを大人になるというのかもしれない。

彼はどことなく猿っぽい印象のある、笑顔が素敵な男の子だった。

「普段何をしているんですか?」
「学校では何を勉強しているんですか?」
「サークルやバイトはやっていますか?」

気まずい沈黙を作らないよう、矢継ぎ早に質問をしながら僕らは上野動物園入口へとたどり着いた。

「入場料600円なの!?」

僕はあまりの安さに驚いてしまった。
2、3千円ぐらいを想定していたから尚更である。
この園の経営がきちんと成り立っているのかという、余計なお世話と言われかねない心配をしながら僕らは中へと入った。

園の中にはさまざまな動物がいた。
上野動物園名物のパンダもいたが、人だかりがあり遠くからしかその姿を確認できない。

遠近法によって親指ぐらいのサイズになってしまったパンダ。
自分の親指と見比べながら

「かわいいね」

などと心にもないことを言ってみたりした。

彼は不思議な人で、飄々とした雰囲気の下に強いアクのようなものが時々見え隠れしていた。
だが、僕は彼の纏うヴェールを剥がす術を知らなかったし、初めての人と会った時に感じる違和感が馬鹿にならないものなのだということもまだ知らなかった。

僕らの距離が物理的にも心理的にも縮まったのは、おそらく両生爬虫類館に入った時だったように思う。

館内は薄暗く、周りの目線を意識する必要がなくなったそのとき、彼の手が僕の手に触れた。

僕はオーラルセックスの経験こそあったものの、男の人と手を繋いだ経験はなかったため、心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。

「Twitterのプロフィール欄に、大切な人がいますって書こうかな」

彼ははにかみながら言った。

えっ、どういう事だろう。これは告白なんだろうか。告白みたいなものだよな。
もし自分一人だけが舞い上がってたとしたら馬鹿みたいだと思いつつも、誰かが自分を特別扱いしてくれるのはなんだかとても悪い気分じゃなかった。

「あ、エッ、僕も…」

なんだかよく分からない返しをしてしまい、自分で自分に動揺する。急に言葉がカタコトになる。だが、それでいいのだ。せめて、僕も彼を特別にしたいと思っていることが伝われば、それで。

「俺ら付き合っちゃおうか」

「…うん」

こうして僕らは付き合う事になった。
付き合うまでの流れって、もっと回数を重ねてお互いを知って、告白のシチュエーションも綿密に練るものだと思っていた。

しかし実際の告白はそんな手の込んだものではなく、日常の延長線上にあっさりと存在しているのだな、とぼんやり思った。

付き合おうという合意形成がなされた後は、気持ちがさらに高揚しているのを感じた。
だが、同時に心の中に違和感のようなものがあるのも感じていた。

なんだかこのまま進んでいったら戻れなくなる、そんな予感があった。
戻れなくなる、の意味は自分でも良く分かっていなかった。

ゲイとしての行き方を選択する覚悟が決まりきっていなかったからかもしれないし、相手の事をよく知らないまま付き合うという怖さがあったからかもしれない。

こうした思いに一旦蓋をし、僕はその後もデートを楽しむ事にした。

動物園も全部周り、ボートにも乗り、夜はカラオケにも行った。

そして僕らは今度泊まりで遊ぼうという約束をして別れたのだった。

二週間後の金曜日、夕方ごろに僕らは待ち合わせた。
その夜は家族が誰もいないからという事で、彼の家に遊びに行く事になっていた。

家に行く前に腹ごしらえをしようと晩御飯を食べていた時のこと。彼は僕に一枚の写真を見せてきた。

「先週アプリで知り合ったこの人と会ったんだー!」

そこに写っていたのは少し歳上の知らない男。どういう意図で言っているのかが全く掴めない。

「そ、そうなんだ」

「めっちゃエロかった、写真も撮ったんだ!」

そう言って彼はその人と行為に及んだ際に撮影した写真を見せてくれた。

不思議なことに嫉妬するとかは一切なかった。そこで初めて、僕は彼のことがまだそこまで好きでなかったことに気付いた。

ただ、彼はどういう意図でこんな事を伝えてきたのだろうとか、僕ら付き合ってると思ってたけどもしかして世界線間違えてる?とか、結構チンコでかいんだなとか、この人は行為の最中に写真を撮るタイプの人なんだな、といったことをぼんやりと考えていた。

−この人に深入りするのはやめよう。

その時僕はそう決心した。
もし僕のことが本当に好きならきっと連絡を寄越してくるだろうし、その時の様子を見て付き合い方を考えよう。

そう決心して以来、今日に至るまで、彼から連絡が来ることはなかった。

ちなみに余談だが、彼のプロフィールに"大切な人がいます"と追記されることもなかった。


二人目の彼氏

それから半年が経ち、僕は僕で新しい出会いを求めてアプリを使うようになっていた。

だって暫定彼氏君も他の人とヤってるみたいだし、付き合ってるのに連絡してこないし、そもそも僕らは付き合ってないのかもしれないし。

ある日、僕は大学近くに住む5つ歳上の人とマッチングし、学校帰りにその人の家に遊びに行くことになった。

初対面で家に行くなんて、僕も大分感覚がおかしくなってきたなぁと自嘲しながらも、気付くと僕は彼の家の前に立っていた。

その人は物腰が柔らかく、見た目も清潔感があった。
いい人そうだな、と心の中で思った。

だが正直それ以上でもそれ以下でもなかったため、会話がすごく盛り上がるということはなかった。

ただ晩御飯を一緒に食べながら、仕事の話や学校の話をしたり、他愛もない話をしたりした。
そうこうしているうちにいい時間になり、

「泊まっていきなよ」

という彼のお言葉に甘えることとなった。

深夜。
年頃の男が二人で寝床を共有している。
何も起こらないはずがなかった。そう、開戦の狼煙はすぐに上がったのだった。

先攻は向こうだった。僕は経験値の少なさからディフェンスをしたことしかなかった。一方彼は経験の豊富さを感じさせる優秀なフォワードで、果敢に僕のパーソナルエリアを侵攻してきたのだ。

まずい、このままではゴールを決められてしまう。必死のブロックも虚しく、相手の勢いが最高潮になった時、彼は言った。

「彼氏いるの?」

え、今聞くの?
もっと冷静な時に聞いて欲しかった、そんな言葉を飲み込みながら僕は答えた。

「んー、よく分からないんですよね」

事情を説明すると、彼は僕にこう言った。

「それは付き合ってるって言わないんじゃない?」

「俺と付き合おうよ」

こういう状態でなければ断っていたかもしれない。僕はまたしても彼のことを何も知らない。まして、状況が状況だ。
絶対に長続きするわけがないのだ。

だが、ここで断れば雰囲気が壊れるかもしれない。僕は調和を重んじる男。答えはすぐに出さねば。

「じゃあ、お願いします。」

そして彼は僕のゴールに強烈なシュートを叩き込んだのだった。


翌朝、僕は複雑な気持ちで彼の家を後にした。

初めての彼氏を上書きするようにして二人目の彼氏を作ってしまったからだ。

初めての彼氏との数日間で、僕は一つの学びを得ていた。それは、僕から相手に歩み寄ることをしなかったということだ。

これを次に活かす。きっとヤマアラシのジレンマのようにちょうど良い距離感を見つけるのには苦労することだろう。

だが、歩み寄らなければ傷つくことすら始まらないのだから。

僕は意を決してメッセージを送った。

「お疲れ様です!次はいつ会えますか?」

しばらくすると彼から返信が来た。

「ごめん、しばらく仕事が忙しくて、、落ち着いたら連絡するね」

そして、それ以降彼から連絡が来ることはなかったのであった。

この出来事から7年が経ったある日のこと、二人目の方からアプリでメッセージが来た。

「かわいいですね!」

コイツはおそらく僕のことを忘れているに違いない。僕は試すように

「昔会ったことがありますよ」

とだけ返した。
付き合っていた、とは敢えて言わなかったが。

「えっほんとですか?他に顔写真見せてもらうことってできますか?」

やはり彼は完全に僕のことを記憶から抹消しているようだ。
これ以上は人生の浪費になる、そう思い僕はそれ以降返事をすることをやめた。


今だから言えることだが、どんなに好きで大事な相手でも、所詮相手は他人だということを認識することは不可欠だと思う。

そして、誰かと付き合うためには相手に歩み寄る必要がある。

しかし、一方だけが歩み寄りを続けても愛は育まれない。
お互いが歩み寄り、より添い合うことで愛は育まれるのではないだろうか。

まぁそもそも愛ってなんなのか、それはまだよくわかってないけどね。

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