元彼が出家した日③

愛情表現って難しい。

これは個人的な感想だが、付き合いが長くなるほど愛情表現をしなくなる人が多い印象がある。

言わなくても伝わる。
そう言い訳をして相手に想いを伝えなくなるのは甘えであり怠慢であると僕は思う。

綺麗な花を咲かせるには、やはり適度な水やりが必要なのだ。

僕の元彼は愛情表現をある程度してくれる方だった。しかしその方法はとても独特だった。

「俺ら前世から一緒だった気がする。この感覚、もしかしたら奈良時代の頃かな。」

なんと返すのが正解だったのか、今でも分からない。

…先カンブリア時代で一緒にミジンコやってた事もありますよ、とでも返せばよかったのだろうか。

僕はもうちょっとシンプルに、お互いを大事にしあえるような言葉を交わし合うことに憧れていた。

恋に恋していた所もあるとは思うが、こうした物差しのズレが重なりに重なり、僕らの関係は終焉を迎えた。

前回記事では、僕が如何にして自分にかけていた呪いを解いたかについてお伝えした。

僕はそのことについてとても感謝しているため、彼とお付き合いしてよかったと心から思っている。

だが、人と付き合うのはそれほど簡単なことではなかった。沢山の悲しい出来事や辛い葛藤があった。

今回の記事では、彼との価値観が合わないと感じたエピソードについてご紹介したいと思う。

物差しのズレ

チャーリープースという歌手がいる。

とてもイケメンだ。

僕の元彼はこの歌手のことが好きだった。
彼は綺麗なものが好きで、自分の見た目が整っている方だということも自覚していたと思う。

彼に好きな人のタイプを聞くと、大抵チャーリープースのようなザ・イケメンを挙げていた。

ある日僕はモヤモヤとした気持ちを抱えながらこう言った。

「僕、その人みたいにイケメンじゃないけど大丈夫なんですか…?」

面倒臭い質問というのは自覚していた。だが、それでも僕は好きな人の口で否定してほしかった。

〇〇(僕)はカッコいいよ、と。
俺は〇〇(僕)が好きだよ、と言ってほしかった。

しかし彼は嘘をつくのが下手だった。
そして、下手なりに僕を励まそうとしたのがさらに追い打ちをかけた。

彼は僕にこう言った。


「〇〇(僕)の見た目は下の上だよ。」


僕は耳を疑った。
傷つく、を通り越して少し面白かった。そんな励まし方がこの世にあってなるものか、僕はそう思った。

「えっ、そっか、下の上…。ちなみに△△(元彼)さんの見た目はどのくらいなんですか?」

「俺は上の下」

間髪入れずに彼は答えた。よく理想の彼氏の条件として"嘘をつかない人"や"誠実な人"という項目を目にするが、正直すぎるのも考えものである。

嘘も方便という言葉をきっと彼は知らなかったのだ。あの釈迦ですら、人々を救済するために時には嘘を織り交ぜたというのに。

裏表のない彼の実直な態度は、抜き身の刀のように僕のことを傷つけることがあった。



ある時、僕は一つの映画に興味を持った。

高畑充希と堺雅人が主演を務める、映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』である。

この映画は鎌倉を舞台にした人間と妖怪の物語で、主題歌は宇多田ヒカルが歌っている。

予告ムービーで宇多田ヒカルの歌にすっかり魅了された僕は、元彼と一緒に映画を見たいと思い彼をデートに誘った。

彼は予告を観終えるとこう言った。

「この映画からは悪い波動が出ている。だから一緒に観に行くことはできない。」

僕は呆気に取られてしまった。

悪い波動って、完全に妖怪が出ていることに影響されてるだろ…。

結局僕はその映画を1人で観にいくことにしたが、どのシーンで悪い波動が出ているのか最後まで分からなかった。

彼は波動の善し悪しを理由に奇特な言動をする事が多く、僕は幾度となくそれに巻き込まれてきたのだった。


一緒に池袋のラブホテルに行った時には、部屋に入るなり

「この部屋には悪い波動が流れている」

と主張し始め、スマートフォン内に予め保存してあった、彼が信仰している宗教の教祖の説法を流し始めた。

しかし部屋の浄化は一瞬では終わらなかったため、結局僕らは教祖の説法を流しながら致すことになった。

正直ムードもへったくれもないシチュエーションだったが、しっかりと勃った僕の息子の妙な逞しさに僕は呆れ返った。

この説法からは正の波動じゃなくて性の波動が出てるのかもね、なんて言葉が脳裏をよぎったが、口に出したら大変なことになるような気がしてそっと心にしまうことにした。

事後、賢者モードに入った彼は、至極真面目な眼差しで天井を睨みつけながらピロートークを始めた。

「…だからね、憲法を改正し、軍備拡張し、国力をつける必要があるんだよ。」

ピロートークでは政治の話題が、BGMでは教祖の説法が展開されているこの状況。

波動云々を感じる前に違和感を覚えてほしい…。虚無に陥りながら、僕は心の中でひとりごちた。


彼は信心深い男だったため、常日頃から日本の繁栄や世界の安寧、人類の平和などに想いを馳せていた。

とりわけ、教祖に対するリスペクトは非常に高く、教祖の誕生日には日頃の指導への感謝を述べる敬虔なツイートを投稿するほどだった。

別に彼が何を大切にしていようが、それは大した問題ではなかった。

ただ、僕のことも大事にしてくれているとさえ思えればそれでよかったのだ。

彼は実質僕の初めての彼氏だった為、僕は恋人にして欲しい強い憧れのようなものをいくつか抱いていた。

そのうちの一つに誕生日を祝ってもらうことが
あった。

だが、誕生日のその日、僕は彼と会うことはおろか、お祝いの言葉をもらうことすら出来なかった。

うっすらとした寂しさで心が徐々に冷たくなっていくのを感じながら、僕はいろいろなことを考えていた。

もしかしたら彼は僕の誕生日知らないかもな、とか。そもそも祝わうことが当たり前とは限らないもんな、とか。でも恋人に誕生日を祝って欲しいと思うことはそんなに悪いことだろうか、とか。

そんなことを考えているうちに、心はどんどん悲しい気持ちでいっぱいになっていった。

それからおよそ一週間が経った頃、彼から一通の謝罪ラインが届いた。

「本当にごめん!一番大事な日を忘れてしまっていた!誕生日おめでとう、本当にごめん!」

大体こんな感じの文章だったと思う。

やっぱり誕生日は知っていて、ただ忘れていただけだったのか。

教祖の誕生日は覚えていて、いの一番にお祝いメッセージをツイートしていたのに。

今までは比べる対象じゃないって思って何も思っていなかったけど、僕、教祖に負けたんだな。

気持ちが徐々に冷め始めるのを感じながらも、僕は返信をした。

「別に大丈夫ですよ、お祝いのメッセージありがとうございます。」

すると彼からすぐに返信が来た。

「今度ちゃんとお祝いさせてほしい、本当にごめん」

お祝いしてくれるつもりがある、そのこと自体は嬉しかった。だが変に期待するのはやめておこうと心に決めた。ガッカリするのは避けたかったからだ。

後日、僕は彼とデートをした。

行きたいところがあると彼が言うので、お祝いされるなら今日かもしれないなどと考えながら僕は彼に着いていった。

彼の行きたい場所、それはラーメン屋さんであった。

回転重視、食べたらすぐに退店しなければならない場所、それがラーメン屋である。

お祝いはきっと今日じゃなかったんだな。

僕はそう自分を納得させながら店に入った。

注文を済ませ、ラーメンが運ばれてくるまでの短い間、ここで彼は素早く動いた。

渡したいものがあるといい、彼は僕への誕生日プレゼントを渡してくれた。

小さな包装紙をあけると、そこには栓抜きが入っていた。

驚いて彼の顔を見ると、彼は満面の笑みでこう言った。

「これでいっぱいお酒飲んでね」

…。

……。

そもそも僕はお酒を飲むのが好きと言った覚えはない。

よしんば好きだったとしても、それならせめて美味しいお酒をくれるとかするべきではないだろうか。

プレゼントで大切なのは何をあげるかではなく相手への気持ちである、という言葉をよく耳にする。

だが、僕は一つの学びを得た。

プレゼントで本当に大切なのはやはり何をあげるかである、ということだ。

本当に相手のことを想う気持ちがあれば、それは必然的にプレゼント本体へと反映されるはずである。

故に僕は声高に叫ぶ。

プレゼントで大事なのは何をあげるかである、と。

「…ありがとうございます。」

僕は落胆の色を押し殺しながらそう伝えた。

彼の満足そうな顔を、僕は初めて憎たらしいと感じたのだった。


こういった物差しのズレを感じることはよくある事だった。
しかし、僕の心が決定的に冷め切ったのは、免許合宿に関するある騒動がきっかけだった。

僕も彼も当時運転免許を持っていなかったため、僕らは卒業までに一緒に免許合宿に行こうという約束を交わしていた。

僕はこの約束をとても楽しみにしていたため、定期的に予定を確認しようとした。

「いつ合宿にいけそうですか?」

だが、何度質問しても彼は

「研究が忙しくてそちらに集中したいから、終わるまでは分からない」

の一点張りだった。

「でもこのままじゃ予約取れなくなっちゃうし、僕も予定があるからせめて日程だけでも…」

と食い下がってみたが、彼は本当に研究に手一杯だったようで、少し怒ったように

「今はその話をしないでほしい」

と相談の余地を与えてはくれなかった。

日程を決める事がないまま年が明けたある日、修論を書き終え肩の荷が降りた彼は僕にこう言ってきた。

「来月のこの日から福岡の免許合宿に行こうと思う。もし〇〇(僕)も来れたら一緒に来て欲しい。」

提示されたその日までもう1ヶ月もない。

僕は遂に堪忍袋の緒が切れた。

「いきなりそんなこと言われたって、バイトや学校だってあるし困ります!」

すると彼は申し訳なさそうに

「ごめん。じゃあ今回は1人で行ってくるよ。」

と言った。

「そもそも、こうならないようにしたかったから僕は定期的に予定を確認していたのに、それを無視し続けて急に予約取るなんて酷くないですか!」

気付けば言葉が口をついて出ていた。

だが彼はごめんの一点張りで、挙句の果てには

「俺にどうしてほしいの、、怒りは手放さなきゃならないんだ」

といった趣旨の発言をした。

彼の言うことは正しいのかもしれない。怒りはぶつけても意味がなく、手放していく必要がある。

多分それは正しい。

だが、怒りを招いた張本人に「怒りは手放さなければならない」と言われるのはなによりも腹立たしかった。

…そうか、だからこの世から戦争はなくならないんだな。

この時僕の脳裏には、彼との別れがチラつきはじめていた。

僕らの価値観はかなりズレていて、僕は彼と一緒にいる為にさまざまなシチュエーションにおいて心をすり減らす必要があった。

彼に僕の何が好きか聞いたことがある。

彼は、〇〇(僕)といると自然体でいれる、と答えた。

この言葉は僕らの関係の歪さをよく表していたと個人的に思う。

こうした発言を聞くたびに、僕は心が冷めていくのを感じた。


ある日彼は唐突に告げた。

「進路のことなんだけど、出家することにしました。でも今までと何かが変わるわけではないし、これからもよろしくね。」

出家とは、彼の宗教団体の職員となり、平和のために人生を捧げることを意味していた。

きっともう、僕のことを優先してもらえることはないんだろうな。

旅行に行くこともできないだろうし、一緒にいてほしい時に居てくれることもない。

−卒業したら別れよう。

僕は心に決めた。

僕は心を無にしながら、今までのお付き合いを振り返り、彼が一番喜びそうな言葉を導き出していた。

「東大生っていう肩書きを捨てて出家するところが、王という道を捨て悟りの道を行くシッダールダみたいですね。」

「そう言ってくれてありがとう!」

彼はとても嬉しそうだった。

それからしばらくして、僕らは学校を卒業し、それぞれの道を歩み始めた。

出家をした彼はとても忙しそうで、なかなか会う機会が作れなかった。

卒業して1ヶ月が経った頃、僕らは久しぶりに会うことになった。

久しぶりに会う彼は、常に笑顔で僕の方を見つめており、時折愛情表現もしてくれた。

だが、何かが違う。
心の中でそう思った。

彼からはあたたかな善い波動が出ているような気がしたし、なんだか居心地も悪かった。

…遂に僕まで波動を感じるようになってしまったな。

僕は心の中で一人笑ってしまった。

僕は感じていた違和感を一つずつゆっくりと言語化し始めた。

「△△(元彼)さんと僕って、感覚にかなりズレがあると思うんです。正直一緒にいて合わないなって思うことも沢山あります。」

「でも△△さんは笑顔を浮かべて僕に好きって言ってくれるんです。」

「僕はなんだかそれが、△△さんが自分自身にその言葉を言い聞かせてるように聞こえてならないんです。」

「前に言っていた『負の感情は手放さなければならない』って言葉を、今も目の前で実践してるような気がしてて、まるで僕とのお付き合いを修行だと考えてるんじゃないかなって気がしてます。」

「お互いの感覚が合わないなら、無理して一緒にいる必要もないかなって思いますし、その…お別れするっていう選択も決してネガティブなものではないんじゃないかなって思うんですけど、どうでしょうか…?」

すると彼は観念したように、少し肩の荷が降りたような表情を浮かべながら僕の言葉を肯定した。

こうして僕らの関係は終わりを迎えたのだった。

奈良時代から1200年以上もの時を超えて続いていたという僕らの関係は、あっさりと終わりを迎えたのだった。



振り返ってみて

話は変わるが、先日会社の同期内で変わっている人ランキングをつける機会があった。

非常に不名誉なことに、僕は同期内で最も変わっている4人のうちに選ばれ、四皇という称号をつけられることになった。

だが僕は思う。
人類は皆変わっているのだと。皆が他人を測るその物差しはそれぞれ違っているのだと。

誰が一番変わっているのかなんて大して重要ではなく、お互いが歩み寄ることができる関係なのかかどうかが肝要であると、そう心から思う。

そして、頭ではこれらの事を理解できていても、やはり僕は思うのだった。

あいつ(元彼)はとても変わっていたなぁ、と。

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