見出し画像

家を装うということ

2024年になって数日後、実家に帰省した。

昨年は年の瀬のギリギリまで仕事に振り回され、年明け早々には胸が苦しくなるようなニュースが続いたことで、精神的に図太めな私も少し心が疲れているのを感じていた。
そんな中での帰省。元気な顔を両親に見せてあげられるだろうかと少し不安を覚えながら準備をしていた。

しかし、蓋を開けてみればそんな不安はただの杞憂でしかなく。
実家の門をくぐるとただただ「帰ってきたなあ」としみじみしたし、両親とは笑顔で接することができた。

私にとって実家とは、ほっとする場所であるのはもちろん、「今はこんな季節だったよね」と思い出させてもらえる場所である。

今の時期だと、玄関先にはお正月飾りがあって、リビングやダイニング、和室など家中の至る所に「お正月」を感じる装飾がある。花瓶には難を転ずるので縁起が良い南天が活けてある。どこを見ても、今がまだ松の内であることを感じさせてくれるのだ。

これはお正月だから特別に飾り立てているのではなく、12月はクリスマス仕様で、お正月も7日を過ぎたら節分と桃の節句、お雛様仕様に装いを変えていく。春先には桜尽くしで、端午の節句には兜を飾り、梅雨の季節には紫陽花モチーフの飾り小物を置いている。
年間を通して、家の中にいながら季節を感じられるのが我が家なのだ。

実家の装いを季節ごとに変えているのは母親だ。

実家に住んでいたころは、こうして季節ごとにプチ模様替えとも言えるようなことを月1ペースで行う母のことを毎度よくやるなとしか思っていなかった。
こうして書いているとさぞかしマメな母なのかと思われそうだが、決してそんなことはない。母はわりとテキトーなところもある性格の人だ。
だけど、この季節ごとに家を装うことは今の家に建て替えてから20年以上、私が知る限り、母が病気で伏していた時期以外はほぼ毎回欠かさずに行われている。

かくいう私はズボラで大雑把な性格なので、こうした季節のこまごまとした装飾品をひとつひとつ丁寧に仕舞っておくのも、年に一度のシーズンのために取り出して飾り付けるのも、飾っている間のお掃除も、どこをどう切り取っても煩わしいだけだとずっと思っていた。母の趣味が1ミリも理解できなかった。

だから、大学に入って初めて一人暮らししたときも、社会人になってからも、あらゆるめんどくさいを排除するために、クリスマスツリーすら飾ってこなかった。そもそも部屋が狭くて、季節を彩る装飾物を置く物理的スペースも季節の装飾品のための収納場所もなかった。
部屋が狭いのは仕方ないことだし、卓上の小さなツリーすら飾れないことを残念だと思う感性も持ち合わせていなかったので、なんの不満も感じずに生活していたのだ。

そんな私が考えを改めたのはつい1ヶ月ほど前のことだ。

仕事でたまたま子育て世帯が多く住む住宅地を歩いていた。12月に差し掛かり、多くの家で玄関ドアにクリスマスのリースを飾っていたのだ。リースを飾るだけではなく、軒先の鉢植えにサンタクロースやトナカイモチーフの飾りをつけたり、電飾で庭を彩っていたりしているお宅もあった。

その景色を見た時、心の底から思ったのだ。

家を季節ごとに装い彩ることは豊かさの証なのだと。

だってめんどくさいもの。
飾りつける手間も、季節がすぎたら片付けることも、収納スペースをとることだって、すべてがめんどくさい。
それなりの金銭的余裕や、収納スペースを確保できるだけの生活空間がないとこれらは成り立たない。
時間に追われ、目の前の生活に必死になっていると、いつの間にか季節は移ろいあっという間に年末になる。

自分が季節に合わせて着るものを変えるように、自分の住空間も季節ごとに装うことは、心にゆとりがないとできないことなのだと唐突に気がついた。豊かさな暮らしを私はさせてもらっていたんだ。

これに気がついた瞬間、どうしようもなく実家の空間すべてが愛おしくなった。
季節ごとの飾り付けを大変だ大変だとこぼしながらも続けてきた母の背中を思い出した。

そして私自身も、狭い家の中でも簡単にでいいから季節ごとになにかしら装う生活をしていきたいと強く思った。あこがれた。

私は母の振る舞いのおかげで、季節を感じる素養のようなものは無意識のうちに身についているはずなので、あとはそれを自覚して行動に移せるかどうか。

なんとなく過ぎる季節をあとから懐かしむのではなく、その瞬間、瞬間に味わいつくしたい。
季節を楽しむ手段として、少しずつ、家を装うことを私も始めていきたいな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?