20代のころとは明らかにちがうのだ

端的に、「体力」が落ちた。
毎年2~3月は地獄の6連勤1休ループをここ5、6年ほど繰り返しているのだけど、この5年の間に20代から30代へと年を重ねており、この時期が一番己の加齢を感じる時期だ。

とにかく疲れる。疲れがとれない。
正直、仕事が毎日激務!!というわけではない。メリハリをつけて集中してやるべき時にガーッと仕事を片付けて、あとはゆったりと仕事をしている日がほとんどだ。
幸い、職場の人間関係にストレスもさほど感じていないし、朝晩あわせても残業時間は1時間弱ほどで済まされている。通勤ラッシュなどというものとは無縁の車社会であるド田舎に住んでいる上に通勤時間も短い。恵まれているほうだろう。そんなのわかっている。
それでも疲れてしんどいものはしんどいのだ。

一日8時間労働とはいうものの実質的な拘束時間は10時間弱にも及ぶわけで。
朝起きてごはんを食べて仕事へ行き、1時間の休憩を挟んで午後も働き、夕方に帰宅する。帰宅したらすぐにごはんを食べて、お風呂へ入り一息ついて、お風呂上りは軽めのストレッチやら運動をする。
ここまでのルーティンをこなすと、もう自分の中の気力というゲージがすっからかんになっていて、もうなにもしたくない状態になる。
平日は趣味の時間を減らし、いつもより睡眠時間を多めにとって体の休息を優先しているはずなのに、週の後半は毎週ゾンビのようにげっそりしている。

28歳のころ、初めて自分で白髪を発見するまで、己の加齢を身をもって感じる機会がなかった。
25歳はお肌の曲がり角、と聞いていたけどそんな実感も特になく20代を終えて、明らかに曲がり角迎えたな!?と感じたのは30歳を半年ほど過ぎたころだった。顔の小じわが増えていた。

加齢を身をもって感じるようになってからの変化のスピードはすさまじい。
少しでも体力をつけようとダイエットを兼ねた軽めの筋トレや有酸素運動をしてみたり、美容医療に手を出してお肌のコンディションを整えたり。
必死の抵抗をしているが、ふとした瞬間に「老い」は私のすぐ傍に控えていると気づいてしまう。

体力をつけようと運動をがんばれば、その後反動で疲れて休憩をしっかりとらないと体がだるくなってしまう。体力をつけたいのにかえって調子を崩してしまうのはきっとやり方が悪いのだろうが、どうしても本末転倒と思う気持ちが沸き上がる。切ない。

最も老いを感じるタイミングは、週に一度の休日、日曜日だ。
週に一度の一日自由に時間を使えるご褒美デーのはずなのになんてことだと思ってしまうが、仕方ない。

これにはちゃんとした理由がある。
週に1度しか自由に使える日がないため、この貴重な貴重な1日を次の6連勤に備えてしっかり体を休めるために使うべきか、それとも精神的な充足を得るために使うべきかで二者択一の選択を迫られるのだ。

これが週休二日であれば、片方で体を休めて、もう一日で精神的な充足を得られるよう趣味や好きなことに時間を使うことができるだろう。
だがしかし、私の生きる現実は週に1日しか休みがなく、6連勤の疲れはここでリカバリーしておかねば生きてはいけぬ世界なのだ。

体が疲れていれば、その後のありとあらゆるパフォーマンスに影響を及ぼす。
私は寝不足が大敵である。寝ないでがんばるということは20歳前後の一番元気に遊びまわっていた時期ですらできた試しがない。

余談だが、20代半ばのころに付き合っていた7つ上の彼氏が、「今まで深夜2時とか3時とかまで起きてゲームして、次の日も仕事だから朝は5時、6時起きしていたのをやめて早寝するようになったら、めちゃくちゃ体軽いし、頭の回転もよくて仕事はかどるんだわー。睡眠ってまじで大事なんだよな」と言っていた。
あの頃の私は、そんなもんなのか?くらいにしか思わなかった。まあ睡眠って大事だしね。うんうん。
しかし、当時の彼の年齢に近づきつつある今、身をもって「わかる…わかるよ…」と本当にこの発言は真理だったと首がもげそうになるくらいうなずいてしまう。睡眠で得られる効果はすさまじい。年を追うごとに感じる。

とはいえ、体の休息を優先するあまり、ほかにやりたいことをすべて諦めていると好奇心旺盛な私は心が死ぬのだ。心臓が動いているだけで、生きる喜びを感じられなくなる。
やりたいことはたくさんあって、選ぶ気ならやりたいことに時間を使うという選択肢もとれる状況下において、クソのような一日約10時間拘束で6連勤に備えるために、毎週己の好奇心を殺す選択をするのは人生が楽しくなくなる。

私が最も老いを感じる瞬間とはつまり、精神的な充足と肉体的な回復を同時に成し遂げられなくなったことなのだ。

白髪を見つけることも、顔の小じわが増えたことも、前と同じダイエットをしてもなかなか変わらぬボディラインと体重にがっかりすることも、食べたいと思うものと胃が受け付けられる食べ物が一致しないことも、どれも5年前の私にはほとんどなかったことだ。
今、若者と中年の過渡期にいる私は、それらの瞬間に立ち会うたび、ちいさな戸惑いを感じて、その後なんとか前向きな諦めに切り替えている。人間生まれた時からずっと歳を取り続けている。

精神的な充足と肉体的な回復。これらの両立が成し遂げられないことにもどかしさを感じるのは今だけなのか。それとも今後も続くのか。
おそらくずっと続くことなのだろうという諦観がある。
それならせめて、選べることが少なくなる分、選んだ選択肢を全力で楽しみ尽くせる自分に少しずつなりたい。好奇心を殺さず、肉体的な疲労とうまく付き合う方法を今日も私は探し続ける。

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