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【保存用ログ】ワークショップ第09回[20200601-0607]『公教育のデジタル化』【テーマ型】

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konchan
おはようございます。今週の担当のkochanです。非常に大きなテーマの後で恐縮ですが、僕自身の勉強のために、みなさんに意見をいただきたいと思っています。学校現場に今すぐにでも反映させていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

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にしむらもとい
はじめにひとことだけ
この文脈のデジタル化よりは一般的な話になってしまいますが、「反転教育」という言葉が昔少し流行りました。授業よりも先に、各々が事前にビデオ教材などで十分な予習を済ませておき、教室では解説講義はせず主に課題に取り組むというあり方ですね。初学者が入り口で一定の学びを獲得するまでの時間にはかなり個人差がありますので、その段階を教室で横並びにやるのはわりと無理があって、そういう意味で反転教育には意味があると思います。ビデオ教材が絶対的に良いということではなく、各自のペースで予習を済ませてもらうことでスタートラインをある程度揃えられるなら、そういう利点はあると思います。もちろん、生徒がしっかり予習する前提にはなりますので、予習させるために、現場ではそれなりの工夫は必要になってくると思いますが、理屈としては、僕は教室でダラダラ一方的に解説講義する授業はいずれ時代遅れになると思っています。生徒は知らない。先生は知っている。だから「教育」が成立する。それは少しばかり非効率かなと思います。生徒も先生も知っている。知っている前提で、一緒に課題に取り組む。先生にはスキルが求められるかもしれませんが、それが「教育」だろうという気がします。そういう観点で言えば、教室は先生があくせく必死で授業をする場所ではなくなって欲しい気がしています。教室では、先生は生徒のフォローをしながら一緒に課題に取り組む。むしろ、予習がうまくいっていればいるだけ、教室では先生はすることがなくなってしまうくらいが良いのかなとも思います。
以上は、理想的にはそうあって欲しいという話であって、現場で実際に取り組むには難しいハードルはたくさんあると思います。勉強といえば、「知識を詰め込んで後は復習」というのが、一般的なイメージだと思いますが、せっかく生身の先生と対面しているのに一方的かつ機械的な講義を聞かされる時間を、学生時代の僕はずっと無駄に感じてました。いまこの時代だからこそ、無機質なテクノロジーのテコを効かせることで、逆に生身の先生の価値が引き出されるような教室になることを期待しています。
現場で何をどの程度取り入れられるのか僕には想像もつきませんが、何かのヒントになれば良いなと願って少しだけ考えを書き残しておきます。

■2

A
公教育のデジタル化、私はネット授業に関する観点から意見を述べさせていただければと思います。
ネット授業で、カリスマ講師の授業を受けられるようになることは大いに賛成で(やはり授業のクオリティが普通の教師の方とレベルが違う!)、大学受験にも役に立つし、知識の幅を効率良く広げられると思います。
コロナ化でどのようにネット授業が取り入れられたかは存じませんが、クオリティの高いネット授業を受けることを学校側がサポートしてくれれば、勉強頑張りたいけどどう頑張れば良いか分からない生徒(かつての私笑)の大きな助けになると思います。
懸念点は、動画授業をどれくらい個々人がしっかり受けているか、そこの把握、サポートの難しさだと思います。
「ただよび」を引き合いに出しますが、やはり最初の再生回数は多いですが、講数が進むにつれ再生回数が少なく(それもかなりの割合で)なっていっています。
動画授業だと、前の動画を見ていることが前提でどんどん動画が再生されていくので、一度ついていけなくなったら動画を見るのをやめてしまうのでこのような現象が起きていると思いますが、これと同じことが学校の動画授業で起きてしまうと、学習の進捗格差がエグいことになってしまいそう。。。
予備校と違い、学校は学習ということにあまり力を入れていない家庭の子供に学習の場を提供し、サポートしてあげる役割、責任があると思うので、そういう子(つまり動画授業を全く見なくなってしまう子供、もしくは動画授業なんて見なくていい!と親から言われてしまうような家庭の子供)をどうサポートしてあげるかが大きな課題になると思います。

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kochan
@にしむらもとい 反転授業は、現場の教員にはかなり抵抗があるようです。おそらく所長がおっしゃるようにお互いにある一定まで知識を入れた状態で行うため、教師の役割がなくなるのではないかという恐怖心が見え隠れしているように思います。また、予習を前提とするため、生徒側がどれくらいの割合で取り組んで来てくれるのか未知数であることが、導入をためらう要因になっていると考えています。
ただ、やはり教師が一方的に講義する形式は廃れているだろうと実感します。優良なビデオ教材の存在が休校期間に周知の事実となり、わざわざ学校の先生のペースに合わせなくても自学で進められることが分かってしまっているからです。しかし、その一方で動画だけでは自分でペースを作るのが難しく、結局従来の授業の形を求めている生徒もいて、どういう方向性が正しいのか見えない状態であります。
教師はプライドの高い集団ですので、従来の方法を変えることを極端に嫌っている気がします。どちらにせよ、従来の方法で結果を出せていないにもかかわらずです。 

■4

kochan
@A 1クラス40人に対して、中間層をターゲットに授業を作っている学校と、動画教材で万人に向けて作っている動画では内容的に大差ないと個人的にも思います。授業中に、別の講師の授業を流して、解説を加えるという方法も聞いたことがあります。そういった柔軟(?)な、ある意味投げやりな手法の方が生徒は効率よくインプットしていけるのではないかと感じています。ただ、ここでも邪魔をするのは、教師が生徒に教えるべきという固定観念と、揺るぎないプライドだと思われます。本当に良い効果があれば納得してもらうことも可能かもしれませんが、闇の中を進んでいるようにも感じます。

■5

B
すこし本題からそれるかもしれないのですが、教育の結果ってどう測るべきものでしょうか。
進学校でしたら単純に進学実績が分かりやすいかもしれませんが、普通の小中学校などでは中々結果を測ることは難しいような気がします。
小中高あるいは進学校、専門校などそれぞれでの目標となる成果の見える化が先立つと、手段としてのデジタル化の功罪も判断しやすくなるかなあなどど素人ながら思いました。

■6

C
今後、ある程度それぞれの人に合った教育を提供しょう的な未来になりそうな気がするのでデジタル化が進みそうな気がします。
義務教育ならばある程度「保護」を意識した教育を提供するべきだと思いますが、高校以上はより生徒が主体的に受けられるシステムだと良いなと思います。もっと選択できるような感じです。
一方的な授業についてですが、高校のとき、究極に一方的な政治経済の授業がありました。その先生は決して生徒の方を見ず、常に教室の後ろの壁に授業しているようでした。世界史がご専門のようでしたが、異常に異常に専門的でした。懐中時計を常備しており、アンティークな見た目をしてました。要するに、自分は大好きでした。
AIやらデジタル化が進んで、効率などを重視したりしたら、あの先生の授業は抹消されるのでは、と心配したりもします。ほんの一部の人には好評の授業だったので、受験的、機械的な授業よりも、先生の個性、学問に対する愛などが垣間見れる授業を望んでいる人もいるのは事実だと思います。

■7

D
僕も実は高校時代は癖の強い先生ほどより好んでいました。反転教育が理想的に進んだときは確かに効率良く学べるかもしれないけれど、正直なところ現在の学校に反転教育を持ち込むのは厳しそうだなというのが個人的な意見です。理由は生徒の問題です。僕の周りの友人を見ていて、タブレット渡されて「取り敢えず自由にある程度知識入れといて〜」と言われるよりノートを強制的に50分取らされる方が総合的に見てよく学べるだろう人が多いように感じました。だからこそ今まで通り無難に変わることなく同じ形態である程度は進んでいくのかなと思います。
また日本中の高校生の全員が全員、将来5教科7科目を武器にして生きていく訳では当然ありません。だからこそ同じ教室で同じ黒板で授業をし、時に癖の強い先生の真似をして笑い合うような「余剰」も大切なんじゃないかと思いました。(デジタル化が進んで癖の強いアバター的なやつをみて笑い合う時代がもうそこまで来てる

■8

kochan
@B  おっしゃる通り、教育の成果みたいなものは目に見えるものではなく、非常に曖昧なものだと思います。全国学力調査のようなものが成果として考えられていますが、それも正しく学力を測れているのかはわかりません。逆に成果がハッキリとしすぎると、営利目的の教育がはびこる世の中になる危険性も含んでいるとは思います。

■9

kochan
@C そういう率直な意見はありがたいです。僕自身も研修等に出かけるとき、「少しでも多くのことを学びたいし、教えてほしい」と願って、研修場所へと出向きます。そこで、グループワークのようなワークショップをされるよりも、知識の伝達でいいからとにかく新しい情報が欲しいという気持ちが大きいです。学生側も同じなのでしょうか?ただ、高校レベルだと恐らく授業に対してモチベーションの低い生徒も多く、一方向的な授業を望んでいない(眠くなる)生徒がいるのも事実であると思います。僕自身の経験から、どんな数学の話も口頭では伝わらないのを実感していますし、グループワーク等のワークを楽しんでやっている姿も目に焼きついています。つまり、教育を受ける側のモチベーションが、デジタル化の成果に大きく影響しているということでしょうか。

■10

kochan
@D 授業受ける側も、きっとそういう授業を中心に受けてきたし、それである程度分かったという実感を持っているからこそ、黒板とノートの授業の方が受け入れられやすいのはありますよね。デジタル化により、全教員が同じ形で授業を進めていたら、ある意味個性が薄くなるのかもしれません。(それはそれで個性が出る?)
非効率なものが与えるよい影響みたいなものについても、考えていく必要がありそうですね。デジタル化が進めば確かに先生の姿さえ、アバターに置き換わるのかも?(つい先日所長がやっていたように)

■11

E
反転教育やビデオ授業によって自分の速度で学べるという点で公教育のオンライン化はメリットばかりであろうと思いましたが、皆さんの仰るとおり、勉強に熱意を持つ生徒は自分で勉強の効率化やより良い学びを求めて塾に行ったりするでしょう。公教育は万人に対して教育を施さなければならないから公教育であって、たいして勉強の意欲のない人にこそ勉強をさせることができるというのが公教育の本質だと思います。
そういった面で言うと、従来の授業ではできなかった、直感的で面白いアニメーション(微分の説明、化学実験の大爆発etc)の導入というのは勉強に対する興味を大幅に引き上げるのではないでしょうか。これ即ち義務教育の勝利。
また、学校は単に勉強をする場ではなく、友達との関係を学ぶところでもあると思うので強制的に家にいながらじゅぎょうをうけさせるようにするのは反対です。

■12

F
大枠としては、デジタルなデバイスを教育現場に持ち込むことは大いに賛成です。手段に可能性が増えることは基本良い影響を及ぼすと思います。
例えば生徒がタブレットなどでノートを取ったり、授業中ネットにアクセスして調べることも近い将来許容されるようになるんじゃないかな〜と思ったりしています。
これが許容されにくいのは「ガラパゴスな教員が理解できない」ことや「ゲームを授業中にやられたらどうする!」といったことからなのでしょうが、遊ぼうと思えばアナログでもお絵描きなどして遊べますし、世代交代すれば今の若い世代が教員になるので、結局のところデジタル化は不可逆的に進むと予想しています。
しかし、先生側がデジタルデバイスでどんな授業をするかということになると話は別で、
今まで以上に多様化する教育法によって、その教え方が合う生徒と合わない生徒との差が露骨に開いてしまう恐れがあると思います。こういったことを考えると自分はもはや今のようなクラス分けが時代遅れだと思っていて、受けたい授業を各自選ぶような選択授業の制度を義務教育でも取り入れていくべきかなと思います。(反転授業するかしないかも含めて)

F
一つ言いたいことを思い出したので追加です!
教員をやっている方に学生目線での質問?というかお願いです。
最近保護者の間のグループメール(LINE)などをクラス単位で作成することが増えてきていると思います。それなのに、「配布物を子供の手にしか渡さない」のには何か妥当な理由があるのでしょうか?
別にそれ自体は構わないのですが、自分自身配布物を親に渡すのを失念しがち(カバンの奥底でゴミになっていがち)な少年だったので、電子媒体でも同時に配布すればwinwinなのになぁとずっと感じていました。
「技術的にメールが見れない人がいるから不公平!」は理由として弱いと思います。(配布物が確実に届く人数が増えることはメリットしかないはず)

■13

G
・純粋なオンライン化について(教科書・ノートの代わりにタブレット)
Fさんと同じ意見です。
プリントを大勢の分印刷することによる先生側の手間を省き、また、おっちょこちょいな私みたいな学生がよくやる大事なプリントを無くす、必要な教科書を忘れる、といった惨劇から生徒を守ることができるため、iPadのような電子機器を使った学習は先生・生徒共にメリットがあるので、早く実現すればいいのにと思います。ただ、iPadのような汎用タブレットを渡してしまうと、誘惑が多いですから、機能が制限された学習専用のタブレットにしてもいいと思います。
・授業のビデオ化
高校であれば、通常先生は基本的に複数のクラスを受け持って、ほぼ同じ授業を複数回、クラスごとに行います。少なくとも「伝達型」の授業に関しては、先生が同じ内容の授業を繰り返す事は非効率でないかな。と思います。また、教科書が変化しない限りは、年単位でも「繰り返し」が一部発生して、そこも非効率かなと思います。(これに関しては実際に指導をしておられるkochanさんのご意見をお聞きしたいところであります。)
なので、オンライン授業を丸々外部に委託する事は流石に抵抗も大きいところだと思いますから、個々の学校の先生の授業を映像化して、ストレージしていくところからでもいいのかなと感じます。そうすれば学校に通えない生徒も見ることができますし。
・オンライン化とは独立して存在する教育問題
教育格差、できる生徒と苦手な生徒に対してのアプローチの問題については、それが教育のオンライン化をすることによって直接解決されるようなものではないように思います。
この手の問題を解決するためには、学力による階層分け(できる生徒と苦手な生徒を一緒にしない)と、苦手な生徒に対するオフラインでの個別のフォローが必要だと個人的には考えていますが、現状先生への負担が過大になるため、なかなか実現していないのかと思います。なので、上に挙げた「授業のビデオ化(効率化)」で先生の負担を減らしてから、余ったリソースを苦手な生徒へのフォロー(もしくはもっと学びたい生徒への対応)に費やす、というのが理想論ではありますが望ましいと思います。
ただ、やはり上記のような「教育改革」は、改革が終われば効率的になると思いますが、移行するための労力がかかりすぎて、(先生は通常業務に「加えて」改革業務をする必要があります)できない、というのが実情だと思います。ですので、メリットデメリットを論じるのに加えて、どうすれば現場の負担少なく改革を実施できるかを考えることが一層重要であると思います。

■14

kochan
@E 公教育というものは、やはり万人に平等に与えられるべきだという基本スタンスはありますよね。勉強のモチベーションの低い生徒たちに対してこそ、勉強させていくのが公教育の役目というのは、確かにそうだなと思いました。しかし現実は、そういう生徒ほど置いていかれがちであり、やる気をいかに引き出すか、のようなところまでは考えていないのが現状のように思います。(やる気のある子を、いかに伸ばすかというところに重点を置いている気がする。すなわち、教師も楽な方に逃げている。)
学校は間違いなく仲間を作る場所であり、集団生活を体験する場であるので、学校の価値はそこに見出していくべきかなと僕も思います。

■15

kochan
@F iPadをノート代わりとして使ったり、授業中生徒が自主的にオンラインで調べものをすることも、本当に近い将来可能になります。しかし、この状況でも尚ガラパゴス教員は多数いて、受け入れられない態度を示すものもいます。
大学のように選択科目を増やすのも1つの可能性ですね。ただ、これには文部科学省が介入する必要がありますね。
デジタルデバイスで授業を進めることに、受け手側が積極的になってくれるとよりよいですし、そもそも学習効果が高まるのかどうなのか、効率重視だと割り切ったほうがいいのか、未知数なところがあります。
保護者への連絡をオンラインに、という話ですが、これはすでに実現可能です。実際に僕は学級通信などを保護者向けに配信しています。なかなか読んでもらえないですが。笑
ただ、それも一部の教員だけであり、保護者向けの文書は基本的に生徒経由ですね。改善の余地があると思います。

F
保護者への連絡をオンラインでしてくれる教員と出会いたかったです、、、、、、(僕が中学生とかの頃は時代が追いついてないからかもしれませんが)
kochanさんのような教員が多数派になったらいいなと切に願います、、。
たぶん上の世代を説得することはほぼ不可能で、時代の移り変わりを待つしかなさそうですね。逆に移り変わってしまえば制度も不可避的に変わっていくという気がします。

■16

kochan
@G 通常授業のビデオ化による効率化はとても魅力あると思います。僕も常に考えているところであります。ただ、気になるのは通常の50分の授業では、実際には見ていて無駄な部分(演習時間とか)も多く、丸々映像化すると容量がデカくなるだけで、結局見てもらえない危険性があると感じます。つまり、ある程度編集作業が必要になるのでは?と感じているところです。しかしながら、にしむら所長がライブ配信しておられ、それを惜しげもなく全編をYouTubeで公開して、それを楽しみに見る視聴者がいる以上、50分まるまるでも価値があるかもとも感じています。つまり、未知数だということです。ただ、なんらかの形で動画に残すのは良いと思っているので検討しなくてはいけませんね。
学力差を前提とした個別のフォローは本当に重要で、全体の中ではピックアップできない質問対応こそ学習者にとっては価値あるものだと思っています。今はClassiというクラウドサービスがあり、生徒と多少なりやりとりできるようになりましたので、そのあたりを駆使して個別フォローは出来ます。
おっしゃる通り、教育業界の既存の方法を変えていくのはかなり大変です。答えがないだけに、従来の方法にしがみつく人が多いからだと感じます。しかし、時代が変わっても教育のあり方が変わらないのは問題点が多いはずなので、変えられるときに変えていかないといけません。

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B
@kochan
思いつき質問なのですが、例えば公立高校で実際に授業の時間に予め撮った映像を流して、それを「授業」とみなすことは現行既に可能なのでしょうか?

■18

kochan
@B いけますね!ただ、一部の個人レベルでやってる規模ならOKな気がする、という感じです。学校全体でそういったことに取り組もうとすると、どうしても管理職を交えた上層部の会議にかけられ、おおよそ却下されるというのがオチです。笑
一部の先進的な学校では、反転教育が盛んなところもあり、すなわち動画が授業の一部になっているところもすでにあるはずです。

B
ありがとうございます!
なるほど、組織の問題があるわけですねー
自分が偉くなったときに変える、というんじゃあ息が長すぎますもんね。
会社と学校では違うかもしれませんが、頭の固い上層部をいかに動かすかというのは私も日々頭を悩ませているところです。
Kochanさんの学校の上層部って教育委員会や理事(私立?)などより上位層から明確な達成目標を課せられたりしているものなのですか?
重ねての質問で申し訳ありません。

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kochan
@B そうでしたか、業種は違えど同様の悩みを抱えておられるんですね…。個人では動けても、全体を動かすのは本当に難しいです。自分では正しいと思ってやっていても、他人からみればそうではないこともあるようで…。
公立学校には達成目標というのはないですね。アバウトな感じで、こういう学校を目指せ的なのはありますが、ほとんどその学校に任されているのが実情であり、基本的には学校の管理職権限で色々進められるはずなんですがね。笑

■20

B
目標を持たない人間を動かすのが一番難しいですよね笑
大阪市が公募校長制度を導入してますけどどうなんでしょうね。間違いなく何らかの改革精神を持たれていると思いますが、現場を知らない新校長への風は冷たいとも聞きます。
ボトムアップでデジタル化改革を進めようと思うと、まさにガッツリと政治ゲームを仕掛ける覚悟が必要な気がします。
僕なら声のデカい上層部を飲みに誘うのがファーストステップです笑
ベロベロになってからが勝負です笑
小賢しいリーマン発想ですがやっぱり対人間で地道に向き合って変えていくしかないのかなと感じました。
でもイチ教員の方にそこまでさせる社会ってどうかとも思いますが・・

■21

E
本当に些細なことなのですが、小中高とペン・紙で全てを賄っていた書生達が、大学生になった途端パソコンを買いデジタル化に足を踏み入れてることに気がつきました。大学は公教育とは言えないかもしれませんが、この社会的な心理的傾向に何かデジタル化へのヒントがあるかもしれませんね。

■22

kochan
@B 大阪の民間校長ですね。その一人に元大阪府立箕面高校校長で、現武蔵野大学中学・高等学校の校長である日野田直彦さんがおられますが、この人はかなりの改革者です。着任して2〜3年で海外大学進学者を激増させたり、学校の図書館をgoogleのオフィスみたいにしてます。彼はかなり理想主義的なところがありますが、新しいことに踏み込むのは民間人ならではなのかもしれません。
お酒によるコミュニケーションは大切ですよね。今コロナの影響で飲み会が全くないので困っています。笑
いろいろアイデアを実行し、全体へ反映させていくのはやはり難しいですね。

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kochan
@E それhは本当にそうです。高校では基本的に紙とペン。大学では急にofficeを駆使するように詰められる。接続的な何かが存在していないので、かなり厳しいものがあるように思っています。どうにか少しでもその矛盾を埋めたいですね。それこそ、パワーポイントを使ったプレゼンテーションみたいなことを積極的にやっていってもいいように思います。

■24

H
教育のデジタル化についてですが,もし完全に学校をヴァーチャル化すると「ほぼ同年代の人間を同じ場所に集めた結果できるつながり,コネ」ってのがどう変化していくのか,ヴァーチャルでもそういう関係は構成されるのかされないのか旧世代の人間として気になります.やっぱり机を並べた人間との関係って社会になってからも重要だと思っていて,そういう人脈から仕事が降ってきたりとかいろいろ利点もあるので.ただ,これは浪人していて梅田の河合に通っていた頃,それこそリアル講義を提供する予備校みたいなサービスはお金持ちが取る,それこそ英国のパブリックスクールみたいな「贅沢な」手段となり,普通の人の学習環境はどんどんヴァーチャル化していくんじゃないかと思っていました.
まぁ今の日本でも階級は再生産され固定化されつつあるのですが,もしリアル講義による学習環境の提供,及びそれに基づく人間関係を構築させるサービスとヴァーチャル学習環境と教育環境が二分されたらもっと階級は固定化されると思いますね
ちなみに,小学校では確か総合の時間でPowerPointを使って発表する時間がありました.(確か「日本海海戦」ってテーマでスライド作った記憶があります…(笑) )
小中高とも公立でしたが,中高ではPowerPoint使って発表する授業とかなかった記憶がしますね.PC使って調べてテーマをワードでまとめるみたいなやつはあったかな?ただ同じ高校の理数科みたいな人たちはポスター作って発表する授業があったはずなので学校,及び学科によって大きな違いがあるのかもしれません.

■25

H
大阪の民間校長ですが,最近どうなっているのでしょうか.数年前はあんまりいい評判は聞かなかったのですが.
まぁ,先生の大半が学部を出てそのままずっと学校現場にいるという状況も知識のアップデート的な意味であまりいいとは思えないのですが,いくらやる気があってもいきなり民間から教育現場にいくのも無理な話な気がします.

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kochan
@H 確かに、完全にデジタル化が進んで、対面での授業が消滅していったとしたら、結果として学校の役割を根本から見直すことになりそうですね。仲間を作ってコミュニケーションを図っていくことに大きな価値がある場だと思いますが、それさえもデジタル化という未来があるのでしょうか。これについては、「不易」に当たるものかもしれませんね。授業のデジタル化は大きく進むと思いますが、やはり対面での授業は今後もなくなることはない気がしてきました。
理数科ではポスターセッションをよくやってますね。課題研究を進めている学校では結構やってます。
民間校長は確かに、その日野田さん以外は正直あまり聞かないのでよくわかってないです・・・。学校の人間には保守的な人間が多いので、型を破る方法として民間人を登用するのはよい方向に動く可能性はあると思っています。とにかく現状維持タイプの人間が多い(ある程度自分もそうかもしれないが)ので、革新的な発想でどんどん面白そうなことを推し進めてくれると、とりあえず前には進める気がします。

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kochan
【まとめ】
遅くなりましたが、みなさんありがとうございました。学校のデジタル化が進んでいく中で、正直思い切って進めたい気持ちと、生徒にとって不必要なのでないかという不安とが混ざりあった状況でしたが、率直な意見をいただき、デジタル化を自信を持って進めることができそうです。
アンティーク調の教員の話が出ていたように、不易というものもやはり存在することがわかりました。ただ、それはそれでまた新しい形として発展していくのではないかとも感じました。
ここで議論していただいたことを、少しでも現場に生かせるようにしていきたいと思います。考えにくい拙いテーマでしたが、色々とご意見頂きまして本当にありがとうございました。

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