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【保存用ログ】ワークショップ第16回[20200720-0726]『菊と刀』【読書会】

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■1

バックれ
おはようございます。今回の課題図書は少し長いのでゆっくりいきましょう。
よろしくどーぞ。

■2

A

●本文引用
「東洋の諸国民は、これ(過去に負い目を感じない見方)とは逆の見方をする。彼らは過去に対して負い目を感じている。」「子どもに対する義務は、『親に負う恩』の一部に過ぎないのである。」

この事実が東洋に限って顕著であることには驚きました。前に行ったワークショップにて贈与論に触れた際、この考え方は人間一般に通用する考えだと紹介されていたからです。人からのありがたみを「負債」としてある種不快に感じる感性や、恩着せがましい人間が嫌われる理由など、「菊と刀」の中で日本人独特の感性として語られているものは、贈与論では人間一般のものとして語られています。前に扱った贈与論の本は意図せずして東洋の価値観を強く投影してしまっているのでしょうか。
前に扱った贈与論は、東洋に限っては菊と刀での言説をより強固にしてくれるソースになると思います。「東洋限定だ」という特殊性は弱められることになりますが。

バックれ
恩についての章では贈与論がチラついてきて面白いですね。これが東洋的だという著者の指摘は確かに困惑しますが、彼女自身が述べている通り「当たり前すぎて自分で気付いていない」のかもしれませんね。贈与論をしっかり読ませた上でまだ東洋的だというかどうかは気になるところです。

■3

バックれ

●本文引用
「事故があったとき、日本の街頭には人だかりができる。だが、群集は手をこまねいて何もしようとしない。それは別段、率先して行動する力を欠いているからではない。一般人が無用の手出しをすると、助けられた側は恩を負うことになる。」

この困ってる人に対して手をこまねいているというのは現代日本でも残っているのではないでしょうか。助けられた側に恩を着せてしまうからという点には私としてはハテナマークもんです。昔からのその考えが形骸化して形だけ残ったように思います。
電車とかでも子供や美人に席を譲るのは少し憚ってしまうのがいい例ではないでしょうか。え?ワイだけ?
学校の先生が外国には優先席的なのがない国もある、と言っていたのも今回思い出しました。わざわざ優先席というのを作らなければいけない日本の状況をなげいていました。先生ェ…

■4

バックれ

●本文引用
「自分の子どもを対象とする場合ですら、ひとたび重い恩を着せると、危険を覚悟しない限りみずからの方針を変更することはできない。迂闊に恩をほどこしたりすると、後々それに苦しめられるということを心得ておくべきである。」

本文の父と子の例に限って言えば、このような”立派な父親”として与えた恩には立派な父親として恩返しをもらわなければいけないという考えは少なくなったのではないかと思います。父親という応分の場で立派という義務を果たせなかったから子から批判を受けると言ったところでしょうか。この風潮が薄いと考えると、家族間での応分の場を果たす義務というのが薄くなっていると捉えることができ、戦後の家族の上下関係の変遷に確かに合致していると考えることができます。

■5

B
後から見直すと本題とズレた気がしますが↓
ほとんどまだ読めていないのですが考えたことを投下します。読めていない自分がいうのもなんですが、現代における日本の文化を見直すきっかけとして良いものだと思いました。
ある時、いくつかの日本の大学の入学式において日本人の学長さんが英語で祝辞を行ったり、授業をすべて英語で行うといったものを見かけたときに違和感を感じました。個人的にグローバリゼーションといったものは形式的なものだけではなく、各々の人間が内面的にグローバル化することが不可欠のように感じますが、どうも形式的なものが多いため、一部の文化が破綻したり、逆に自国第一主義的思想が台頭することに少し恐れています。とはいえ、このグローバル化は止まることはないように思えるので、 日本の守るべき文化と改善すべき文化を区別すること がますます大切になる気がするので、そのためにこの本は現代に役に立つと思いました。

■6

バックれ

●本文引用
「日本の現代映画の一つに、次のような筋書きの作品がある。母親が、既婚の息子の手元にまとまった金があるのを見つける。それは、ある女子生徒を救おうとして、村の学校の教師をしている息子が村人から集めた金であった。女子生徒は、地方を襲った飢饉の中、生活に窮した両親の手で娼家に売られる寸前だったのである。そうこうしているうちに、教師の母親がその金を息子から盗む。彼女は、自前の立派な食堂を経営しており、決して貧しいわけではないにもかかわらずである。息子は母親が金を盗んだことを知るが、責めは自分で負わなければならない。事の真相は、息子の嫁に知れる。嫁は、金が盗まれた責任はすべて自分にあるという趣旨の遺書を残し、赤ん坊を道連れにして入水自殺する。やがて事実が知れ渡るが、この悲劇における母親の役割は問題にすらならない。こうして息子は孝の掟を果たした。そして、ひとり北海道に旅立つ。将来、同様の試練に遭ったときにそなえて自分を鍛えるために、修養を積もうと考えたのである。この教師は有徳の士である──。」

ドン引き。これを礼賛している人がいる時点で、親・祖父母に対する孝の考えが今と違うことがわかります。
この多大な両親に対する恩を返そうという気持ちが、「子の縁組を両親が勝手に決めてもそれに従う」という形をうむ一助になってるかもしれませんね

■7

バックれ
土日になりましたので皆さんこの本を読んでのまとめに入っていただきたいと思います。我々に受け継がれている通俗概念とはなんなのか。我々には受け継がれていない通俗概念とはなんなのか。改めて認知していきましょう。
まとめに入りましたが、機になる部分の共有やそれに関する自分の考えなどは依然あげてもらっても結構です。

■8

A
2/3ほど読みました。(要するにバックれさんのあげた部分は全て文脈の中で追いました。)
バックれさんのあげた箇所も含めて、ドン引きしてしまう価値観の連続で、読むのが辛い部分が多かったです。日本を客観から見つめる本を日本人である自分が読んでいるはずなのに、明らかに自分の視点はベネディクト側に寄っていて、かくも欧米の価値観が浸透したのだなと感じました。
「レールに乗っていれば安心できる」という点においては私も含め日本人に残っている通俗概念のひとつであると主観ですが思います。もちろん飛び級が許されないなどの制度上の問題もありますが、国民性による部分も大きいのかなと思います。私も自分で進路を決めることを放置し、とりあえずレールのど真ん中を突き進んできた人間なので、、。
この点については日本においては過渡期なのだと思います。レールに疑問をもつ人達(ひろゆきやホリエモンがわかりやすい?)が多数出てきて、それがインターネット社会と結びつくことでそういった「自由になろう系」に飛びつく人が急増していることから、日本では如何にそのような考えが斬新で目を引くものなのかが分かります。現時点では自由になる方法も先の先駆者が敷いたレールに沿ってるだけの人が大半だと思いますが。
一方「愛国」「天皇崇拝」「家族」に関しては国内で随分と考えが変わったように思われます。私はひねくれているので、「スポーツの日本代表を応援しなければならない風潮」がとても窮屈で嫌いです。日本は好きですが、居住地として安心して受け入れられるというだけで、シンボルとして信仰にはなり得ません。明らかに戦後の教育が及ぼした影響によるものでしょう。天皇制に関しても、突然今日廃止になることが決定したとして私は驚きこそすれ涙ひとつ流さないと思います。押し付けるわけではないですがそのような人(とくに若者)は多いのではないかと思います。長男だからといって家を継ぐなんて風潮も窮屈すぎてクソ喰らえと思ってしまいます。
周りに見放されようが成功できる経済の仕組みがこのようにある意味で自由(=他人に依存しない)な価値観を推し進めているように感じます。ベネディクトによれば日本人は外国の文化を「日本テイスト」に無理やりして取り入れてしまうのが得意な民族のようですが、自由主義、個人主義に関してはそのまま取り入れる人と全く取り入れない人がそのまま左翼、右翼的に両極化して対立し合ってるように見えます。この争いが世代交代とともに収束したときの日本の姿が楽しみだなと思います。

バックれ
相変わらず見事なご推察で惚れ惚れします。
応分の役割を皆それぞれ果たすことから自由を主体とするような価値観に移行したのはGHQさまさまなのか、テクノロジーの進化のおかげなのか…。
経済の仕組みが新たな価値体系を築いたという推測も唸りました。おっしゃる通りのちの日本の姿が楽しみですね。
Aの考えに感化されすぎておんなじことをなぞるだけになっちまったぜ…。

■9

バックれ
ほんでは皆様ワイのワークショッピは今この時をもって終了とさせていただきます。
この1週間で何か得られることはありましたでしょうか。
一見不可解そうな行動をしている人も、その人なりの倫理体系を持って行動しているのだなという寛容的な目をお持ちになられたと思います。価値観の相違は何も年上だけでなく、この先我々がじじいになった時の子供にも発生しますし、グローバル化によってこれから我々が接触するであろうあまたの異邦人たちはおろか、実は身近な親族や友達にさえあるものです。そんな時に一握りでもより他者へ歩み寄る気持ちを皆さんの中に植え付けられればなと思いやらせていただきました。
今回ページ数の多い書籍を選んだこと、正直、すまんかった。だるい中ここまでお付き合いしていただいた@A、@Bさんありがとうございました。次回は全員が参加できるようなキャピキャピしたテーマを選んでゆこうと思うのでよろしくどーぞ。明日からお仕事の皆さんは無理せず頑張ってください。

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