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108: 姿なき宇宙人

原題「Lonely Among Us」

宇宙暦 41249.3
セレイ族とアンティカ族の代表者を乗せて惑星間会議のため惑星「パーラメント」に向かう途中、エンタープライズ号は謎の星雲を通り抜けた。その際に実体のない生命体がエンタープライズに迷い込み次々とクルーに憑依していく。
やがて生命体はエンタープライズのコンピュータに入り込み不具合を起こすが、ついにピカード艦長に憑依した。
生命体に乗っ取られた艦長は不可解な命令を下し、エンタープライズを星雲に連れ戻す。そこで生命体は艦長の体ごと星雲の中に転送を使って戻る。
ピカード艦長は帰らぬ人になったかと思われたが、その魂は生命体と一体化することを拒み星雲の中を彷徨っていた。カウンセラー・トロイが艦長の存在を感じ、クルーたちは転送装置の記録をもとに艦長の体をその魂とともに実体化することに成功した。

セレイとアンティカ

撮影現場や制作スタッフからはそれぞれ「蛇」と「犬」と呼ばれていた(そのままやん…)セレイ人とアンティカ人、どちらも人間の素顔が少しもわからないほどの特殊メイクが施されている、というかマスクをかぶっている。このマスク、特にセレイ人のマスクは制作の時間の都合で非常に重いものと軽量化されたものが存在したようでかなり被り心地は悪かったようだ。

ちなみにこの2種族はその後もTNGやDS9で異星人エキストラとしてそこここに登場する。その際にはセレイ人の鱗を立体的に見えるように再塗装しているというから、エキストラといえど手を抜かないスタッフらのスタートレック愛が垣間見えて素敵だ。

チーフ・オブライエンとガル・デュカット

このエピソードにはこのあとのスタートレックで活躍する2人の重要な登場人物がゲスト出演している。ひとりはTNG第1話にも登場したチーフ・オブライエンことColm Meaney(コルム・ミーニィー)だが、残念ながら初回と同じく今回も役名のない保安少尉としての出演である。

もうひとりの重要人物はのちにカーデシア人のガル・マセットやDeep Space Nineのガル・デュカット役を演じるMarc Alaimo(マーク・アレイモ)が、セレイ人を狩って食ってしまった (笑) アンティカ人として出演している。

Marc Alaimoはその人相から想像できるように(といっても今回の役では素顔の片鱗も見られないが…)もっぱら悪役で活躍の俳優で、スタートレック的にはカーデシア人でぴったりハマり役だったろう。
実際定番キャラクターとなったガル・デュカットがあまりに有名だが、実はTNG第5,6シーズンの「タイム・スリップ・エイリアン(原題:Time`s Arrow)」でデータとポーカーをするFrederick La Rouqueという役名の人物を演じているのも彼である。
今回のアンティカ人に役名のクレジットはないが、台本上では「Badar N’D’D」と表記されていたようである。

ちなみに蛇のようなセレイ人のリーダーを演じたJohn Durbin(ジョン・ダービン)は、のちに「戦闘種族カーデシア星人(原題:Chain of Command)」の中でカーデシア人のガル・レメックを演じている。

このエピソード内では食うか食われるかの敵役を演じた二人が、のちには同じカーデシア人を演じることになるのはなかなか面白い。

エピソードパターン確立の兆候

TNGというかスタートレック全般に言えることかもしれないが、エピソードにはいくつかのストーリーパターンがある。その代表的なものとして「1つの他愛のないストーリーがメインのストーリーの伏線となるダブルストーリー」があり、本エピソードはこのダブルストーリーの兆候がみられる初のものではないかと思う。

ひとつは惑星会議に参加する2種の異星人セレイとアンティカのいがみ合いがもたらす船内のゴタゴタで、もう一つはメインのストーリーである姿なき生命体のエンタープライズ及びクルーの乗っ取りである。
惜しむらくはここでみられる2つのストーリーには、視聴者がなるほどと思うような伏線としての関連性がなく、副ストーリーは単なるちょっとしたお笑い話でしかない。少しばかりの繋がりがあるとすれば、どちらも船内がゴタゴタするという点だろうか。

私個人的にはこのエピソードはあまり好きではない。
その理由は2つあって、まずこの2つのストーリーの関連性の不十分さである。あと1点は、このエピソードが見終わった後になんの感動も感慨も与えてくれないことだ。

たしかにアンティカ人がエンタープライズ内で「セレイ狩り」をしたり、ウォーフやドクター・クラッシャーがおかしな行動をしたり、データが調子に乗ってシャーロックホームズを真似たり、果てはピカード艦長が電撃ビームを放ったり、はちゃめちゃなエンターテイメント要素はたっぷりだ。

しかし私がスタートレックに求めるのは、ピカード艦長の圧倒的なリーダーシップとクルーの家族的な一体感や、データが見せる人間的な一面に気付かされる何かであったり、クリンゴンであるウォーフと地球人クルーとの文化的な違いの捉え方であったり、物語全体に流れる「異なるもの」への理解や認め合い助け合う理念や哲学なのだ。
そして見終わったときに温かな気持ちになったり、憧れを感じたり、現代や自分の身近な世界の問題と関連づけて深く考えさせられたり、そういった何かを与えられ、思い出させてもらえることを期待しているのである。

そういうわけなので、重ねて言ってしまって申し訳ないが、私にはこのエピソードは消化不良な感じが残るものである。とはいえ、ここからスタートレックの代表的なエピソードパターンが誕生するのだとしたら、それなりに重要な存在の話ではある。内容はともかく(何回もすみません)。

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