アニミズム時代

私がこの本を選んだのは、単純に、
自分がいつも、身の回りの物、植物、動物、車、家、そういう 世間一般に、世の中にあるものにたいして、
それぞれが、少なからず 何らかの意思をもっているのではないか、と
普段から何となく思っていたからだ。
自分としては、そんな風な考え方を、
アニミズムと呼ぶんだろう、程度の かなり浅はかな 知識とも呼べないような、思考傾向をもっているだけだった。
だから、今回 この本のタイトルに誘われて、
本当のアニミズムというのは、どんなものか、私の感覚とどう違うのかを知るために、読み始めた。

そんなことだから、まず、宗教や民俗学のようなものに対する基礎的な知識は、全くゼロで、
しかも、岩田慶治さんという方が、どんな人物かも
到底知りえない生活をしている私が、
この本を手にしている。

岩田先生(あえて そう呼ぶことにしたい)からすれば、この本を読むのは、どんなヒトなのか、想定していらしただろうか。
おそらくは、その分野の研究者か、それを学ぼうと志す学生か、その辺りを読者として想定されていたはずだ。
私のような、ある種のちょっと変わった物好きな主婦が読むなどと、きっと想像もされていなかったのではないかと思う。


本の内容としては、かなり専門性の高いもので、
到底、一介の主婦が、きちんと理解して納得できるようなものではない。

岩田先生が進めていく話の内容は、
言葉の意味から、場面の想像から、どれをとっても
難解である。
困った私は、読み方を変えた。
細かい言葉の意味にとらわれても、理解できないなら、イメージで読むしかない。

美術の技法で、フロッタージュというのをご存知だろうか。
硬貨など表面におうとつのあるものの上に紙を置き、その上から鉛筆などで擦ると、
その凹凸が模様となって紙に写し取られる、というものだ。

私は、それをイメージして、読み進めた。
おかしな事をいっている、と思われるだろうが、
やってみると、なかなかどうして、
難解な本を読むのを、途中で諦めなくてもよくなった。
実際 どうやったのかといえば、
難解な言葉の意味の一つ一つにはこだわらないかわりに、その言葉の意味や、場面の想像を、
自分が 今 持ち合わせているイメージと、すりあわせてく感じだ。

岩田先生の書かれた内容そのものの理解には、少し遠回りになるが、
常に自分の中のイメージと すりあわせて行くことで、書かれているとこが、じわじわと私のなかに、逆に 刷り込まれて来る感じがしてくる。

こうやっていくことで、岩田先生のアニミズムの世界観が、ようやく私の中に投影されやすくなった。

何となく解った風にいえば、
アニミズムを理解するには、言葉はいらない、
ということだ。
難しそうだけれど、不思議でおもしろい。

私は、アニミズムがどういうものか知りたくて、この本を手に取ったわけだが、
何かしら言葉で説明されることを期待していた。
岩田先生も、何とか言葉で説明しようとなさるのだが、読めば読むほど、
言葉での説明が、難しい というよりは、
不可能な領域に、話が広がっていく。

そう、広がっていくのだ。

身近にありながら、それはとても広く ひろがっていて、現在でありながら、過去であり、
自分がモノで、モノが自分になる。
そんな世界なのだ。
とても 果てしない世界を見せてもらった。

研究者と言われる人ではない 普通の人に読んでほしい本だ。

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