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たった一言のコピー・一枚の写真が、国際世論すら変えてしまうことがある

こちらの本が良かったので紹介です。
本場アメリカのPR会社がPRの力を使い一国を前代未聞の国連除名に追い込むまでを描いた本です。
・国際政治の舞台裏で描いた戦略
・上手く行った施策、失敗した施策

このあたり手に汗握りながら頭に入る名著でした。

クライアントワークをやるすべての人に読んで欲しい。

たった一言のコピーライティング、たった一枚の写真が、国際世論すら変えてしまうことがある

たった一言のコピーで爆伸び!はよくある話です。

例えば転職サービス「キャリトレ」の「とりあえず3年の3年が過ぎました」というコピーは、第二新卒層の心をわしづかみしました。顧客の年齢層が若返るのも素晴らしい。インパクトのあるコピーの最たる例です。

同じように、たった一言のコピーが、国際情勢すら変えてしまうこともあります。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、世界に衝撃を与えセルビア批判に向かわせたのは「民族浄化」(ethnic cleansing)というフレーズでした。 

「民族浄化」という言葉がなければ、ボスニア紛争の結末はまったく別のものになっていたに違いない。その後続いたコソボ紛争の結末も違ったものになり、セルビアの権力者ミロシェビッチ元大統領が、ハーグの監獄で失意の日々を送ることもなかっただろう。二十一世紀の国際政治の姿も、なによりバルカンの多くの人々の運命が違ったものになっていたはずだ。
ハーフは、「〝民族浄化〟というこの一つの言葉で、人々はボスニア・ヘルツェゴビナで何が起きていたかを理解することができるのです。『セルビア人がどこどこの村にやってきて、銃を突きつけ、三十分以内に家を出て行けとモスレム人に命令し、彼らをトラックに乗せて……』と延々説明するかわりに、一言"ethniccleansing(民族浄化)"と言えば全部伝わるんですよ」 と語っている。それは、まさにキャッチコピーの勝利だった。

※太字は筆者

Perception is reality(事実じゃなく伝わり方が全て)

「民族浄化」は明らかにホロコーストを想起させます。しかし、実は文字の意味だけ見ますと、殺人を意味はしません。

実際、民族同士が争い捕虜収容所はありました。捕虜の国外輸送もしていました。しかし殺人が行われた証拠は無く、ナチスのホロコーストとは程遠いものだったようです。
また、実はセルビア側のみでなくボスニア側もお互い様なのが実態でした。

しかしそんな実態があるにも関わらず、ボスニア政府による一方的な情報操作に、セルビア側は有効な対策ができませんでした。
その結果、国際世論はボスニア側に強く傾きました。

そして、旧ユーゴスラビアは前代未聞の国連除名まで追い込まれます。
セルビアの指導者ミロシェヴィッチは、2001年に人道に対する罪で起訴され、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所に身柄を移送、裁判は長引き、結局2006年、収監中の独房で病死しました。

Perception is reality(事実じゃなく伝わり方が全て)
この言葉をまざまざと痛感させられます。

フェイクを使うのも、「ナチス」を名指しするのも、二流の仕事。

セルビアに捕虜収容所があるのは事実。(ホロコーストとは程遠い実情だとしても)決してフェイクではありません。
それに、「民族浄化」と言っても「ナチス」とは一言も言っていません。

主人公ジム・ハーフは、フェイクは使わず、決して「ナチス」とは名指しもせず、リスクのある安易な遣り方を避けます。「私たちはモラルを最も重視しています」と胸を晴れるクリーンな仕事です。

それでも批判はありますが、正々堂々これだけの結果を出した仕事ぶりは、流石はPRのプロフェッショナルだと思います。

ハーフは、セルビア人と「ナチス」との類推に関し、きわめて慎重かつ巧妙な戦略をとった。
「私たちは、ホロコーストのかわりに別の表現を見つけださなくてはならなかったのです。それがたとえば〝民族浄化〟だったんです」
私はルーダー・フィン社の肩を持つ立場にないが、彼らがボスニア・ヘルツェゴビナに関するビジネスで、クライアントのために「無から有を生む」でっちあげ工作にかかわった形跡はない。フィンもハーフも、そうした安易なやり方には大きなリスクがあることを知り尽くしている。
ルーダー・フィン社の手法はもっと洗練されている。明らかな不正手段を用いずに最大の効果をあげるという、巧妙なプロフェッショナルの仕事である。
紛争当事者の片方と契約し、顧客の敵セルビア人は極悪非道の血も涙もない連中で、モスレム人は虐げられた善意の市民たち、というイメージを世界に流布することに成功する。
そのうえで、「私たちは、モラルを最も重視しています」と言い続けることができる。それが彼らのPRビジネスの神髄である。

PR施策の具体的なものは、赤裸々に言葉にしてしまうとグロテスクに感じる

この本には、人間の感情を操作し弄ぶ黒幕PR会社、そんな批判も含まれます。

たしかに、PR施策の一部は、人間の感情をハックし打算的な操作を加えるものもありどこかグロテクスで「真心が無く、お金儲けのために打算的に騙そうとしている!」という風に見えてしまいます。
PRに限らず他のマーケティング施策でも、国家に限らず法人でも、同じ見え方をすることかあります。

しかし、ぼくは真心と打算は両立すると思います。

例えば、外科手術で適切な治療ができるのは、クランケの身体をある種の構造物として一歩引いて見ているからです。
身体をメスで切り刻むことと真心は両立します。

同じように、例えば営利団体を適切に営めているのも、ビジネスと顧客の感情のマッチングを、ある種の構造物として一歩引いて見るからです。
そこに打算はありますが、真心とも両立します。外科手術と同じように。

単なる視点の違いでしかありません。

しかし人前で嬉々として赤裸々に語るようなことではないんだよなぁとは思いました。あくまで黒子の仕事です。

特に国際政治だと、扱うテーマがセンシティブ。紛争に介在するPR会社のことを「情報の死の商人」と作中ではひどい書き方で、ジム・ハーフに同情します。

終わり。

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