だめでもっともっと
何かしら自分の考えなりを書いていくことにしたのだが、どうにも筆が進まぬ。当たり前ではあるが私は自分の手で実際に筆をもって書をしたためようとしているわけではなく、noteへと投稿するための記事を書こうとしているのである。パソコン(いつからかPCと略される方が主流となった気がする)のキーボードを打って。
理由はいくつかある。貧乏暇なしでじっくりと文章を考える余裕がなかったり、自分で書くよりもみなさんの記事や作品を拝見しにnoteを徘徊することを優先してしまったり、とにかくかなりの部分で自業自得ではあるのだが、時間がない。が、それらは私がnoteへ記事なり作品を投稿する頻度が少ないことの決定的な理由ではない。ほぼ言いわけである。
ではその決定的な理由とは何かといえば、それは私が「悪しき完璧主義者」だからである。自らの力量もわきまえず。
自分で文章を書いていると、とにかく直したくてたまらぬ、ここの言い回しが気に食わぬ。この句点の位置は変えたほうがいい。前後のつながりがおかしい、そもそもこれが自分の書きたいことだったのか、結論として言いたいことがわからない……などなど。
どうせ素人で、文章力という点ではたいして期待もされていないのだし、そもそもここnoteではルールと良識の範囲内で何を書いてもいいはずなのだからさっさと書き上げてしまえばいいようなものなのだがこのねじ曲がった性根はそう思ってはくれない。
いいことを書きたい。面白いことを書きたい。ためになることを書きたい。読んでよかったと思わせたい。
せっかく読んでくれる読者様になにかしら、読んでよかったと思っていただけるようなものをかけるのはいつの日か。そもそもそんな日は来るのだろうか。
マガジンのタイトルにした「だめでもっともっと」とは、島本和彦さんの漫画「大熱言」からお借りしたものである。当然ながら「だめでもともと」という言葉を元にしたパロディとでも言うべきものだ。
私は今までnoteで「だめでもともと」と考えて活動してきた。どうせ素人なのだから、結果が出なくても構わぬ。素人の道楽なのだからいくら時間を無駄にしても問題ない。今楽しければそれでいい。そう思って活動を続け、それでも私の活動を好意的に見てくださって、スキやコメントをくださる方もいた。それはとてもありがたいことではあるのだが、それを目的に活動してきたわけではない。それはあくまで結果であって、恥ずかしくてとても書けない私の理想、野望とは別のものである。
幸か不幸か、私の有料マガジンも当初の予想よりも多くの方々にお買い上げいただいて恐縮しきりである。とにかく一度始めてしまったこと、彼ら彼女らに見捨てられぬよう、いかに非力であっても、いやだからこそ全力を尽くさねばならぬ。この言葉を胸に。
雲泉さん https://note.mu/unymam 書
このノートまたはマガジン購入者様へのおまけとして、もうひとつ忘れてはならぬ大事な言葉を記しておこうと思う。
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