それはそれ

僕は選べなかった

 人生では、ときに重要な選択を迫られる。
 例えばたまに行く近所のパン屋で明日の朝食のパンを、食パンとカレーパンのどちらにするのか、とか。

 何年か前できた近所のパン屋に週一程度で通うようになって、どれほど経つだろうか。その店で私が買うパンは、いわゆる「総菜パン」がほとんどである。もちろんその店でも食パンやバターロールなど、最近ならば塩パンだろうか、要するに具材などが乗っていないパンそのものであるパンも取り扱っているのだが、特に食事として考えた場合、生来のめんどくさがりな性格もあって、別におかずとなるような料理を準備する必要のない総菜パンばかりを買ってしまう。

 今日の昼、特に何を買うとも決めずにその店に行ってパンを選んでいると、視線を感じた。はじめは自分がその相手の欲しいパンを取る邪魔になっているのかと思って場所を少し動いたりもしたのだが、そうではなかった。

 どこかで見覚えがあるとは思っていたが、自分自身の記憶力に絶対的な不信感を抱いていて自分からは言いださなかったのだが、その相手はもう何十年前かに当時通っていた中学校から転校していった、かつての同級生だった。聞けば、その後も何度かの引っ越しを繰り返し、今では結婚もしてこの近所に住んでいるのだという。足に縋りつくように、半ば以上隠れるようにしてこちらを見上げている子供が、まさか他人ということもないだろう。

 その店では一角にイートインのような場所があり、会計後に買ったばかりのパンを味わうこともできる。お互いに会計を済ませた後、サービスのコーヒーをありがたく頂きながらこちらの話も少しして、近況を知っているかつての同級生の何人かのことは「元気だよ」と伝えた。元気ではない何人かのことは言わなかった。

 その話をする横で、子供は大人しくしていた。本来はアンパンであるはずの形をしたキャラクターの顔を模したチョコパンを、思ったよりも早く食べられたことがうれしそうだ。

 特に用事があるわけでもないことはお互い承知の上で、連絡先を交換して別れた。今日のように、生きていればいつかまた逢うこともあるだろう。体に対していささか大きすぎる、一斤切らないままの食パンを自分が持つと言い張り、体の前に抱えるようにして歩き始めた子供を追いかける後姿を見送り、自分も家に帰ることにする。

 人生には何か分岐点のようなものがあり、どちらかを選ぶことで何かが変わるということがあるのだろうか。もしそうならば、それはいつの何だったのか。自分がそうなれたかもしれない可能性は、はたしていつ失われたのか。

 さしあたり、明日の朝食に買い込んだどのパンを食べるのか、それは何にどんな影響もなく自由に選ぶ権利のあることだろうと思う。

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