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夫婦絵師  の七

 次の朝、与平はいつものように振り売りに出るふりだけして、町へは出ずにこっそりお寺の和尚さんのところへ行きました。

 与平はすぐにでもどういうことかと聞きたがりましたが、和尚さんはまあ待て、まだ待て、もう少し待てというばかりでした。与平はすっかり焦れてしまいましたが、そのまま昼になっても和尚さんはなにもいってくれません。

 昼過ぎになってようやく、そろそろいい頃合いだろうと和尚さんが言いました。与平は家の方に走っていきそうになりましたが、和尚さんに止められて窓からこっそり中をうかがうことにしました。

 与平が窓から家の中をのぞいてみると、あの男の人とおみつさんが見えました。おみつさんはなにやら筆を持って、紙に線を引いては首をひねり、紙を光に透かしては男の人に何か尋ねているようでした。

 「あの人はな、絵の先生だ」

 和尚さんは言いました。

「おみつさんには口止めされていたのだが、ことここに至っては仕方ない。おみつさんは、お前さんが絵を描けなくなったことを気にしていてな、お前さんが描けないのならな自分が描けるようになろうと、絵を習い始めたのだ」

 与平はよくわかっていないようでした。 

「でも和尚さま、絵なんて誰でも描けるんだから、別に習うことなんて無いんじゃあないですか?」

 こりゃ、と和尚さんは叱るように言い、与平は首をすくめました。

「お前はたまたま絵をうまく描けたが、誰でもそう簡単にできるようなものではない。だからこそお前の絵も高く買ってもらえたのだ。絵に限らず、誰でも得手不得手はある。与平、お前だって、得意なことばかりではないだろう」

 和尚さんは懐から一枚の紙を取り出して、与平に見せました。その紙には、丸に線を引いた絵が描いてありまして、上の方は墨で塗りつぶしてあるようです。

「なんですこりゃ。誰か子供が描いたんですか?」

 与平は、寺子屋に通っている子供のいたずら描きだと思いました。

「そうではない、これはおみつさんが初めて描いた絵だ」

  和尚さんはもう一枚絵を取りだして、与平に見せました。それは与平の描いた役者絵にも劣らないほど素晴らしいものでした。

「これはおみつさんが先日描いた絵だ。これなら葛屋さんも、売り物になると言ってくれている。こうなるまでには随分とかかったが、これで苦労も報われるというものだ」

 そう聞いて与平はたまらず家に飛び込み、おみつさんに頭を下げました

「すまねえ、おれが馬鹿だった」

 おみつさんは与平が突然飛び込んできたのでびっくりして訳が分かりませんでしたが、泣いて謝り続ける与平の背中を優しくさすりました。

 与平は絵の先生にも頭を下げました。

「おみつがこんなに絵が描けるようになったのはあんたのおかげだ、ありがとう」

 そういう与平に、絵の先生は笑って言いました。

「あなたの噂はよく聞きました。あなたの役者絵がよく売れていると聞いて、うらやましくなったりもしたものです。絵を描けなくなってしまったというのは残念ですが、そのうちまた描けるようになります」

 そういう先生に、与平はまた頭を下げて、こう言いました。

 「おれにも、絵の描き方を教えてくれ」

 先生に絵の描き方を教わった与平は、時間はかかりましたが長い修行の末にまた素晴らしい絵を描けるようになり、おみつさんとふたり夫婦の絵師として江戸の町でだいそう評判になったといいます。



夫婦絵師でございましたm(__)m



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