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トルコで熱気球に乗った思い出

 トルコ共和国に再訪して、熱気球の浮遊感を再び体験したい!

 部屋の中を整理していると、数年前にトルコ共和国のカッパドキアで熱気球に乗った時に撮影した写真が出てきた。熱気球は私にとって非日常体験だったので、とてもワクワクした。「童心に帰る」ということを身を持って体験させてくれた。せっかくの機会なので、熱気球の搭乗体験を回想しつつ、学んだことを書いてみようと思う。

きっかけ

 熱気球に乗りたいと思ったきっかけは、テレビの旅行番組だった。番組ではトルコの観光名所が色々と紹介されていたが、この中で朝焼けに照らされた無数の熱気球が大空に浮かんでいる美しい映像が印象的であった。普段であれば「機会があれば、行きたいな~」で終わらせていたと思う。でも、この時は違った。長年の経験から、「いつか取り組もう」と思っていることは、永遠に取り組まないことを知っていたので、自分を奮い立たせ「挑戦」することにした。熱気球に乗って大空から大地を見下ろせば、いままで知り得なかった世界を垣間見ることができるのではないかという期待もあった。自分自身のスローガンとして「行動・実行・挑戦」という言葉を掲げることは多いが、これまでは目標未達で終わることが多かった。思い返すと、「挑戦する自分でありたい」という衝動的な気持ちに突き動かされていたと思う。

世界地図に疎い私は、トルコの国の場所を確認するところから始めた。ヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがった場所にあることがわかった。私は、トルコだけでなく海外の国に訪問した経験があまりない。そんな私にとって、トルコへの旅行は大冒険であった。インターネットで検索して、トルコの街並みや風景の写真を眺めてみると、日本にはない美しさがあり、心躍った記憶がある。

移動経路の詳細は省略するが、日本からとても遠かった、、、。東京からトルコ航空を利用して、直行便で11時間ほど飛行機に乗り、まずはイスタンブールの空港へ移動した。そして、イスタンブールからトルコ国内の飛行機を利用してカッパドキアに近い街へ移動した。その後、空港からタクシーに長い時間揺られて、ようやく目的地のカッパドキアに到着した。

いざ、熱気球へ

 宿で一晩を過ごして、早朝に熱気球乗り場へ向かった。まだあたり一面は薄暗かったが、多くの熱気球が大地に横たわっていた。現地の係員達が熱気球を膨らませていて、現場は活気に満ちていた。熱気球が膨らむ光景なんて見たことがなかったので、興奮したのをよく覚えている。炎が勢いよく吹き出し、どんどん熱気球が膨らんでいく。迫力に圧倒されました。

熱気球が膨らみ、いざ搭乗。一緒に搭乗した人達の出身国はアメリカ・ドイツ・フランス・韓国・中国・オーストラリアなど様々であった。籠の中は出発前の熱気に満ち溢れていた。

ふわりっ!!!

そして、待ちに待った瞬間が訪れた。浮かんだ。身体が浮かんだ!この何とも言えない浮遊感に感動した。熱気球はぐんぐんと上昇して、大地から離れていく。地上の人達もどんどん小さくなっていく。隣の熱気球にぶつかったりしないのだろうか、と少し不安に感じながら上昇していった。

周りを見渡すと、他の熱気球もどんどんと上昇を始めていた。他の乗客たちから興奮のあまり歓声が沸き起こっていた。皆、笑顔である。楽しい。この浮いている感覚はとても楽しい。

大地が徐々に朝日に照らし出されて、明るくなってくる。
そう、この光景を見たかったんだ!熱気球に乗って空の上から空気を思いっきり吸いたかったんだ!
冷たい空気を肺一杯に吸って吐くという動作を繰り返して、自分がカッパドキアの空の上にいることを噛みしめた。

操縦士さんに皆の熱気が伝わったらしく、「今日は特別に高くまで飛ばすぜ!」とサービス精神に溢れた発言をしていた。籠中央の機器から炎を勢いよく出して、熱気球はどんどん上昇していく。眼下には他の熱気球がたくさん浮遊している。目の前に広がるカッパドキアの大地の美しい光景に搭乗者一同、感激しっぱなしであった。

熱気球はどんどん上昇していく。

まだまだ熱気球は上昇していく。んっ、空の上は結構寒いな。

さらに熱気球は上昇していく。

そして、搭乗者一同はようやく気づいた。「高度を上げ過ぎじゃね?」と。熱気球の中は、さっきまでの歓喜とは正反対の静寂につつまれていた。籠の中から、大地を見下ろしてみると、他の熱気球が小さく見える。そういえば、他の熱気球はもう周囲にいない。まさかの孤独感を味わうことができた。

陽気な操縦士さんは、「高度を上げ過ぎちゃったぜぇ!」と言って、徐々に下降し始めた。
物事には限度があることを知った。

大地が近づいてきて、ようやく安堵の空気が籠全体に広がった。熱気球の影が大地に写っている。寝ている犬の上を熱気球の影が横切ると、犬が驚いて起き上がったのが印象的であった。

ずいぶんと風に流されたが、空の旅はいよいよ終盤である。後は着陸するだけである。「熱気球の着陸ってどうするのだろうか」ということを、この時になってようやく考え始めた。私の中のイメージでは、籠が水平を保ったままゆっくりと降りる姿を想像していた。

でも、現実は違った。

風に流されながら熱気球は着陸するので、そのまま籠が地面に衝突して着陸する。つまり、着陸時の衝撃が大きくて、さらに籠は横倒しになる。だから衝撃に備える姿勢をとってね、と陽気な操縦士さんが搭乗者一同にアドバイスしてくれた。幸いなことに着陸は無事(?)に終わった。私のカメラのレンズカバー部品がどこかに飛んでいった程度の損傷で済んだ。

最後は、皆で生還を祝って乾杯をした。搭乗者一同、不思議な一体感につつまれていた。色々あったけど、「浮かぶ」という体験は日常生活では得られないので、この時の経験を思い出すと今でも胸が熱くなる。

学んだこと

トルコで熱気球に乗った経験から学んだことは大きく3つある。

一つ目は、「行動による”実現”」である。案外、行動すれば何とかなる範囲で何とかなるものなんだということがわかった。ルーチン化した日々から抜け出したいとう想いがあった私にとって、実際に行動してトルコで熱気球に乗った経験は自分自身への自信につながった。実際に行動して実現したという経験は、その後の人生でも大きな原動力になっている。

二つ目は、「記録に残し活用する大切さ」である。熱気球に乗って感動を味わったとしても、人間はあっさりと忘れるものだと思う。実際に私も写真を印刷して飾っておかなければ徐々に記憶が薄れていくと思う。体験したことを写真や文章で記録として残すことに加えて、日常生活のどこかに根付くように活用していくことが大切であると感じている。このことから、重要なことはできるだけ「可視化」するように努めている。例えば、目標や成し遂げたい事柄などは手帳に書き出し、少なくとも一日一回は見るようにして、進捗度合を確認するようにしている。

三つ目は、「体験することの重要さ」である。体験を無心で味わうことの重要さを知ることができ、成長するためには新しい刺激や経験を意識して自分自身に与えていかなければならないと思った。知らないものは存在しないのと同じである。だからこそ、新たな体験は新しい世界を切り開くために重要であると思った。文章や映像から熱気球の浮遊感を想像することはできるが、実際に乗って体験してみると想像上の浮遊感とは異なり、胸が高鳴る不思議な身体感覚であった。

これから

 「熱気球」の写真を見るたびに、トルコで熱気球に乗った経験から学んだ「行動による自己実現」・「記録に残し活用する大切さ」・「体験することの重要さ」を思い出させてくれる。熱気球に乗ることで味わった「浮遊感」は感動的な体験であった。未知の体験に挑んでいくことで、自分の世界観が広がることがわかった。挑戦し成し遂げたことは、自分自身が自分の人生をしっかりと歩んでいるという自信を与えてくれる原動力になっている。

読んで頂きありがとうございました。

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