頼れる肩、シェケム

ユダヤ人学生のオフィルとの3回目のバイブルスタディでした。マタイ1章を読んだ後に、メシア預言を見ていきました。彼女は日本語ができるので、日本語の翻訳のニュアンスの違いを教えてくれます。

Is. 9:6
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はそのにあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
Is. 22:22
わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼のに置く。
彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。

この2つの聖句にある肩は、שכם シャヘム(H7926) は、水瓶を肩に担いだなど、重たいものを担ぐ時にこのשכםシャヘムが使われます。肩でも中央を差していて、頼りにする、というようなニュアンスがあるそうです。Gen. 49:15 くびきを負うような感じでしょうか。ですから、イエス様の預言で肩に置くということが、神様がどれほどイエスに信頼して頼りにしている様子を感じることができました。

イエス様は律法学者にこう言います。この肩もシェケムでした。


Matt. 23:4 また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。

ちなみに、地名のシェケムはこのשכם肩という意味で、シェケムの町からエバル山とゲルジム山を見ると2つの山が肩のように見えます。

そのシェケムで父祖達が祭壇を建てています。
アブラハム(Gen12:6-7)
ヤコブ(Gen33:18-20)
ヨシュア(Josh8:30-35)
ヨセフの墓(Josh24:32)

サマリアの女がイエス様に出会った場所でもあります。(John4:1-30)

私達の肩に乗っているものが何なのか、何を負うべきなのか、考えさせられました。ここで教えられた私達が負うべきものは、祭壇、いけにえを捧げること、礼拝ですね。

彼女は初回のバイブルスタディで、「新約を知らなかったけれど、タナハの続きみたいですね。」と仰ってくださいました。

写真の右側にあるの谷にある町がシェケム(現在のナブルス)
左がゲリジム山で,右がエバル山が見えます。ゲルジム エバル シェケム

下記は、シェケム、現在のナブルスの観光案内です。今の町の様子が伺えます。これも、私がイスラエルでお世話になった方が作っているのですが、文書も良くて、見やすくて、写真が美しいく、おすすめです。


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