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言われて悲しかった言葉


ふと、思い出す

ずっと残っている言葉。結構傷ついたなと感じる言葉。なぜか定期的に思い出される言葉。ただ、ずっとそこにあって消えないふわふわしてる言葉。

そんな言葉があなたにはあったりする?

私はある。

まぁ、ここで私がもしなかったら、あなたにあったりする?なんて質問しないけどね。きっと。

その悲しかった裏には自分の大事にしてた何かがあるんじゃないかなって思った。重大な何かが。

私は恋人と喧嘩した時、相手に「お前は俺の安心場所にはなれない」と言われたこと。その言葉がずっと残ってる。

なぜだろう。

それはきっと【恋人の安心場所になりたい】【大事な人の帰れる場所になりたい】と私が思っていたから。

逆に、私は相手にもそれを求めていると気づいた。

【お前は、俺の安心場所にはなれない】と言われて傷つかない人もいると思う。

相手に傷つけられたというよりは、自分が勝手に傷ついた。

【人を傷つける】というのはできない。人は勝手に傷つく。

「お前は俺の安心場所になれない」と言われた時、なんでそんな酷いこと言うの、、、?と思ったけれども、それは彼の感想で、意見で、感じたことで、酷いも何もないことに気づいた。(賢い彼はもしかしたら私が悲しむであろう言葉を投げかけたのかもしれないけれど。笑)

私は【大事な人が帰ってきたくなるような家や場所】を作りたいと思ってる。

なぜなら、そういう帰ってくる場所があるからこそ、人は安心して活発に過ごせると思ってるから。私の家族や親友は私にとってそういう場所だった。

そういう人がいることが、存在することが、御守りのようになる。そういう人がいることで穏やかになれる。そんな人がいたから私は今ここにいて。そういう場所にとても救われたから。そういう【温かい、帰れる】場所。

だから、自分もそういう場所になりたいのかと思ったのかも。

エネルギーチャージができるスポットになるような。明日も頑張れると相手に思ってもらえるような。ドラクエでいうとザオリクを唱える人みたいな。そんな人になりたい。

だから、そうじゃないと言われて傷ついた。

と同時に、自分が大事にしてるものは当たり前過ぎて自分でも見えてないことがあるんじゃないかな?って思ったりする。

だから、悲しい思いをする時は、自分の当たり前が見えるときなんじゃないかな。

当たり前は当たり前過ぎて見えにくいことがあるから。当たり前がわかることは地味にすごいことなんだと思う。

だから、受け取った言葉が悲しく感じたときにね。相手のことを酷いこと言う奴って責める奴ってするんじゃなくて。相手に傷つけられた!って被害者ぶるんじゃなくて。

そうじゃなくて。自分の大事なことはこれなんだって発見するために使ったらいいんじゃないかな。

そんなことを思った。(もちろん、傷ついたなぁ〜悲しかったって気持ちは否定しなくていい)

傷つける意図がなくても相手は勝手に傷つく。相手に傷つける意図がなくても自分が勝手に傷つくことがある。

悲しい思いをする時は、大切な何かに触れた時。ただ傷ついた、終わり。で終わらない。終わらせてもいいんだけどね、私は「自分はこれを大事にしてる」って見つけてみてもいいんじゃないかなってね。

私はそっちの方がいいんじゃないかなって思うよ。



悲しかった思いをしたとき、あなたの大事なことはナニだったんだろう。

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