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「元おんどり 刺しゅうグループ」の方々の「感覚」とは~~第3回「母の刺繍展」

今回の「刺繍展」には、母の「雄鶏時代」の「刺しゅう仲間」の方が、4人来てくれた。

ギャラリーに足を運んでくれた方たちは、94歳になる母よりも、一回りぐらいお若い方たち、つまり、80歳前後の方たちだった。

確かに、母からしたら「若い」けれど、それなりにお歳を召して、お話を伺うと、「刺しゅう」からは離れているようだった。

しかし、皆さん、どなたも素晴らしい「刺しゅう技術」をお持ちの方たちなのだ。


みんな出来るのよ~そんな感じ


母に限らず、「(元)おんどり刺しゅうグループ」の方たちは、自分たちの「刺繍技術」や、そこから生み出された「作品」に対して、何故か「凄い!」ってという感覚が、希薄だ。

「自己肯定感」が低いという事ではなく、自分たちが、すごい「刺繍技術」を持っていることは、「当たり前」のことで、「特別な事」だと思っていないのだ。

母の「言葉」で言うと、当たり前に「みんな出来る」ことだし、そこから生まれる素晴らしい「作品」は、別に珍しくもなく「みんな持ってる」という感覚なのだ。


例えば、こんな方が会場に来ました~


ギャラリーの近所に住まわれている「母の刺繍仲間」の「Kさん」が、「明日、みんなで来るくるからね~」と、

「刺繍展」初日に、ちょっとだけ立ち寄り、

次の日、「雄鶏時代のお仲間」を引き連れ、再び来場された。

この日、来てくださった母の「雄鶏時代のお仲間」の方々は、どなたも、「当たり前」のように、すごい「刺しゅう技術」を持っている人たちだ。

例えばその中の「Tさん」 は、
この「本の表紙」になっている「作品」を刺した人だ。
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【1979年2月 雄鶏社より発行】

この本は、「東ヨーロッパの刺しゅう」についてまとめられている。
刺しゅう初心者向けではないけれど、絶版になってるため入手困難で、
1~2年探して手に入れたという人もいるぐらいの本。


「表紙の写真」にあるような、「ハンガリー刺しゅう」の「カットワーク」と言われる繊細な「手法」は、とても難しい。

私は、「Tさん」に
「この本の表紙になっている作品は、今でもお持ちなんですか?」と尋ねると、「家にあるわよ~」と仰るので、

「今度、貸してください」と、私はとっさに言った。

以前、書いた記事の中で取り上げた、母の「仕上がっていない作品」の中にも「ハンガリー刺しゅう」のカットワークがある。

今回、それを「未完成」のまま、ギャラリーに持って行った。


でも、それが、とても良かった。


最終日の月曜日、「ハンガリー刺しゅう」をされている方が数名いらして、出来上がったものではなく、「作成工程をみる機会がない」と言って、ひっくり返したり、いろいろやって、その「未完成の作品」の写真を、何枚も撮っていった。

土曜日だったら、この「表紙の作品」を作った「 Tさん」 が来てたのに~
分からないことを、直接、聞けたのに・・・私は思った。


「バイユー・タペストリー」だって、みんな持ってるわよ~


この日、来場くださった皆さんは、1997年「おんどり刺しゅうグループ」で、「バイユー・タペストリー」の「複製作品」を、母と同様に作った方たちだ。

奇跡的に、現存している、11世紀イギリスで、「刺しゅう」によって制作された、全長70メートルの絵巻物。
1064年~1066年の英国王位継承の物語が描かれている。

1997年発行 「欧風刺しゅう展 バイユーのタペストリー」
パンフレットからの部分的に抜粋


特に「 Eさん」は、「2か所」を担当されている。
(※複製作品は、全長70mを、延べ人数91人で、分割し完成させています。)


「今も、お手元にあるんですか~?」と私が尋ねると、自宅に保管しているとのことだった。

母が言う通り、「バイユー・タペストリー」を、みんな持っているのだ。

たぶん、それだけではないはずだ。
他にも、素晴らしい「作品」を、自宅に保管しているはずなのだ~間違いない!



懐かしい「刺繍仲間」との再会


今回の「母の刺繍展」に、母の「刺繍仲間」の方の「作品」を展示することが出来た。

「貴婦人と一角獣」の複製を「ハーフクロスステッチ」と「スタンプワーク」や「ビーズ」を使って刺した大作だ。

図案から、ご本人が作成され、仕上げています。


ギャラリーに入ってすぐの場所に展示した。
ガラス越しに、ジーっと見ていく人もいました。


私は、展示の際に、簡単な「キャプション」を作品の下に付けた。そこに作られた方の「お名前」も記載した。

その「お名前」をみて「刺繍仲間」の方々が、
「あら、○○さんの作品じゃない~、ご本人は、いらっしゃるの?」尋ねた。

母にとって「刺繍仲間」という事は、この日、来場された「お仲間」にとっても、「刺繍仲間」なのだ。


ご本人は、施設に入所されていいるため、来れないけれど、初日に娘さんが来てくれたことを伝えた。


すると、皆さんが、懐かしそうに○○さんのお話をした。

母の時代は、「個人情報ダダ漏れ世代」なので、各々の家族の事を、お互いによく知っている。

実際には、会えなくても、久しぶりに「名前」を耳にし、その方の「作品」を目にし、「思い出話」に話が弾んだ。

こういう再会もあるんだ~

私は、そんなことを思った。


課題は「コミュニケーション」~「刺繍作品」と「書籍」を掘り起こせ!


今回「貴婦人と一角獣」の展示が叶ったのは、「ご本人」では無く、「娘さん」と連絡が取れたことが、大きかった。

私が、郵送した「手紙」に対して、娘さんが、お電話をくださったことは、「奇跡」のようだった。

現在、辛うじて連絡が取れる「母の刺繍仲間」の方たちは、他にもいるけれど、その先に繋がらない。日々、歳をとっていく母の様子を見ていれば、他の方だって同じなのだという事は、充分わかる。

だからこそ、「ご本人」ではなく、「ご家族」と連絡が取れることは重要だ。

「貴婦人と一角獣」の件で、幸運にも、連絡が取れた娘さんに、他にも「作品」をお持ちでしょうから、是非、他の「作品」も展示させて欲しい旨をお伝えした結果、「作品整理」が、出来ていないとの事で、叶わなかった。

でも、それは、母の「刺繍仲間」皆さんに、共通していることだと思う。

私のところは、たまたま「実家」を片づけることになり、ほぼ強制的に「母の作品」と向き合う事になったから、「刺繍展」という方向に向かったけれど、そうでなければ、どこに何があるのか、さっぱり分からなかったと思う。


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最終日、ギャラリー近所の「Kさん」が、再び、買い物途中に立ち寄って、手作りの「ポーチ」と「ブローチ」を「お母さんに渡して~」と持ってきてくれた。

この時、「Kさん」が、「私の刺繍の物なんか、私が、いなくなったら、娘に捨てられちゃうのよね~」なんて悲しいことを仰るので、

「捨てるぐらいなら、その前に私に連絡ください!」って、「電話番号」と「住所」だけは渡した。


ご高齢の皆さんには、SNSは、存在しないのだ。

どうやったら、ご自宅に保管してある「作品」や「書籍」の、今「この時代における価値」を認識してもらえるのか・・・

「雄鶏社」が無くなり、ご自身も高齢になり、母の「刺繍仲間」の方たちにとって、「刺しゅう」自体が、すっかり「過去の事」になってしまっている。

でも、今の若い方たちにも、是非、見てもらいましょう!

皆さんの作品は「あたり前」では無いんですよ~

私は、そう思っている。

「電話」と「手紙」というツールだけで、果たして私の「意図」が伝わるのだろうか。



「是非、4回目もやってください!」と、
ありがたい言葉は頂いたけれど・・・


ご高齢となられた「刺繍仲間」の方たちと、
どう「連絡」を取り、
どう「コミュニケーショ」していくか、

それが、「掘起こし作業」の一番の課題だ。


3回目の「母の刺繍展」を終え、そんなことも「痛感」した私なのだ~!

※長くなってしまいましたが、最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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