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コンプライアンスは、正義ですか~「東京クルド」の消化不良感

2021年4月に書いた記事に追記し、再掲載しています。
先日、yahoiさんの記事で、難民問題を「漫画」で描かれているnoterさんを知り、私が「難民問題」に関心を持ったプロセスと、最近の動向に思うことを再度、記事にしました。
※リンクは、最後に張り付けてあります。

◆ドイツにいる「シリア難民」の家族に「刺繍糸」を送る


「刺繍糸持ってる?」ある日、学生時代の友人から、LINEが来た。

「いっぱいあるよ!今、部屋中にひろげて整理していますけど~」

ヨーロッパ刺繍をやっていた母の「刺繍糸」を、メルカリに出品するため整理をしていた時だった。

彼女は、何故、刺繍糸がいるのだろう…後日、電話が来た。

知り合いのドイツに住む「シリア難民」の家族のところに刺繍糸を送ってあげたいというのだ。

「難民キャンプ」を渡り歩き、やっとの思いで、その家族はドイツまで来た。母親は、内戦で負傷し、片足を失っていた。
スマホの翻訳機能を使いながら、友人は、この家族と連絡を取っていた。

もともとシリアには「刺繍文化」がある。
やり取りをしているうち、刺繍をやりたがっていることがわかり「刺繍糸」を送ってあげたいというのだ。

私は、整理していた「刺繍糸」から少し、彼女に提供する分を分けた。

しばらくしてテレビで「シリア難民のドキュメンタリー番組」が放送されるから「是非、観て欲しい」とその友人から連絡が来た。特に「難民問題」に関心があったわけでは無いけれど、とりあえ、その番組を観た。

確か、レバノンに住む「シリア難民の家族」が取り上げられていた。

その家族には、12歳の女の子がいる。
その子の兄は「臓器売買の犠牲」となり、誘拐され殺された。
この悲しみから、立ち直れない母親を支えるため、早朝から近所の畑で働き、わずかな生活費を得ている。
インタビューの中で、悲しみの中にいる母親の前で「弱音を吐くわけにはいかない」と、彼女は気丈に話していた。難民であるため、子ども同士であっても、差別を受けている。

こんな内容の番組を観て、この子の心が、いつか折れてしまうのではないか、社会的弱者であるこの子が、女の子であるが故「性搾取の人身売買」にも巻き込まれるのではないか、私は心が痛かった。

難民が、生まれる背景は複雑だ。

自国が安定し「平和が当たり前の日本」で育った私たちは、「難民という存在」を感覚的に理解することが、容易ではない。

彼らは、もともと「貧困」の中にあったわけでは無い。
私たちのように、社会の中で普通に暮らしていた人たちだ。内戦や、様々な事情で、突如、「難民」という状況に追い込まれた人たちだ。
私も含め、そこをなかなか共有できない。

「正論」や「キレイごと」だけでは、解決できない「複雑な現状」を考えると、「国家レベルでの難民支援」に私は正直、躊躇する。


◇「刺繍糸」や「針」「布」そして、ドイツ語の「刺繍雑誌」を、友人に持って行った。

久しぶりに会った友人に、私は「番組を観た感想」を伝えた。

私の母は、アンネ・フランクと同じ歳だ。
「空襲」で家を焼かれ、親にねだって買ってもらった「お人形」も「七五三の時に着た着物」も全部焼けてしまった。
「空襲」から逃れ、焼け残った銀座のビルの中で、一週間「水だけ」で、家族と共に生き延びた経験がある。
でも、90歳を過ぎた今、母は幸せに暮らしている。
だから、今がどんなに大変な状況でも、諦めないで欲しい。
今の状況が永遠に続くわけでは無いと、希望を持って欲しい。

どこか「無責任」な気もしつつ、私は、友人に感想を伝えた。

「刺繍糸」で、お腹がいっぱいになることは無いけれど、ドイツに送られた、母の刺繍糸が、シリア難民の家族に「ささやかな希望」を与えたと、私は信じている。

◇リモート開催された「難民問題セミナー」の録画が送られてきた。

今度は「難民問題セミナー録画」が、LINEにその友人から送られてきた。
内容は、こんな感じ。

・日本に辿り着くまでの難民の現状
・日本に着いてから難民が受ける対応
・難民に関する法改正の状況
・難民のための第三機関の必要性

現在の法律では、収監場所が、「刑務所」や「拘置所」ではなく、「入国管理センタ―」というだけで、基本的に難民は、「犯罪者」として拘束されるのが、日本の現状だ。
(もっと言えば、現状は、刑務所以下の扱いを受けていると思う。)

さらに、2021年秋の臨時国会で予定されていた「法改正」で提出さえていた「改正案」には、「難民を支援する人も共犯者」として扱われることになると、このセミナーの中で語られていた。

その後、名古屋入管での「ウィシュマさんの事件」があり(その影響かは分からないけれど)「改正案」は、廃案となった。

ウィシュマさんは、「オーバースティ」ではあったけれど、「難民」では無かった。ここまで問題を大きくすることが可能だったのは、彼女が「難民」ではなかったことも要因だったのではないかと思う。

◆「不条理」「理不尽」そんな感想しか出てこない~映画「東京クルド」

もともとそんなんに「難民問題」に関心があったわけでは無かったけれど、友人からの様々なインプットにより、日本国内の「難民問題」が気になりだしていたのだ。

だから、この映画も機会があったら「観ておこう」と思っていた。

この映画は、フィクションではない。
日本に暮らすクルド人の若者二人のドキュメンタリー映画だ。

子どもの時に、「難民」として日本に家族で逃げてきて、日本で教育を受けた。しかし成長した彼らは、これからの人生に向かっていく中で、「難民」であるがため、全てを奪われていく。それでも奇跡的に「難民申請」が通り「在留資格」が得られることを願い、日々生きていく。

入国管理局のスタッフは、「誠実に職務を果たしている」、悔しいけれど、そう言わざるを得ない。

人間を飼い殺しにするような状況が、日本政府によって行われている事は、私は日本人として本当に恥ずかしく、国際社会の中で胸を張れない。

ひたすら「消化不良」のような感覚で、「東京クルド」を観終えた。

この映画の「上映会」があることを知ったのは、noteだった。


◇法律は、正義でも、真理でもない~

日本は「法治国家」だから、法律を厳守することは、社会秩序を守るために大切なことだ。しかし、だからといって、「コンプライアンス」の名のもとに、非人道的なことを受け入れてはいけない。

時代によって変化する「社会正義」は、必ずしも人間にとっての「普遍的真理」ではない。それは、歴史が証明しているはずだ。

いつの間にか、「コンプライアンス」という言葉が「日本語」になって、本来なら、それぞれの人が、自分の心で考え、判断するべきことを、法律や制度に自身の考えを委ねるようになった気がしているのは、私だけだろうか。

法律さえ守っていいれば、イイというのは、人としての尊厳そのものを放棄している、と私は思う。

私も含め、自分の生活の事で殆どの人が、頭がいっぱいだ。
それでも、人としての「尊厳」を忘れてはいけない。日本にいる難民が置かれている状況は、そんな「気付き」を、私たちに与えてくれる。

国際機関やNGOの「難民支援の活動」は、続けられているけれど、
解決に向けて、どうしたらいいのか、考えても途方に暮れるばかりだ。

私自身、葛藤しつつも、難民に関わる日本の国内法が、人道的な立場から整備されることを、願わずにはいられない。

yahoiさんの記事、是非お読みください!
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大変わかりやすく、読みやすく、しっかりとした内容で、描かれています。是非フォローを~
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長い記事、最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。


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