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<二十歳編2>60歳の私が、少女だった頃の、彼のお母さんからの電話と「本当のお別れ」

彼から解放された、最後の春休み

彼とは、秋以降、全く連絡を取ることはなかった。「別れる」とかそういう区切りが、ハッキリあったわけではない。確実に言えたのは、少なくとも彼のことで、私は悩まなくてよかったということだ。だから、この時期、私はとても自由だった。

この時期の私は、周りの友達が、就職活動をする中、進路に結論を出せず、ウダウダしていた。卒論提出後のシスターとの面談では、せっかく用意された企業の採用情報を、私は見ることなく終わった。

大人になる寸前で、自分の心が固まらず、藻掻いていた。時代のせいもあったと思う。当時、女性の生き方は、多様性に乏しかった。そして私の中にあるアイディアも乏しかった。私にとって、社会に出るということは、何かを諦めることに思えた。

1月の卒業試験が終わり、3月の卒業式までは、学生最後の長い春休みだった。

卒業後の再会

短大卒業後、彼に会ったのは、半年以上ぶりに、彼から連絡が来たからだ。

実は私は、短大を卒業した年に、彼ではない別の人と結婚をした。春休みのバイト先で知り合った人と、5月から付き合い出して、結婚しようと思ったのだ。ところが、歳が離れていることや、仕事の分野が父と全く違うことや、私が若すぎるとか、何やかんやで、親から大反対された。結婚まで漕ぎ付けるのにホント大変だった。

結婚という人生の進路を選んだ私は、親の大反対の末に、「大きな覚悟」を持って、人生を進んでいったのだけれど、彼と久しぶりに会ったのは、まだ親からこんなに反対されるなんて、全く想像していなかったころだった。だから、彼からみたら、結婚を前にした私は、きっと有頂天に見えたと思う

今、思い返すと親に話すより先に、彼に結婚することを伝えている。私は、自分の話ばかりで、この日、彼の話を聞いた記憶は、無い。

「大学はどうしているの、行ってるの?」「バンドは、まだ続けているの?」こんな質問をしてもよかったのかもしれない。でも、彼が大学に通っていなかろうと、バンド活動がどうなっていようと、そんなことは、私の中で、完全に終わっている事だった。

私たちは、地下鉄に乗って途中まで一緒に帰った。私が、先に降りたのか、どこの駅で別れたのか、よく覚えていない。

結婚前に、彼と会ったのは、これが最後だった。

曼殊沙華

彼のお母さんからの電話

数日後、彼から、電話が来た。彼のお母さんが、電話で私と話したいとのことだった。電話の向こうで、彼がお母さんと電話をかわった。

電話口で、彼のお母さんは、私の結婚に対して「おめでとう」と言ってくれた。そして、「幸せになってください。」と言ってくれたことを今でも、はっきり覚えている。

私は、当時、本当に幼かった。だから、「ありがとうございます」の言葉以外、何も言えなかった。今だったら、彼のお母さんと、この時のことも含めて、いろんな話ができるのにと、思っている。

「一緒にいることが当たり前で自然だった、彼との関係性」は、ここで完全に終わった。大人になった私たちは、いろんな出来事の中で、次のステージで、形を変え繋がっていったけれど、高校生の時のような、無邪気な「対話」をすることは、できなくなった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいつもお読み頂き、ありがとうございます。「二十歳編」はこれで終わりです。「大人編」に続きます。




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