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「死生観が、違うの~」と言われた

若くして亡くなった同級生


今から20年以上前、短大の同級生だったユリさん(仮名)が、30代の若さで、病気のため亡くなった。当時、彼女には、幼稚園と小学校に入ったばかりの二人のお嬢さんがいた。

ユリさんが亡くなったことを知って、友達数人と連名でお花を、実家の住所に贈らせて頂いた。お花を受け取られたユリさんのお母様から、私はお電話を頂いた。

電話の向こうで「残念です…もっと早く気がついてあげていたら…」と泣かれるお母様に、私は、どうしてあげることもできなかった。

二人の幼い娘を残して逝ってしまったユリさんの思い、そして娘を失ったお母様の悲しみを思うと、私は、途方に暮れた。

シスターの友人にお願いした。


私が通っていた短大は、カトリックのミッションスクールだった。同級生にはシスター(修道女)になった人が何人かいた。学生時代、体育の授業で、いつも柔軟体操や軟式テニスのペアを私と組んでいた友人も、シスターになった人だった。

私は、シスターであるこの友人なら、悲しみに暮れるお母様を、きっと励まし、慰めて差し上げれるのではと思った。

早速、私はユリさんの訃報を知らせるため、修道院にいる友人を訪ねた。

シスターの友人は「ユリさんは、本当に優しい人だった。」そう言って、「こんなことがあったのよ」と学生時代のエピソードを話してくれた。(どんな内容だったか、残念ながら今、思い出せないんだけれど…)

私が、ユリさんのお母様と電話でお話をしたこと、そして「悲しみの底に沈んでいるお母様を、あなたが直接、会って慰めて欲しい」と思っている事を伝えた。

すると彼女は、「ごめんなさい、私は会わない。」そう言った。


「何故?」と私は思った。

たぶん私、他の人たちと死生観が違うんだと思うの。だから、機会があったらお墓参りは行こうと思う。でも、お母様にお会いすることはしない。」

そう彼女は言った。

「悲しんでいるお母様に、変なこと言っちゃいそうで…」だから、会わないし、電話もしないと彼女は、キッパリと言った。

「死生観が違う~」

この言葉を聞いて、学生時代から彼女を知っていた私は、「修道者」という生き方を選んだ「彼女の人生の深い部分」に初めて触れたような気がした。

さらに彼女はこんなことも言っていた。

「シスターになろうと決めた時、自分はすべてを捨てて神様に仕えたいと思って修道院に来たの。ところが、全部そろっているのよ、食事も着る物も、温かい部屋も…、だから今、こんなはずでは無かった…と思っている。」


それから数年後(40歳になった頃)彼女は、宣教女(宣教のために海外で活動するシスター)の誓願をたてた。

ある晩、電話で「私、宣教女の誓願をたてたから、今度いつ会えるか、わからない」と彼女は、私に告げた。

修道会の本部があるローマに先ず行って、その後、派遣先が決まるから、どんな国に行くのかもわからない。

「まさか、自分がこんな誓願をたてるなんて思っていなかったから、英語もまともにできないのよ~」と彼女は、冗談交じりに言った。

「死生観」について考える、60歳の私


今でも、彼女とのこの会話は、私の中に鮮明に残されている。

「死生観が違う」・・・この会話をした時、私は35歳ぐらいだった。だから、慌ただしい日々の中で、子育ての事で頭が一杯、自分の「死」について考えたことなどなかった。

それでも、「死生観が違う」という彼女の発言は、「自分の死生観はどうなのか」という問いを私に投げかけた。

一般的に「死」は、「悲しみ」であり、遭遇したくない「不幸な出来事」だ。

でも、彼女は、その捉え方が違うのだ。

現在、医療が発達した社会に生きている私たちにとって、「死はいけない事」のような感覚が刷り込まれているけれど、この世に「生」を受けた人の中で、死なない人はいない。
「生きる事」から「死」は、外せない。

彼女は「どう生きるか」という思考を「死」を受け入れることから、始めていたのかもしれない。

今、振り返って考えてみると、修道女として生きて来た彼女は、私よりも、はるかに自由に「自分自身を生きて来た」のかもしれないと思えてくる。

現在、還暦を過ぎた私は「自分の人生は、あと何年あるのだろうか~」

残された元気な時間の中で「あと何ができるのだろうか~」と日々考えている。

この年齢になると、しがらみのようなものは、あまり感じない。

世間体のような感覚もほぼなくなる。

そして、人生の決められた「レール」の様なものが、私の前には全く無い。

30代、40代の時のような事が通用しない事もわかっている。

だからこそ、今、この日をどうしようかと思うのだ。

60歳を過ぎた私は、どこか「前向きな明るいイメージ」で、「死生観」を捉えている。

人生の時間が、限られていてよかったと思う。

人生が限られているからこそ、「今まで頑張ってきた自分をガッカリさせないよう」に、最後の力を振り絞って「終わりに向かってい行こう!」そんな気持ちで、いま私は生きている。

短大卒業後、ユリさんとお会いする機会がなかった私の中で、彼女はいつまでも「二十歳の学生」のままだ。

私は白髪交じりの「ばあば」なのに…


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