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ウールのお話~ウールが流行ってお召が廃れた?~

七五三のご家族をお見掛けしました。
愛らしい着物のお嬢ちゃんと若いお母さんとおばぁちゃまもお着物。
子供の頃、家族で着物を着るのはお正月でした。
黄色や赤の格子柄や 椿の花の絣の子供用のアンサンブルは
お正月の風物詩でもあったように思います。
毎日が着物生活だった祖母は
ウールの着物に木綿の帯をしめていました。
(先日 姉に私の着物姿が祖母にそっくり!と笑われました。
 顔形ではなく ゆるゆるに着て襟元の開いた着姿だそうで・・・
 いたく反省)
おばぁちゃんの着物は日常生活の着物で
中でもウールの着物は3シーズン着られて丸洗いもできる
経済的な生活着でした。
今 ウールの着物は絶滅しかかっています。
ウールの着物とはどこから生まれたものなのでしょうか?

ウールが日本に輸入されたのは室町時代でした。
ポルトガルの商人が持ち込んだものです。
当時としては南蛮渡来の高級品ですから
主に武将達の陣羽織などに使われて
南蛮趣味のかぶいたお大名が 斬新なデザインのウールを
身にまとい「婆娑羅(バサラ)」と称していきがったそうです。 

同じ頃にオランダからは木綿が入ってきました。
後に唐桟縞と呼ばれることになります。
この時代は木綿も高級品ですから庶民の着物は麻が主流です。
しかし 羊がいないと作れないウールと違い
綿花の栽培は日本でも広がり
江戸時代には木綿が庶民の着物となっていきます。

ウールが市民権を得て一般的に着られるようになるのは
昭和に入ってからです。
戦前はセルやメリンスと呼ばれていました。
おばあちゃんやお母さんの話で「セルの着物」という
言葉を耳にしたことがあるかもしれません。
戦後の衣料不足と着物離れから
セルの着尺を織っていた工場が
広幅の婦人服生地を織るようになりました。
しかし服地と着物地では色柄のセンスが違い
さっぱり売れなかった上に羊毛相場が下落して
半値以下の捨て値で売られるようになりました。
その価格の安さに目をつけた主婦が
広幅のウールから着物を仕立てる方法を考え
口コミで広がり やがて流行となりました。
しかし、着物は広幅のウール地で仕立てるより
やはり反幅から仕立てる方が楽で
仕上がりも美しいので
一度は広幅の洋服地を織った工場も
元の短幅のウールを織るようになり
そこからウールの着物、と呼ばれるようになったそうです。
 
この後日談が 御召の衰退に繋がります。
ウールの着物の流行から織り方や色柄が進化したウールは
当時の絹織物で人気のあった御召に近いものが織られるようになりました。
そうなると高価な御召を着ていても
ウールに見られてしまうのは女性として面白くありません。
御召の人気が下がってしまったのです。
それに代わって ウールでも御召でもない高級着物が求められ
大島紬の流行へ続いていくのです。

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