新六郷物語 第七章 七

   府内は平野の中にあり、上原館も丘の上にあるだけで城ではない。攻めて来られると防御できない。臼杵城なら防げるが、兵糧が尽きるか水が押えられるか。隆村は先日、臼杵に往復した時、吉野へ向かう先に利光氏の守る鶴賀城があったのを見た。南から攻め入られたら、鶴賀城で止めるしかない。城では守れないし、地勢に長けた利を使って攻めるしかない。鶴賀城まで押せてこられるともう勝てない。日向口から、あるいは阿蘇から竹田を越して来ても、戸次に来る前の狭小な地勢を利して進軍を止めることが大事だ。そのためには、敵の進軍情報を迅速に伝える仕組みを作り、各地の地勢を分析して、軍の配置と連携を徹底させる必要がある。大規模な戦は相手が望むこと。島津勢は必ず大軍を押して攻め入る。攻め入る方が小部隊で来るはずはない。全面的な戦は避け、狭小な地勢に大軍が入ったところを少しずつ攻めて、際限なく打撃を与え続けることが大事になる。しかし戦略に長けた人材がいない。どちらにしても攻めてこられたら負けだ。
   隆村は浄峰様の読経を思い浮かべた。あの気持ちの良さは何か。主君田原紹忍は自分を大事にしてくれる。しかし、千燈寺焼き討ちや、宇佐神宮焼き討ちに荷担しなければならないのは辛い。戦に出れば命を落とすことも覚悟するし、もとより死は避けて通れない。しかし自分は何も考えず、主君の命令に従うだけでいいのか。剣を振って相手を倒すだけで楽しいのか。隆村は田染を訪ねたいと思った。しかしいまは府内にいなければならない。暇があっても馬で駆けるだけで、主君に言われた、悪いのに捉まることもなく過ぎていく。
   数日後、糸原宗衛門から呼ばれ、臼杵へ文を届けるよう指示を受けた。宗麟公へ届け、返事を貰うか、反応を聞く。これが任務であった。隆村は馬を駆けた。臼杵城へ着き、文を届けると、一室でしばらく待つことになる。これは仕方のないことである。若い男がお茶を持って来てくれた。隆村は近習に安岐武信殿がおられるはずだが、いまどうされているか聞いてみた。
   「安岐武信様はお使いにて出ております。一昨日出発しましたので、お戻りはまだ先になると思います」
  「遠くへ行かれたのか」
  「わかりません。十日ほど要する、としか聞いていません。安岐様が知らせてくれましたので、いまご不在がわかる次第です」
   「それでは、安岐殿が知らせてくれなければ、いま何をしているのか、どこにいるのか、休んでおるのかもわからないということか」
  「左様でございます。宗麟様が直々に命じられますので、私など知る由もありません」
   若い男はそう言うと立って出て行った。隆村はただ待つしかなかった。お茶を飲むと小便がしたくなった。厠を探しに出ていく。城中を彷徨って、厠を見つける。用を足す。引き返してくる途中、襖越しに悲鳴が聞こえた。悲鳴は更に激しくなり、隆村は襖を開け助けに行くべきだと判断した。手を襖にかけ開けようとした時、壮年の武士が走りより隆村の手を押えた。訝しい思いで手を押えた男を見ると、静かに、と合図を送り、背を押して控えの間まで先導した。指定された席に戻ると、
  「私は近習頭の志賀秀矩と申す。そなたは」
  「武蔵田原紹忍の配下におります影平隆村と申します」
  「おお、そなたが影平殿か、先の武功はお見事であった。ここへは初めてお越しかな。三度目、そうであろう、まだ慣れておられぬご様子、無理もあるまい。助けに?いえ構いません。助けになど行ったらとんでもありませんよ。何事か?そうでしょう。影平殿、どうか内密で。あれは宗麟様のご休憩でございます。ご休憩とは、そうです。申し上げにくいことですが、女子を抱くのでございます。毎夜、夜伽の女はいるのでございますが、何分激しいもので、夜だけでは足りぬのでございますよ。若くて綺麗なのを見かけると、それこそどこであろうと、何時であろうと構いません。今日はたまたま、奥方付きになった女中が、何用かあってここに見えられたのを目にされて、早速お捕まえになられたのでございます。お可愛そうに。女が哀れでございます。ここで宗麟様に陵辱され、戻られたら奥方に悋気されて立つ瀬がありません。お止めにならぬ?とんでもありませんよ。人の言うことなど聞く方ではありません。そうです。良くあることです。ここの者はもう見ても知らぬ振りをするしかありません」
  隆村は話には聞いたことがあったが、現実を見聞して衝撃を受けた。人を人として見ていないのだ。志賀秀矩はそう説明すると出て行った。隆村は苛立った。がどうもできない。座して待つ気分になれず庭を歩いた。塀の向こうに海が見えた。潮が引いた遠浅の浜に人が出て、貝を掘っているのが見えた。しばらく見て戻ろうとすると、髪を乱し着衣も乱れ、放心したように庭に出てくる女が見えた。隆村は、あの女が宗麟の犠牲になったのだと思った。隆村の方向へ歩いてくる。こちらは出口ではない。どこへ行こうとしているのか。それさえもわからないほど衝撃を受けたのか。無残である。女が近づいてくるのを見て、隆村は驚愕した。
  「篠さん、篠さんではありませんか」
  女は驚いて立ち止まり、呼びかけた男の顔を見ると、目を見開いた。が、忽ち顔を下に向け、向きを変えて後戻りし走り去った。
   あれは篠だ。そう言えばあの時、臼杵の奥方付きの女中として仕えると聞いていた。志賀秀矩が話した、今日はたまたま奥方付きの女がここに来て捕まったと言う説明があてはまる。無念なことだ。隆村は篠にあの時、もう会えません、と言われてはいたが、篠の優しさ、体の素晴らしさは決して忘れることができない。大事にしまっておきたかった思い出の女を陵辱された姿で見ることになった。人を治める人がこの様か。自分は武蔵田原家に仕えているが、その田原家は大友家を神のように信じて仕えている。自分が素直に働くことは、全て宗麟公に繋がっていく。自分の仕えは宗麟公のためにあるのだ。腹立たしさと悔しさが同居したまま、隆村は指定の場所に戻り座して待った。廊下の先から、宗麟公の高い大きい声が聞こえて来た。
  「志賀、篠という女を向こうから引き抜きここへ置け」
  「それは奥方様に許されません」
  「志賀、女中の代わりならいくらでもおる。急げ。明日までにするのじゃ」
  「は・・・」
   足音が近づいて来た。志賀が襖を開け、宗麟が入って来た。隆村は頭を下げる。隆村は自分の頭の向こうにある大きな男に、いま腰の短剣を突きつけたら仕留められるか考えてみた。志賀秀矩は無害だと思っている。剣はまるで使えない。しかし背の高い五十を越した老人は隙がない。武術に長けている。短剣では仕留められない。長剣なら、簡単ではないが、自分ならやれる。しかしここは長剣を持って入れない。もし持っていても、宗麟公を誅すれば逆臣として生きては出られないし、田原紹忍にも責めがおよぶ。苦悶しながら、宗麟の言葉を待つ。
  「武蔵の使いだな。おお影平であったか、武蔵も察しが悪い。政は府内がするようになっておる。わしは何も指示を出さぬ。何故かわかるか。わしは何も指示は出さぬ。それが返事じゃ。影平よ、勝ち戦なら奪う物があるはずじゃ。しかし此度の戦は勝ったのではない。内輪の揉め事が静まっただけじゃ。勝った者がおらん。褒賞は出したはずじゃ。与えられる土地などない。そうであろう。それに日向の戦の責めは誰が負うべきか。わしはそれを不問にしておる。側におりながら本家筋の謀反を止められん責めも不問にしておる。紹忍はいい男じゃが、ちとここが働かん。しかしあれはわしの言うことをよう聞いてくれる。わしも助かっておる。そう伝えてくれ。まだまだ頼むぞと。府内に言うのは構わん。府内が聞いてくれればいいが。そう言うことじゃ。影平、また出てくるが良い」
  宗麟はそう言うと出て行った。
  「志賀、忘れるでないぞ、明日までじゃ」

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