新六郷物語 第七章 六

   千燈寺を詣でたこと、そこで思いもかけず浄峰に会えたことで、隆村は重い荷物が取れた気持ちになった。馬に乗って空を見れば、雲は無くすっきりと晴れて、吹く風も涼しさを感じるようになった。
   陶酔する読経だった。無限の安寧に引き込まれていく快感があった。浄峰様の目は穏やかで、何の衒いも無く思っていることを吐き出させてしまう、度量の違う寛容さがあった。高僧というより聖のような人だった。隆村は大事な温もりを貰った。浄峰様と話ができた。しかも従兄弟だ。純平は田染にいて、浄峰様はそこを起点に六郷を説法して回る。是非尋ねて来られたい。寂寞を消却する帰り道は、暖かい絆を持ち帰ることになった。
   近習務めに戻り、冬になろうとした頃、隆村は主君に就いてまた府内へ行くことになった。主君は船で行く。隆村は先立ちして馬で行くように命じられた。愛馬を連れて行くのは、隆村がしばらく府内に留まり、府内の留守役糸原宗衛門を補佐する任に就くことになったからである。
  「隆村、しばらく府内にいて糸原宗衛門を助けてくれ。いまは戦もない。国東の中は当分静かじゃ。わしは田原本家が謀反を止めるために、国東、安岐を手放した。ところが本家は国東、安岐を取り戻すと謀反をした。親家殿が引継いだとは言え、このままでは納得ができん。できれば元に戻してもらいたい。悪くとも安岐か国東か片方でも欲しい。義統様にも話はしてあるが、返事も無い。臼杵の先の大殿へも文を出している。糸原が臼杵へ行くこともある。補佐してやってくれ。時には隆村が臼杵へ駆けることもあるかも知れん。誰もができることではない。そなたは先の戦の武功第一である。宗麟公へそなたを見せれば、わしの意図するところを解ってもらえよう。義統様ではもう話もならん。それに、ここ武蔵ではいい嫁もおらんと見た。久蔵も心配しておるが、お主が決めることじゃ。府内なら綺麗な女子もおるかも知れん。悪いのに捕まらんように、羽根を伸ばすが良い」
  父久蔵の勧める縁談は、隆村にとっては影平家を興すためのものであり、隆村の伴侶を決めるのは家のためであった。隆村は、家はまだ欲しくない。型に捉われ義理に追われ、また悲惨な思いをしなければならないかもしれない。その重みにまだ耐え切れない。主君は府内でいい女を探せ、と言う。押付けではなく、気軽さがあって隆村は嬉しかった。隆村は主君の言葉に愛情を感じた。
  府内に着くと隆村は、早朝の日課を始めた。川まで走って剣を振る。日が昇るまでに館に戻る。途中安東篠のいた家を見るが、焼けた本館も長屋も門も、全て壊されて更地になっていた。下男の甚助が聞いて来た話によると、バテレンは教会と呼ぶ南蛮寺が建てられるらしい。留守役の糸原宗衛門は六十を超えた老人であった。府内の留守役を務めるには、体力より知力が求められた。交渉術にたけ情報収集力に秀でていなければならない。糸原宗衛門は痩せてはいるが矍鑠として、話術に長じていた。影平隆村が着任の挨拶をすると、 
    「剣のようには行くまいが、そなたは広い柔軟な考えを持っておるようじゃ。殿が期待をしておる。これからは何より情報を多く持つこと。憶測せずそのまま伝えることが大事じゃ。いずれは大事を任されよう。心して務めるが良い。しばらくはわしに就いておればよい。わしが呼ばぬ間は、好きなところへ行くが良い。殿も認めておる。悪いのに捉まらんように。わしがもう少し若ければ一緒に行ってもいいが、もう無理じゃ」
  そう言って糸原宗衛門は声をあげて笑った。
  隆村は糸原宗衛門に就いて二度大友館に参上した。大友義統大殿は、側近の顔を見ているだけで判断ができない人だと思った。何の返答も聞き出せない糸原宗衛門は、近日中に田原紹忍が参上する旨を伝えて下がった。田原紹忍は府内に着くと直ぐ大友館に参上した。その時糸原宗衛門と供に隆村も同行したが、控えの間で半日待つだけであった。田原紹忍はその二日後大友館に参上したが、翌日には武蔵に帰って行った。翌日隆村は糸原宗衛門と馬を並べて臼杵へ向かった。戸次から吉野を通り深田の里を川沿いに臼杵に入る。隆村は海と山に囲まれた狭いところに、海に突き出すような天守閣を持った城があるのに驚いた。まともに攻めても落とせない。宗麟公はここに隠居していた。
  「糸原、何用だ」
  頭の上から高い大きな声が響いた。糸原宗衛門は、おそれながら、と主田原紹忍が文で伝えている国東、安岐の帰属についての返答を頂きたいと、頭を下げたまま言った。
 「政は府内に任せておる。府内に言えば良い」
  「おそれながら府内にはもう随分前から何度もお願いを申し上げておりますが、一向にご返事もいただけない有様でございます。何卒、左衛門督大友宗麟様よりご指示賜りたく参上致しました」
  「そうか、府内へは早くするよう伝える。そこの者は誰か」
  「は、私を補佐する役目に就きました影平隆村でございます。今後お見知り頂きますようお願い申し上げます」
  隆村は糸原宗衛門から目配せされたので、
  「影平隆村と申します。何卒宜しくお願い申し上げます」
  「面をあげよ」
  宗麟公の声が響いたので、隆村も糸原も顔を少し上げた。
  「そなたが影平隆村か、先の戦は初陣であったそうだな。見事な働きであった。一度ならず二度も殊勲を上げた。武蔵もいい配下を持ったものよ」
  宗麟公はそう言うと、席を立って出て行った。隆村は、背が高く壮健で、頭を剃り上げた元気な老人が、首の周りに白い大きな襟のついた異人服を着て、首に十字架を下げているのを見た。バテレンの殿様だった。
  糸原宗衛門は予想された返答だと思ったようで、真直ぐ府内に戻って来た。帰り着くと隆村に、しばらく呼ぶまでは好きにするようにと言った。
  隆村は馬を駆けた。今都留から高城、鶴崎へ向け海沿いに走る。左手に松林が見え、その先に真っ白い浜が見える。青い海と白い浜と緑の松林は東に真っ直ぐ空に向かって延びている。鶴崎まで来ると大野川がゆったりと流れている。隆村は馬を船で渡して更に駆ける。大在から坂の市へ向かう。青と白と緑はまだまだ続く。三里に及ぶ雄大な見事な海岸線だ。夕暮れになって佐賀関に着いた。宿に泊まる。翌朝岬まで行く。豊後水道の向こうに四国が見えた。日が昇る前なのに、漁師船が何層も出ているのが見えた。関で取れる鯵や鯖、それに鯛は、豊後水道の急流に身がしまるから旨いと言う。村上水軍はあの向こうから来るのだ。それほど遠くはない。臼杵からは武蔵より近い。関の湊には大友方の水軍である若林氏の船が多数係留されていた。隆村は関神社に詣でると帰路についた。十一年後、豊後岡城主中川氏が臼杵城の太田氏を攻めた時、この関神社に中川氏に就いた田原紹忍が放火して、神社の怒りを買い、戦局に壊滅的な打撃を与え自身も討ち死にすることになるのだが、いまの隆村には知る由もない。隆村は豊後も四国も隣だと実感した旅になった。

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