見出し画像

青の彷徨  前編 23

 年末最後の仕事を納めてノッピの元に戻ったのは九時前だった。周吾は毎度のこととはいえ、年末の区切りが就いたことに安堵した。仕事の雑念を払って、ノッピと二人二回目の正月を迎えることができる。嬉しかった。ノッピはご飯も食べずに待っていてくれた。今週は一日しか戻れなかったので、寂しかった。丸二日ノッピに会えなかった。周吾の大好きな鍋をつついてお酒も少し飲んで、一緒に片付けをして、風呂に入って、ソファーに並んで座った。周吾は今現実なのか、と思った。愛しくて、愛しくて堪らない人とこうしていられる。おいしいものを一緒に食べて一緒にくつろいでいられる。幸せすぎるのではと思った。
 周吾は隣のノッピを抱き寄せた。抱き寄せてノッピの匂いをかぐ。安心するノッピの匂いがする。ノッピも周吾に寄りかかる。
 「いい匂いがする。ノッピの匂いだ。すごくほっとするいい匂いだ」
 「アオもよ」
 「一年前の十月二六日に初めてここに拉致されて来て」
  「もう拉致なんて言わないで」
 「初めてこの夜景を見た時から、いつかこうなりたいと思ってきたけど、こんなに順調に来ていいんだろうか、って思う。それだけ今はもう夢の中にいるくらい幸せだ。去年のクリスマスは阿修羅を見に行って、今年は五人で忘年会になったけど、国東も熊本も福岡も、ノッピと二人でほんとうに楽しかった。こんなに楽しい思いで一年を送れるなんて考えもしなかった。冬の寒い夜に、光る明かりがみんな暖かく見える」
 「そうよ。この景色をもう平気で見られるようになった。アオのお陰よ。もう私もアオの妻。こんなに安心して年末を過ごせるの、初めてよ。去年はまだすこし心配だったもの。アオが結婚してくれるかなって」
 「そうなの?ぼくはノッピはもう、雲の上の女神様だから、結婚なんて、思ってもいけないと思っていた。あの頃は奇跡だと思っていた。いまだに信じられないくらいだ」
 「私も、アオを最初に見た時、もうピンときたの。決まっていたのよ。私達。お互いに一目ぼれするように」
 「そうか。運命の神様に感謝だ」
 正月はノッピが周吾の実家に行こうと言って、大晦日、元旦と過ごし二日の夜大分に戻った。実家の父母は大喜びだった。ノッピと一緒に墓参りにも行った。御節料理を作るのも、楽しそうに母と作っていた。周吾は姑と嫁の不仲が問題になるが、ノッピならそれもないだろうと思った。ノッピは賢い嫁だ。母に色々聞いて教えてもらっている。ノッピだって料理はプロ並みなのにそのそぶりを見せない。教えてもらった以上のことをやる。御節一つとっても、地方、地方で異なる。関東は元旦に御節を食べる。これは全国一般的なことだ。万丈の田舎では、大晦日の日中から、歳の膳を出す。年越しをすると言う習慣だ。これがこの地方の御節になる。必ずつくのが、鯛を焼いて煮付けたもの、お頭つきだ。それ以外は世間一般的な御節料理がつく。大晦日の昼過ぎから、その年越しの食事会が始まる。ノッピは、
 「こんなにはやく御節を食べるの?え昼間から飲んでいいの?面白い」
 とにかく好奇心旺盛だ。このへんはあの地方文化研究者のお父さんに似ているのだろうか。四人でゆっくり御膳を頂きながら酒を飲む。母が全く飲めないが、父も周吾もノッピも飲む。もう後は来年まですることはない。これも風習だ。
 元旦には周吾とノッピは近所の神社に徒歩で初詣に行く。田舎で人影もまばらだが、見知った人には挨拶を交わす。当然ノッピも紹介する。これでまた、しばらくこのあたりの井戸端会議のテーマが出来た、と周吾が言うと、ノッピは是非仲間に入って話を聞きたい、と言う。この好奇心はどこから来るのだろう。周吾はその悪戯っぽいノッピがまたたまらなく好きだ。
 「信枝さん、今年の正月は福が来たんで、こんな楽しいことはなかったです」
 父が珍しいことを言った。
 「お父さん、福って何ですか」
 「信枝さんが福です。我が家も福が来たんで、嬉しいです。私は夢を見ちょるごとあります。志乃もそう思うちょります」
 母はまた、野菜とか米とかいっぱい持たせてくれた。
 二人だけの正月となった二日の夜、周吾はノッピに感謝した。ノッピは当然のことをしたまでだ、と言ったが、周吾はあんな父親を見たことなかった。
 「僕はノッピと結婚して自分は当然幸せいっぱいになったが、周りの親にもそれ以上の幸せをもたらしているよ。ノッピのおかげだ。ありがとう」
 周吾はいつも言葉にして表現する。こころの中で思っていただけでは申し訳ないくらい感謝しているからだ。
 ノッピは、
 「アオはほんとうに素直で裏が全くないし、涙もろいけど優しいから大好きよ。それに私は嫌々で周吾の実家に帰った、のじゃない。ほんとうにご両親に会いたかったし、正月の習慣の違いも楽しんだ。また行こう」
 ノッピはそう言った。
 通常に慣れたというのか、ノッピの元に最低週末は帰る。そんな生活が続いた。
 一月が過ぎ、二月が過ぎた。
 周吾の会社では転勤の噂が出るようになった。三月の初めごろ周吾は五味支店長に声をかけられた。小会議室に入る。人事のことか、と周吾は思った 
 「蒼井はもう四年だな。そろそろ変っても悪うねえな。どうかえ。お前は成績がいいから、こっちとしてはまだ出しとうはねえが、今年から希望を聞かないけんごとなった。奥さんが太陽会病院の先生だろ。あっこもうちは取引が大きい。どうかえ、大分がいいんじゃねえか、そうしたら単身赴任もせんでいい」
 周吾は、是非そうしてくれと頼んだ。ノッピのそばにいたい。毎日毎日より長くノッピのそばにいたい。そう思った。実現の可能性はどうでしょうか?周吾が尋ねると五味支店長は、合併して初めてだから、まだよくわからんが、今の空気では大丈夫だろう。成績の悪いのは難しいが、お前は成績がいいから、引き合いが多い。そんなことまで言った。
 周吾はもちろん隠さずにノッピに転勤の相談の話をすると、
 「アオ、とってもとっても嬉しい。毎日毎日アオに会える。嬉しい」
 そう言って、もう正式に決まったかのような喜び方をした。
 それから一週間ほどしてまた五味支店長に呼ばれた。正式に決まった。大分の営業だ。今度は大分の中で一番シェアの低いところが担当になるようだ。お前なら心配していない。がんばってくれ。引継ぎ関係は決算終了後になるから、単身赴任を切上げるのは早くて四月中旬だろう。
 周吾はノッピにそのまま伝えた。
 「万歳。万歳。アオ万歳。嬉しい、嬉しい、とっても、とっても嬉しい」
 ノッピは大喜びをした。周吾ももちろん嬉しかった。ノッピと一緒にいられる。仕事がどうの関係なかった。シェアよりノッピだった。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?