新六郷物語 第七章 八

   純平はその後、真木伝衛門に教えてもらいながら、佐和が引継いだ吉弘雅朋家の土地全てをやっと検分した。田や畑はもうしっかり把握したが、山はまだであった。ここまで余裕がなかったのだ。
   屋敷の向こうに桂川が大きく蛇行して流れている。蛇行した下流部分に屋敷はあるが、屋敷と川の間に荘園があり、蛇行の先端から終点まで伸びている。山際には小作の住居が並んでいる。川の向こうは山が舌状に広がっている。蛇行した川の向こう側にも少しだが荘園があり、舌状の先端部分に桂川の支流が注いでいる。支流を上っていく両側にもほんの僅かだが田畑があった。真木伝衛門から荘園の説明は受けていたが、山についてはまだだった。真木伝衛門は屋敷から見える山はみな吉弘雅朋家のもので、蛇行した川にせり出した舌状の山も、その周りを川に沿って囲む山も、蛇行する川に注ぐ二つの支流も奥まで六坊純平殿が支配する土地だと教えてくれた。
   「この辺の山はそれほど高くありません。特に蛇行する川に囲まれた舌状の山は木を育てるには向いていません。支流沿いを開けばまだ田はできるかも知れませんが、それほどいい場所ではありません。まあ何も無いよりよしとすべきです。薪を取るほどはあるでしょう」
  別邸の屋敷から田染の真木邸へ向かう時は、蛇行する川を二度渡る最短距離で結ぶ山裾の中を通る。舌状に伸びた山がどれほどのものか、普段見ることも考えることもないが、真木伝衛門に案内されて蛇行する川を回り、支流の奥まで進むと、純平は驚愕した。支流の奥までの豊かなこと。水田は奥まで続いているが、北側、西側に急峻な山を背負い、南、東側は緩い傾斜になっている。まだまだ田が開ける。それより、と純平は思った。支流から引き戻し、桂川を上る。舌状の付け根、二度川を渡る上流側に来て、屋敷に戻る山裾の道に入った。両側には木が茂る暗いところだ。純平は立ち止まり、舌状の先端に目を向けた。蛇行している舌状の山や、外周の川も殆ど高低差がないようだ。蛇行する川も枝分かれして先でまた一つになっている。
  上流から水を引けば、かなりの規模の田ができる。これを寺社領にして寄進すれば、この地に寺が建てられる。全て自前で運営もできる。純平は感動して、木々に茂った低い山を見た。木を倒して材木にする。細かい木々は薪にする。捨てる物は何もない。礎石は山を削るか、谷から運べばいくらでもある。ここの住職は一人しかいない。兄の浄峰だ。せめて兄には地元の力だけで寺を用意したい。それがこの地に暮らす者の勤めだ。ここを田にするのに何年かかるか。水を引くのは簡単だ。上流側の橋の先は急流だ。少し上流から引けば低地に全て行き渡る。舌状の付け根の奥側、道の後ろに台地のように山が迫り出している。ここに寺を建てれば絶景になるし、井戸も掘れば必ず水も出るだろう。最高の場所だ。純平は夢を見るように景色を見て震えていた。
 左右を木々で囲まれた暗い道の真ん中で立ち止まったままの純平を見て、
 「純平殿、どうされました。ここは木を植えても傾斜がないもので育ちが悪い。あまりいい土地ではありません」
 真木伝衛門がそう言った。
 純平は、伝衛門を左の山の中に連れ込んだ。道の無い山を分け入って登って行く。しばらく登ると生い茂る草木の中に台地のような場所があって、そこから川向こうの屋敷が見えた。
 「おお、お屋敷が見えます。川が蛇行しているのが良く見えます」
 伝衛門がそう声をあげた。
 「伝衛門殿、ここから蛇行する川の間の森を開きます。川は大きく蛇行していますが、水の流れは緩やかで淀んでいます。この舌状の山は木を切ってしまえばおそらく平坦でしょう。立ち木を見れば等間隔で立っています。大きな岩もないと思います。ここを田にします。文字通り田の字を書いて上下二段ずつで開けると思います。水は直ぐ引けます。いま立っているところに寺を建てます。この寺からは目前の水田が見え、屋敷が見えます。川の向こうまで、支流の奥まで見通せます。吉弘雅朋様が残してくれた殆どの場所から寺が見えます。切り開いた田は寺に寄進します。おそらく二十町歩、いや三十町歩は取れるのではないでしょうか。六郷のお寺は、兄が帰郷する途中で頂いた喜捨で大半ができています。そんな兄にはなんとしてもこの地だけで寺を建ててやりたい。いまある資金を元に着工します。この近辺の喜捨を募り、田を開きます。金銭だけでなく労力だって立派な喜捨です。この近辺は高山寺や伝乗寺、報恩寺など大きいお寺が無くなりました。ここならお寺の場所としても悪くないと思います。それに寺社領になれば入植する人も多いのではないでしょうか。寺から見て左側、山裾の辺りに集落もできます。川向こうの右山裾も悪くないと思いますが、どうでしょう」
 純平はそう言った。
 「純平殿、いや全く、見る人が見ると違うものです。私などは、あそこは山だから、単に木の育ちでしか見えませんでした。そういう目で見れば、まさしく取って置きの場所です。これほどのところもないでしょう。素晴らしい光景が目に浮かびます。なんとしても出来上がるまで生きていたいものです」
 真木伝衛門が言った。
 「伝衛門殿、私はそんなに長くは考えていません。喜捨は労力でいいのです。木を伐ること。田を切り開くこと。田を作ること。伐った木を削り、寺を建てること。水を引くこと。殆ど労力で喜捨できます。わたしは三年で建てられると思います」
 「たった三年ですか。純平殿ならできるでしょう。私も何とか見られるかも知れません。私が入る墓も、この山の中腹くらいにできるといいです」
 純平は早速、佐和にこの話をした。佐和は喜んで見に行きたいと言う。結局、六坊家全員で見に行く。屋敷から川を渡って目と鼻の間だ。生い茂った草木を掻き分けて寺が建てられる場所まで登って来て、蛇行する川を見渡す。純平の話に皆感動して、
 「よし喜捨を募りましょう。労力の喜捨を」
 黒木信助が手を上げる。小崎庄助も、
 「こんな場所がよくもあったものです。純平殿のような目でごらんになれば、いとも簡単にお宝に変ります」
 その数日後、兄の浄峰が戻って来たので、六坊家全員が揃った席で、純平が兄の寺を建てる説明をした。
 「佐和が相続した山を切り開き、伐った木で寺を建てます。場所はここから見える向こうの山裾の少し張り出した所です。寺側から川に張り出した山は開いて田にします。蛇行する流れが緩く淀んでいます。あの山は平坦です。木を切れば、田は開き易いと思います。開いた田は寺領にします。田はおよそ三十町歩。山の左裾に家を建て入植してもらいます。もちろん檀家になります。寺を建てる当初の資金は六坊家が出します。大工費用くらいは必要になります。後は労力の喜捨に頼ります。殆ど労力の喜捨に拠ることばかりです。この地区は高山寺、伝乗寺、報恩寺などの大きいお寺が焼かれて、いま頼る寺もありません。寺を必要とする場所になります。それに、兄には帰郷以来多額の喜捨を集め、六郷全体が生き返りました。せめて自前で寺を用意したいのです。その寺の初代住職になってもらえるでしょうか」
 純平はそう説明した。浄峰は黙って聞いていたが、
 「御仏に感謝。佐和様に感謝。純に感謝。庄助殿、信助殿、有里殿、豊治殿に感謝じゃ。ありがたく務めさせて頂きたい」
 そう言って頭をさげた。
 「万歳、万歳」
 そんな声も出た。

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