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望郷点描

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戦後昭和の時代 昔 故郷を思う。
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#子供

望郷点描

 昭和三十年代を山奥の田舎で過ごした者として、ふとあの頃のことを思い出す。楽しくも悔しくも辛くも酸っぱくも有ったあの時。時の駅に立ってあの景色を眺めて見たくなる。二度と立ち返ることはできないが、あの時の駅に止まり、思い浮かべることは出来る。時の駅には、いまを築いてくれた人への感謝をこめて立ち寄る。  子供の頃は自然の中で遊び育った。四面の山間を縫うように支流が本流に注ぎ僅かに三角洲ができている。山の際に家々は建っていて、家の目前には田があり、見上げる前後左右が山だった。ある豊

番匠川

 故郷を思うと、第一に川である。何しろ山だらけに川が流れているだけのところだ。  子供の夏休みの遊びは川だ。番匠川の支流小又川に、子供が泳げる場所が決まっていた。妙見(みょうけん)という場所である。二つの集落の子供が集まり、天気の良い日は賑った。灌漑用水の引き込み口になって、コンクリートで堰が作られていた。堰に流れが止められ、石が溜まって浅瀬になり、上流に行くにつれて深くなっていた。深いところは二m近くあった。その両岸には大きな岩があり、岩の上から飛び込んで遊んだ。小さい子は

子供の遊びと行事

 ゲームはなかったが、遊び場は一杯あった。時間も余る程あった。 正月は凧揚げをした。田んぼに出て行けば電線もなかった。田の段差はあったが、お構いなし。凧は奴凧を買って揚げた。たまに竹を削って和紙を張り、糸を引いて揚げた。面子でもよく遊んだ。面子とは呼ばずに、ぱっちんと言った。丸い紙に武者の絵などが描かれて、大小色々あった。ぱっちんを平たい地面に置く。そのぱっちんに足を添えるようにして、上から別のぱっちんを打つのだ。うまく風を起こせると、足が壁になって空気が遮られるから、地面に