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ノックしたドアはいつか開く 『心の絵 by Tathina』


アメリカでトラウマ治療を専門に活動されているTrauma Focused Cognitive Therapy 公認心理士でもある、ジョーンズ美香さんのアーツを用いたWS に参加しました。

それを機に記録を兼ねてこのnoteを書いています。

私は15年近くインドで開催されるOSHO瞑想アートグループに携わっています。
身体、エネルギー、感情等に気づいて自分の感覚や内なる声をフォローする事、世界中から集まるたくさんの人達と共にする瞑想、セラピー、エクササイズ、シェアリング等の時間を通して、自分の生まれ育った環境をこの身に携えながら国境を超えて他者との関わり方の現れを観たり、思考を超えてペインティングで表現したり、自分のネイチャーに出会いそれを生きる事等を学んできました。

このインドでのグループに参加した事を機に、絵を描く事や、計画通りに全くスムーズにいかない状況から、いかに柔軟に対応し何かを創る事が出来るのか?と想像する事が好きになり今に至っています。
OSHO瞑想アートの親分Meeraには感謝が尽きません。
彼女の名前を出すと今でも思い出に感傷的になる自分のパートがいるので、語るのを少し避けてきた節もあります。
図らずともこのnoteを書き始めた日が彼女の誕生日でした。。

コロナのパンデミック中にいつも通り自宅で絵を描いている時、絵を見たり描く事を通して私は今迄どれだけ助けられ滋養を受け取ってきてたのかという事を改めて実感しました。
それは、長年の経験からいつのまにか日常の一部になっていた感覚が改めて胸に大きくノックする瞬間でした。

以来、絵を描く事自体のパワーや癒しの効果、非言語コミュニケーションのツールの一つとしてのペインティングという点を新たな視点で学びたいという想いが湧き上がってきた時は、今更!?という驚きと戸惑いと照れ臭い感じが合わさり、現れたチョコレート色の景色の奥に久しぶりにあたたかい灯りを感じました。

慣れ親しんできた所とは違う場所へ出向いて、初めましてと挨拶するのはいつになっても緊張します。

ミッチェル•コザック博士( 国際表現アーツセラピー協会 前会長) の10ヶ月トレーニング講座で、絵や身体ムーブメントや音楽やライティング等のアーツを用いたアプローチの研究や臨床についての講義とエクササイズの体験や宿題を通しての日々もあっという間に終わりに近づいています。

ミッチェル博士の存在は、子供の時の先生とクラスメイトと私というとある思い出をやわらかくほぐしてくれていると感じていて、講座が終わってしまうのが既に寂しいです。

今回、ジョーンズ美香さんのトラウマにフォーカスしたWSに参加し、最後の1時間のグループワークで驚くほど一瞬で色々な感情が湧き出て、笑い泣きと感動で、いつもならイベント終了後直帰する私が少し居残り珍しい行動をとったり、電車で意味もなくどこか楽しく感じたり熱くなっている自分に衝撃を受けました。

WSで私の中にイメージとして出てきた"ひょうたんおじいさん"を機に、15年以上前に名古屋弁のある人から "あんたの中の頑固ジジイ" というキーワードを言われた事があるのを思い出しました。

人生は繋がっていて、10年単位で打った点が繋がったり動き出す事があると思います。
一回のマジックというより、たくさんの装置があるタイミングでいろんな所から起動し始めるような。

口に入れたドンパッチ!

トラウトを解すのには実際に個人と定期的なワークをして3年はかかると言っていました。(そして脳が若い人の方が動きが見えるのが早いと)
ちろん人それぞれのタイミングがあるし、とりかからなければいけないわけではないです。

それぞれの場所で私たちみんなが、少しでも過ごしやすく生きやすいといいなという思いがWS中に出てきました。
日々こまめに表現する事やそれが出来る場は大切だなとも感じました。


私にとってアートとは、生きる事や命につながっています。
そしてその向こうにある死にもきっと。

癌の治療後、ネットサーフィンをしていた時に画面がフリーズし、マウスをカチカチしていたらいきなり画面が変わり現れたのがMeeraの赤とオレンジを基調にした絵でした。
誰?この絵を描いた人は?
その絵を見た時に生まれて初めて自分の心臓がドクンと音を立て始めたのを聴きました。

OshoとMeeraは、誰かを通してではなく彼等が直接死にかけていた私の目の前に姿を現したのが出会いでした。

と、

ここまで書いたら突然、おじいちゃんが手作りした車庫のドアが壊れた。
そして閉じなくなりました。

開けっぱなしを保持し、折を見て修理を試みます。
これも何か一つのドンパッチなのか?

途中感残したまま、ここまでを記録としてあげておきます。

サインは色々なところから断片的にやってきますよね。
自分の頭の中で深追いしすぎないように、空気中にそれらを散りばめてそのまま置いておきます。

※ 長年絵を描いたりする事をグループでの活動を通して"ペインティング"と言っていたので、この言葉を使う時は自分にとって何か近く親しみを感じている時だと思います。


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