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「あいつを殺して心中も考えた」実の父が語る凶行の背景とは|大阪池田小児童殺傷事件・宅間守

2001年6月8日、大阪府池田市にある大阪教育大学附属池田小学校に侵入した宅間守は、出刃包丁で児童らを無差別に襲撃。児童8名を殺害、児童13名と教諭2名に傷害を負わせたのち、同校教諭らに取り押さえられ現行犯逮捕された。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

「あいつには親としての情がわかないんだ」

 2012年3月29日午前、法務省は死刑囚3人の刑を執行した。1年8ヶ月ぶりの死刑執行である。死刑確定後も長期に渡って執行されない現状の死刑制度に批判も上がっているが、確定からわずか1年足らずの異例のスピードで絞首台に送られたのが01年6月、大阪教育大付属池田小学校に出刃包丁を持って乱入、児童8人を殺害した宅間守死刑囚(享年40)だった。

「死刑は殺される刑罰や。6ヶ月過ぎて、いつまでもいつまでも、イヤガラセをさせる刑罰では、ない」
 執行の50日前に、宅間守は主任弁護人への手紙で執行されない苛立ちをこう吠えた。願いが叶った訳ではないだろうが、04年9月14日午前8時16分、大阪拘置所で死刑が執行された。わたしは兵庫県伊丹市の守の実家へ飛んだ。居間に通してくれた実父のAさん(当時71)は淡々と心境を語ってくれた。
「死刑執行を聞いて、感情が動かなかったと言えば嘘になる。あいつには、何故か昔から死刑願望があった。死刑囚の手記なんか読んでいたし……。実際、『死刑になりたいわ』という言葉をワシは3回聞いている。その理由は今でもわからんのだ」

 宅間の凶行の背景には、暴力的な父との確執があったといわれている。わたしはこの父親を取材することで事件の闇を読もうと思った。初めてAさんと会ったのは事件発生の3日後だった。玄関先で十数人の記者に対応する白い下着姿の白髪の老人は、素面なのか酔っているのか、時には大声で笑い、記者に冗談を飛ばしていた。
「事件以外の話だったら何時間でも相手をするで」
 そう語るAさんは、子供8人を殺した息子の父親だとは思えない不遜な態度に見えた。その姿がテレビに流れ、Aさんは世間のバッシングを受けることになる。「この父にこの子あり」
 37歳(事件当時)の息子の犯した罪に、親の責任はあるのか。確かに宅間の人格形成に影響はあっただろう、しかしわたしは釈然としなかった。宅間守を知るためにも、この父親と語りたいと思った。
「今晩、1人で訪ねたいがいいか」
「何時でもかめへんで」
 その夜、9時に訪ねると快く迎えてくれた。

 旧社会党の支持者で機械工だったAさんは、熱く政治などを語った。この日を境にわたしは約1ヶ月間泊まり込み、時には炬燵に脚を突っ込み朝まで語りあった。宅間の人生は出生からして危ういものであったという。
「守を孕んだとき女房は『お父さん、この子を産みたくない』と言いよった。何か予感があったのかも知れん。ワシは子供2人欲しかったので懇願して産んでもらったんや。守のために増築もした。まさかこんなことになるとはな」
 深くため息をついたAさんは幼少時の宅間のエピソードを語ってくれた。
「あいつが小学生の時に子猫を3匹拾ってきて浴槽に入れたんだ。溺れて死んだ子猫を見つけたワシは守を問い詰めると『忘れてもうた』と平然と言いよった」
 宅間には7歳年上の兄がいたが、99年3月頸動脈を出刃包丁で切って自殺している。Aさんは、その原因も宅間にあるという。
「兄ちゃんがアウディを買ったら『サラリーマンが外車に乗るな』と車をボコボコにしたんや。強姦事件で刑務所にも入るし、ワシはあいつを殺して心中も考えた。しかし、残された家族のことを思うとそれも出来なかった。あいつには親としての情がわかないんだ」

異例のスピード執行で逝った宅間

 いつも憎しみを露にするAさんだったが、わたしの前で号泣したことがあった。公判で弁護人が「君のお父さんは、君が望むなら大学へも進学させてくれただろう」と守に語りかけていたと知らせると「そうか」と顔をあげた後Aさんはボロボロ泣き出した。守のために運送会社を設立、100万円で事務所を建てたこと。守の夢だった航空自衛隊に入隊した日、家族で喜んだ瞬間がこの白髪の父の脳裏に去来したのだろう。

 一連の裁判は、悲しみと憎しみの応酬だった。涙ながらに調書を読む検事、鼻をすすりながらメモを取る記者、そして遺族。いったいどれだけの人間を悲しませてきたのだろう。だが最後まで、宅間守から謝罪の言葉も、悔恨の涙もなかった。しかし父は言った。
「守はワシと一緒でひねくれているんだよ。本当は反省していたとワシは思う。だが、それを口に出せないんだ」
 この父の言葉は、もう宅間には届かない。

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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。

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