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【ライター根本直樹】『ザ・クラッシュ』がやって来る! 無賃乗車、少年ヤクザからの恐喝、東京パンクスたちのカッコよさ……逃げて、走って、どうなった!?(後編)

歌舞伎町で少年ヤクザに絡まれる

 昼過ぎにはもう上野駅に到着した私は、すぐに新宿に向かった。当時はもちろんスマホなどない。道がわからなければ人に尋ねたらいいと思っていたが、地方の訛りを悟られるのが恥ずかしくて、結局行き当たりばったり、勘を頼りに歩き回った。

 最初に行ったのは西新宿だ。

 当時、この界隈はさまざまなジャンルに特化した小さなレコード屋が密集しており、カネはなかったがそういう店へ行って、コンサート前の気分をぐんと高めたかったのだ。あの頃の私は酒も飲まず、もちろんドラッグもやらず、ただレコードのジャケットを眺めるだけで異様なほど“キマった”ものである。

 食べざかりの思春期のガキだ。街を彷徨っているうちに死ぬほど腹が減ってきたがポケットには千円札1枚とじゃら銭のみ。コンサート終了後の煙草代とジュース代、菓子パン代くらいは残しておきたい。私は新宿駅のトイレで水をがぶ飲みして我慢した。

 開場、開演までにはまだまだ時間がある。闇雲に歩き回っているうちに歌舞伎町周辺に迷い込んでしまったようだ。記憶は定かではないが、おそらく『一番街』の入り口あたりで、パンチパーマをかけ、額に鬼の角のような剃り込みを入れた、いかにもヤバそうな若い男に声をかけられた。当時新宿界隈にたむろしていた「少年ヤクザ」と呼ばれた10代半ばのチンピラ小僧だったと思うが、田舎から出てきたばかりの私には恐ろしい大人にしか見えなかった。

「おい、少年、どっから来たのよ?」
「えっと、えっと」

 戸惑っていると男はさらににじり寄ってきて、こう問い詰めてきた。

「お前、東京の人間?」
「いえ、違います」
「どこから来たのよ? どこの田舎モン?」
「えっとー、いや、まあ北のほうですかね」

 こんなやり取りをした記憶がある。

「へえ。何しに来たの?」
「コンサートです」
「ほぉ、じゃあ、少しは持ってんだろ?」
「え?」
「ゼニに決まってんだろ」

 幸いなことに相手は1人。仲間がいたら、なけなしの千円札を持っていかれたかもしれない。私は改札を突破したときのように、信号が青から赤に変わる寸前を見計らって横断歩道に飛び出し、疾走した。

ハンバーガーをくれたシド・ヴィシャス

 やっとのことで辿り着いたコンサート会場、新宿厚生年金会館前の様子ほど、カルチャーショックだった経験はない。

 ネットもSNSもない時代なのに、クラッシュのコンサートに集結したパンクスたちのファッションやヘアスタイルはどれも個性的で、それこそ“多様性”に溢れていた。英国のパンクロッカーが写った雑誌のスナップなどを見た感度の高い少年少女たちが、精一杯想像力を働かせ、自分なりに“パンク”なスタイルを追求していたのだろう。多くのジョニー・ロットンがいたし、ニナ・ハーゲンのような奇抜な化粧をした女の子の一群もいた。目が回るような“異空間”に吐き気さえ催すほど興奮したものだ。

 一方の私はと言えば、スペシャルズを気取ってベリーショートヘアにしていたが、今思えばただの野球部のガキにしか見えなかったはずだ。しかもアウターは、胴体部分が紺色で、腕部分が白の安っぽいスタジャン。腕が革ならまだしも、全部が布製のダサさ極まりない田舎ジャンパーだった。パンクとはかけ離れた“イモ”な出で立ちの自分が恥ずかしく、開場を待つパンクスたちから離れたところで、彼らの様子をちらちらと観察しているしかなかった。しかも、腹はぐうぐう鳴っている。疲れと緊張で倒れそうなほどだった。

 そのとき、一際目立つ1人のパンク青年が、地面に座り込んでいた私の傍らを通り過ぎようとしたが、ふっと私の顔を見て立ち止まった。ひょろりと背が高く、赤く染めた髪は完璧に突っ立っていて、穴だらけの“チビTシャツ”姿。端正な顔の耳や頬には“安全ピン”がぶら下がり、下半身はタイトな黒い革パンツと“ドクターマーチン”風のブーツでキメていた。まるでシド・ヴィシャスにしか見えない。いや、シドよりもカッコいいと思ったくらいだ。

 青年はクールな表情で私の顔を覗き込むと、静かに言った。

「君、クラッシュで来てるの?」
「はい」
「そっか。これ食いなよ」

 そう言うと青年はロッテリアの紙袋からハンバーガーの包みをぞんざいな感じで取り出すと、私の鼻先に差し出したのだ。

「え?」

 戸惑う私に青年は「いいから食えよ」とだけ言って、立ち去った。なぜあのとき彼は私にハンバーガーをくれたのか。今もって謎だが、あのシド・ヴィシャスのような姿は今もはっきりと覚えている。

宴の終わり

 1曲目が代表曲の1つ『ロンドン・コーリング』だったのは覚えている。また『スペイン戦争』の演奏で、ギターを弾きながら軽快に飛び跳ねているミックの姿も脳裏に焼き付いているが、それ以外の内容はほとんど覚えていない。最初から最後までオールスタンディングが許されており、ひたすら飛び跳ねながら「ジョー!」とか「ミック!」などと叫んでいたことは何となく記憶がある。興奮しすぎて、ほぼ頭の中は真っ白だったに違いない。

 汗だくになって会場の外に出ると、真冬の東京の寒さが身に沁みた。そして私は、新宿厚生年金会館の近くにあった小さな公園のような空き地で一晩過ごし、翌朝再び改札を強行突破しながら地元に戻ったのだった。
 

【著者プロフィール】
根本直樹(ねもと なおき)
1967年前橋市生まれ。函館市立柏野小学校卒。週刊宝石記者を経てフリーに。在日中国人社会の裏側やヤクザ、社会の底辺に生きるアウトサイダーを追い続ける。アル中、怠け者、コドナ(大人子供)、バカ