「達也は鬼のようなことをしたが、わたしたちには可愛い息子でした」孤独な逃亡の果てに…英国人女性講師殺害事件・市橋達也
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは……。
逃げ続けた男
2009年11月6日の深夜、わたしは岐阜県羽島市の閑静な住宅街で張り込んでいた。凝視していた市橋達也の実家には両親が住んでいた。10月24日、市橋が名古屋市内の美容整形外科クリニックに現れ、その時に撮影された顔写真を千葉県警が公表。市橋逮捕の現実味が増し取材に入っていたのだ
イギリス人の英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(22)が行方不明になったのは2007年3月25日。リンゼイさんから個人レッスンを受けていた市橋(当時28)から事情を聞くため、翌日の夜9時過ぎ市川市のマンションを4人の捜査員が訪ねた。しかし、捜査員の追跡を振り切って逃亡。ベランダに置かれた浴槽からは変わり果てたリンゼイさんが発見された。千葉県警担当記者が言う。
「捜査員が浴槽を被っていた園芸用の土を軽く除くと白い肌が見えたそうです。全裸で顔や身体に殴られた跡があり、首の骨が折れていました。司法解剖の結果、リンゼイさんは性的暴行を受けていました」
市橋の部屋からは女性用のカツラや新宿2丁目のゲイバーのレシートが押収され、あらぬ方へ耳目が集まった。裸足で逃走した市橋の消息は杳として知れず、自殺説まで流れた。発生から2年7ヶ月、事件は迷宮入りとも思われた。その矢先の現出だった。関西の建設会社に住み込みで働いてことが判明するなど、市橋への包囲網は日に日に狭まっていった。
11月7日、整形した息子について歯科医の母親がインタビューに応えた。
「テレビの写真を見て『あっ、息子だ』とすぐに思いました。全然(昔と)変わらないですよ。わたしは、息子はもう死んでいると思っていたのです。だって裸足で逃げたのですから、わしは死ぬために逃げたのだと」
ーー事件後、本人から連絡はなかったのか。
「みなさん本気で(達也から)連絡があると思ってらっしゃるの」
母親は語気を荒げた。市橋が実家に現れることは万が一にもないだろうが、わたしは連日実家を張り込んだ。11月10日、雨が降り出したので張り込みを切り上げ、カメラマンと居酒屋に入った。程なくしてテレビから臨時ニュースが流れた。
「大阪のフェリーターミナルで身柄確保」
飲みかけの生ビールをカウンターに置き、実家にすっ飛んだ。初めて見る父親の顔は、ゾッとするほど瓜二つ。土砂降りの中「親の責任として顔を隠さない」と両親はモザイクなしでインタビューに応じた。父親が雨に濡れないように、わたしは隣で傘をかざした。
「達也は理不尽で鬼のようなことをしたが、わたしたちには可愛い息子でした。逃げるための手術は許せなかったし、整形してまで逃走したことは卑怯だ」
外科医の父親は淡々と心境を語った。40分間の取材で、達也の性癖について誰も質問をしないので、わたしは父親に聞いた。
「親としてそれはないと思っている」
隣のわたしに視線を向け、きっぱりと否定した。市橋達也は、後に出版した手記でこう綴っている。
〈「市橋を抱いた」と主張する男が(略)僕のパンツを記念に持っていて(略)DNA鑑定をしたところ、一致しなかった。(略)この番組を見て僕は部屋で固まっていた。とても混乱した。(略)たとえ生きるためだって、そんなことをするぐらいなら僕はもうとっくに死んでいる!〉
2011年7月4日、千葉地裁で初公判が開かれた。司法担当記者が語る。
「検察側の冒頭陳述によると、リンゼイさんが部屋に入るなり市橋は顔を殴り、手首を縛り上げ強姦していた。ゴミ箱からリンゼイさんの細胞が付着したコンドームが見つかっています。強姦にコンドームを使うでしょうか。市橋は何かを隠しているという印象でした」
裁判の争点は市橋の殺意にあったが、2012年4月無期懲役が確定した。大学を卒業しても就職しない28歳の息子に、毎月十数万円を送金する親。逮捕翌日の記者会見で語った父親の言葉が忘れられない。
「わたしは息子を卑怯だとは思っていない。整形手術をしたのが卑怯だと思っている」