出会いは刑務所…資産家宅を狙い殺人を繰り返した男たち|マブチモーター社長宅殺人放火事件・小田島鐵男、守田克実
2002年8月5日、千葉県松戸市でマブチモーター社長の妻子が殺害された事件。捜査は難航したが、3年後に小田島鐵男と守田克実が逮捕される。小田島は2007年に、守田は2011年に死刑が確定した。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。
獄中で練られた犯行計画
2002年8月5日午後4時前、千葉県松戸市の閑静な住宅街に住むマブチモーター馬渕隆一社長(当時)宅から黒煙が上った。2階建て住居1階の居間で妻の悦子さん(66)がソファで死んでいた。2階の夫妻寝室ベッドの上で長女の由香さん(40)の遺体が見つかった。
2人は紐やネクタイで首を絞められ殺害された。目と口を粘着テープでふさがれ、ガソリンで焼かれたため遺体の損傷は激しかった。社長宅から高級ブランドの腕時計、ダイヤモンドなどの宝石がついた貴金属10点(計966万円相当)がなくなっていた。しかし、金庫に物色された形跡がなく、金の延べ棒や現金約160万円が残され犯行動機に謎が残った。
マブチモーターは、隆一社長の兄で会長の馬渕健一氏が創業。小型モーターの販売シェアは世界で50%以上。工場は中国や東南アジアに開設していた。全国紙社会部記者が語る。
「会長の健一さんは雑誌で再婚相手を公募、お手伝い十数人がいる『迎賓館』を建てるなど話題に事欠かない人。中国の工場で、賃上げを求めて大規模なストが発生、事件との関わりを疑う声もあった。週刊誌が、紺色のキャップに黄色いTシャツを着たフィリピン人男性を重要参考人と報じたため新京成線五香駅周辺のフィリピンパブに注目が集まった」
事件発生当時わたしは別の事件取材で東京を離れていたが、11月中旬から五香駅周辺に聞き込みに入った。疑惑のフィリピン人がボーイをやっていたというパブAの関係者が憤慨しながら語った。
「客は減るし酷い目にあった。警察には情報を全て提供、フィリピン人犯人説は捨てたようだ。マブチの白いリンカーンが店の前に乗り付けるとフィリピン人のボーイが一斉に飛んで行く、すると会長は彼らに5千円チップをやるわけ。一番喜んでいるのはボーイだよ。だから、マブチがフィリピン人に恨みをかうことはない(笑)。会長は7時ごろ店にきて15分くらいで次の店に行く。酒を飲まないので持参したコーヒーを飲んでいた」
12月11日、パブAで取材をしていると会長がお供を引き連れ入ってきた。店内に流れていた音楽が突然切られ、15分間沈黙が続いた。会長はカラオケが嫌いなのだという。客からクレームが出ないほど、マブチは威光を放っていた。
社長妻子殺害から2年、遺族は容疑者に結びつく有力情報に最高1千万円の謝礼を提供すると発表した。2005年4月、別の窃盗事件で公判中の男2人が重要参考人として浮上。9月30日、2人はパスポートを不正取得したとして逮捕された。県警担当記者の話。
「『犯行を誘われた。やったと聞いた』と2人の名前を名指しした情報が千葉県警にもたらされた。2人は服役していた宮城刑務所で知り合い、出所後に群馬県伊勢崎市で同居、窃盗で生活をしていた」
逮捕された小田島鐵男(62・当時)は1990年、都内の社長一家を監禁し現金3億円を奪ったとして逮捕。懲役12年で服役、2002年6月に仮出所していた。守田克実(55・同)は1986年にタイ人女性殺害事件で懲役12年の判決を受け服役した。テレビ記者が解説する。
「2人はマブチを狙い撃ちしたのではなく、刑務所で経済雑誌から金持ちをピックアップしたようです。守田は鹿児島県出身で、出所してから綾瀬に住み横浜に転居、さらに伊勢崎に移った」
わたしは守田克実と3ヶ月間同居したという男性から話を聞いた。
「東京拘置所で知り合った男から守田さんを紹介され、2001年7月から10月まで横浜の3LDKのマンションで同居しました。当時、携帯電話のトバシといって他人名義の電話を中国人に1台2万円から10万円で売り、1人の名義で20台捌けたのです。守田さんは群馬のフィリピーナに嵌っていてそれで伊勢崎に引っ越したのではないでしょうか。酒も飲まず怒ったところは見たこともなかった」
2人はマブチ事件の後、都内で歯科医師を、千葉県我孫子市で社長夫人を金銭目的で殺害した。2人に死刑が確定した。
ここから先は
定期購読《アーカイブ》
「実話ナックルズ」本誌と同じ価格の月額690円で、noteの限定有料記事、過去20年分の雑誌アーカイブの中から評価の高い記事など、オトクに…