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「撃たれちゃったのよ」マルガリート【ナックルズ文芸賞 受賞作品】

第1回(令和5年)ナックルズ文芸賞
『ナックルズ優秀賞』受賞作品

「撃たれちゃったのよ」
マルガリート


 平成×年三月×日
 「主文、被告人を懲役一年八月に処す」

 あーっ、チクショーっ。裁判官のヤローはまだくだくだと判決理由を述べてやがるが、聞いたところで刑が負かる訳でもない。かと言ってこの法廷から逃げ出せる自信もないから、大人しくしておこう。

 俺の名前は宮川真里。読みは「マサト」、もうすぐ23になる男だ。
 ガキの頃からの盗癖が抜けなくて、少年院にも2回入り、更に弁当(執行猶予)持ちな為、未決通算を差し引いても合わせて2年と5ヶ月、これからムショで過ごすことになっちまった。

 少年院とは違って刑務所というのは、名前からしてとげとげしい。なんだか大悪党にでもなった気分だ。俺としてはたかだか窃盗ごときでこうも簡単にムショに入ることになるとは思ってもみなかったのだが……。
 裁判というものは判決を受けたら終わりではなく、判決に対して被告(俺)、検察、双方の控訴がなければ二週間後に漸く確定となるシステムだ。
 普通はそれから一、二週間くらいでムショへと移送されるのだが、俺のように弁当持ちだとそこから更に一、二週間の移送待ちの期間がプラスとなる。どうやら弁当の取り消しの事務処理の都合のようだ。

 平成×年五月×日

 ムショへ送られて来てこの二週間、ムショのしきたりとやらを徹底的に仕込まれた。何やら軍隊並みに口喧しい、「警備隊」とやらに、あーでもない、こーでもない、と手の振り方からレクチャーされるのだよ。この期間をムショでは「考査期間」と呼ぶらしい。
 さて、この考査期間の最終仕上げとして、「処遇審査会」というものがある。

 これは刑務所の幹部職員が一堂に会した場で、新人訓練(考査訓練)を終えた受刑者をあらゆる尋問に掛ける会議である。
 主な尋問としては、分類統括からは家族構成や身元引受人について、医務課長からはこれまでの病歴、処遇首席からは事件の動機や今の気持ち、被害者に対して今現在はどう思っているか、など。
 これらの質問に対して、反省(若しくはフリ)して答える分には、何の問題もないのだが、いかんせん少年院然りムショなどに入るような人間の中には、理解力に乏しい輩が一定数はいるのだよ。

 彼らのように要領よく立ち回ることが出来ない輩は、時として幹部職員の逆鱗に触れる受け答えをしてしまうこともある。
 そんな時にはその質問をした職員から、大音量で詰られるのである。その声たるや隣の控室までビシビシと伝わるのである。従ってそれ以降の面接待ちの者達は、必要以上に緊張を強いられる。
 まさしく俺も前の奴のせいでそんな状況だったのだが、実際は所要時間も声量も、前の奴の半分程で済んだ。

 平成×年五月×日(翌日)
 考査期間も無事終わり、今日からは正(⁉︎)受刑者として工場へと配役になる。(ここで言う工場とは、受刑者が出所までの間、刑務作業を行う場所のこと)
 俺が連れて行かれたのは名称としては第2工場で、主に縫製作業を行う工場である。

 まずは工場正担当職員に正対させられて、「気をつけー、礼、直れ、称呼番号、氏名」これは決まり事。
 「よんじゅうさんばん、みやかわ、まさとです」「です、はいらん」「はい」「もう一回」とまぁこんな感じなのだよ。
 先程、「工場正担当職員」と言ったのだが、ムショでは職員のことを「オヤジ」と呼ぶのが一般的だと先輩方に教わった。
 ムショではその日の日課にもよるが、午前か午後の作業中に十分間の休憩があり、それとは別に昼食も含め午後0時から同0時半までの間は、休憩時間となっている。

 役席(えきせき・作業席)を指定され、班長から作業指導を受けている間に、もう午前の休憩時間となった。休憩休息は、工場内に併設されている食堂で過ごすのだが、先輩方は新入社員(⁉︎)に興味津々。

「宮川、お前何歳か?」
「もうすぐ23です」
「若いなー、刑務所は何回目か?」
「初めてです」
「嘘つくな、この工場に初めての奴が来る訳ないだろ」
「(知らんがな、とは思いつつ)本当ですよ」

 このやり取りを聞いていたひとりがオヤジの元まで走り、確認を取って来たことで真実は証明された。

「何やった?」
「窃盗と道交法です」
「満期はいつか?」
「平成△年九月です」
「しょんべん刑だな(笑)」

 (はぁ?こちとら初めてで気が参っているのにこの兄さん、初対面なのに傷口に塩塗るようなこと言いやがって)、とは思うものの空気は完全にアウェーなので、ここは取り敢えず追従笑い。こうして俺のチョーエキ生活は始まったのである。

 平成×年八月×日
 「おい宮川、お前、シャブやったことあるか?」。
 この一言がその後の俺の人生を大きく狂わせることになろうとは、その時の俺には知る由もなかった。

「ないです」
「マジか、一度はやったほうがいいぜ!」
「そんなにいいんですか」
「おう、もー超ー最&高よ!」

 その時はそれ以上、話しは進まなかったのだが……。

 平成△年五月×日
 俺は先月、刑期を五ヶ月残して仮釈放で無事出所することが出来た。
 俺はこの日、残高照会と通帳記帳の為に、実家近くの銀行へ行ったのだが、そこで思わぬ再会を果たした。

「お、久しぶり。いつ出て来たのか?」
「久しぶり。先月だよ」
「携番交換しようぜ」
「オーケー」

 こいつの名は「真矢(シンヤ)」。中学時代の同級生で、俺にとっては「腐れ縁」と呼ぶに相応しい相手だ。
 この再会から数日後。
 こいつの誘いに応じ迎えに来てもらい、こいつの住むアパートへ行ったのだが、そこで見た光景が俺の人生の本当の意味でのターニングポイントだったのだ。
 その光景とは……。

「真里、お前もやるか?」

 そう、ムショの中であの先輩がお勧めになっていた「シャブ」を、今、俺の腐れ縁たる真矢が手にしているのである。
 ええ、そりゃもうやりますとも。是が非でもやらせて頂きますとも。注射は嫌いだが、それを乗り越えないと始まらないので我慢我慢。しかしシャブの効用のせいか1ミリも痛くなく、あっとゆー間に昇天しました。
 それからというもの、3日と開けずにシャブ注入。ひと月も経たずに立派(⁉︎)なシャブ中の出来上がりです。
 そしてついに……。

 平成△年十一月×日
 ふた月ほど前、米国では世界貿易センタービルがテロによって破壊された。
 そのこと自体は俺にとって1ミリも関係ない筈であったのに、俺の気違いじみた行為によって、関係を持つことになってしまった。

「義兄(にい)ちゃん、暇だから迎えに来て」
 俺の妻は女ばかりの四姉妹で、四人共ヤンキー色が強かったのだが、その分、賑やかだったせいか末の妹は寂しがり屋でもあった。
 妻は「夜の蝶」であった為、まだ中坊の美幸は当たり前のように俺を呼び出すのだ。
 そんな美幸を拾い、妻と住むアパートへ向かって車を走らせていると、人気のない道で検問をしているではないか。俺は免取中なので検問は突破するしかない。

「おい美幸、シートベルトしておけよ」
 言うが早いかアクセルを踏み込み住宅街をとばしまくる。しかし敵のドラテクが一枚上手だったらしく、いつまでたっても「テール・トゥ・ノーズ」。地の利を活かそうと極細の路地に入ったら、それが裏目。目の前にはワンボックスカーがいて万事休すだ。
 大概の悪党ならそこで諦めたかもしれないが、いかんせん俺は仮釈が切れたばかりで逮捕イコール、ムショへ、アイル・ビー・バックなのである。おまけに体にもポッケにも、「ブツ」が入ってもいる。

 ハナから一般人を巻き込むつもりはないので、他には選択肢などなかった。
 俺は迷わず車のシフトを「R」に入れて、加減も考えずにパトカーへクラッシュした。
 さすがにこの時ばかりは、敵も命の危険を感じたのだろう。

「パン、パン、パン…」

 生涯、忘れえぬ音が脳に刻まれた。
 幸い銃撃による怪我はなかったものの、警官ふたりに警棒でフルボッコにされたよ。
 後から聞いた話では、米国のテロを受けて日本でも、防御の為の銃の使用が認められ、俺はその被害者(笑)第一号らしいのだ。

 (道交法・車両運送法・公務執行妨害・器物破損・覚せい剤所持・使用)
 「主文、被告人を懲役三年に処す」