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「映え」と「スピ」まみれ……再開発問題に揺れる神宮外苑で村上春樹と隈研吾を思い浮かべた夜【鈴木ユーリ「ニュートーキョー百景」】#5

前提として言っておきたいのは--近隣住民には周知のことだが--神宮外苑の再開発はすでにはじまっているということだ。夜間になると青山通りに伊藤忠ガーデンの解体工事の爆音がひびきわたる。

 契機は、言うまでもなくオリンピックだった。

 2015年、手はじめに国立競技場が解体された。東京の真ん中にぽっかりと爆心地のような更地がひろがった。「ストリートワイズ」とはよく言ったもので、グラウンド・ゼロのようになったその空き地に、夜中になるとスケーターたちが忍びこみ自由に滑っていた。

 4年後、すったもんだがあった挙句、新競技場の建設がはじまった。

 コンペで最高すぎたのはザハ案(上空から見ると新宿の東京モード学園ビルみたく女陰のよう)で、次点で好きだったのが田根剛の古墳スタジアム案(壁から周囲100メートルまで草木を甲子園のツタのように自生させ、ジブリの森みたくする)だったけど、この国の悪癖で、間をとって隈研吾になった。

 またかよ。うんざりしたけど、まあ仕方ない。中沢新一推しの伊東豊雄による「B案」だってたいして変わりばえしない。

 と諦めてたけど、建設途中、外周のアーチ状の木の屋根が最上階だけだった時はハッとした。あざやかに扇をひろげたようで、令和の国技館みたいで壮観だった。

 完成形にかんしては隈研吾すぎてFワードが漏れそうになるので差し控える。てか早稲田の「村上春樹ライブラリー」とかあれなんなんだよ。「木のアーチ」とか言って図書館なのにブルータス映えばかり意識して、天井高すぎで肝心の本に手が届かないとかクソかよ。せめて図書館ぐらいは共産主義的に、いかなる本もひとしく並べられるべきなのに、「文学館のイメージにとらわれない場にしていきたい」とか春樹おまえもダブルスタンダードかよ。エルサレムの前にその壁に卵を投げつけろ。

 隈研吾と村上春樹へのヘイトが本稿の主旨ではない。

 東京はオリンピックのたびにおおきく変容する街である。

 というより、オリンピックでしか変わることできない街である。大阪が万博でしか変われないように、維新以来ずっと、震災や戦災といった天災をのぞけば、オリンピックでしか自主的には変わることができなかった。

 初のアジア開催として1940年に予定されていた東京大会は、戦時下で頓挫し幻となった。かわりに43年、会場予定地だった神宮競技場でひらかれたのは出陣学徒壮行会だった。前途有望な名門校の大学生がお国のために演説を打ち、女生徒たちが観客席から白旗をファナティックにふりみだす光景を、夏になるとNHKは繰り返し「負の歴史」として放映する。

 神宮競技場は1960年の東京五輪で国立競技場として生まれ変わり、2020年には新国立競技場となった。千駄ヶ谷駅のわきに新競技場を一望できる「三井ガーデンホテル 神宮外苑の杜プレミア」も建てられた。このホテルも最初見た時には驚いた。

上層階に泊まれば、新国立競技場のスポーツをベランダから観戦できる「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア」

 友人の建築士は「たいした建築じゃないよ」と言った。だけど渋谷のスクランブルスクエアとか、オリンピック特需で雨後の筍のように生えたどんな最新ビルより興奮した。

 青山サイドから歩いて行くと、ゆるやかなカーブの先に見える競技場ごしの眺めがエグいのである。まるで現実感がない。どんなしょぼいスマホカメラで撮っても、CGで作成した晴れやかな新築マンション完成予定図のような映りになる。ネオリベの極北のようなランドスケープ。

 それを友人に説明すると、「なるほどね。こんな感じか」と、イタリアのファシズム建築の画像を送ってきた。戦時下に建てられたものだという。「不気味の谷」のような印象がたしかによく似ている。極右と極左みたいなものだろう。

 聖徳記念絵画館の意匠を何建築というのかは知らない。

 およそ100年前の1926年に建てられた。国会議事堂をこぶりにしたみたいなデザイン。年季が入ってやれた壁も小洒落てる。前には小さいが噴水池もあり、水辺がまるでないこの一帯のオアシスでもある。苑内随一の映えスポットとして、毎夜ライトアップもされ普通に美しい。

カップルの憩いの場、聖徳記念絵画館

 だけでじゅうぶんなのに、毎年ここで「TOKYO LIGHTS」とかいうド派手なプロジェクト・マッピングのイベントも行われる。夏になると乃木坂46のライブが催される。ぶらりと真夜中、知らずにうっかり池へ涼みに行こうもんなら、徹夜組がずらりと座りこみしてるのに出くわしたりする。
 人のチルスポを奪うなよ。乃木坂でやれよ。近いんだから。乃木神社でもいいだろ。あそこだって神宮とおなじ新興の杜なんだから。

 再開発反対派が何を守ろうとしているかは寡聞にして知らない。だが現状からしてすでにこんなんなのである。中沢新一の言う「人間的欲望を開放し切ろうとする資本主義にたいする、見えない結界」は、とても機能してるようには見えない。どころか、資本と映えの侵攻を、人びとはむしろ歓迎しているようにすら見える。

 本丸のいちょう並木にしたって事態が変わるわけでもない。というか、むしろ最も酷いのが並木通りだ。

 先に結論から言う。

 あんなものは伐採してもかまわない。『風の谷のナウシカ』の腐海のようなものだ。反対派が王蟲のように目を真っ赤にしようとも、一刻もはやく焼き払ってしまえばいい。

【著者プロフィール】
鈴木ユーリ
ライター。「実話ナックルズ』にて連載『ゲトーの国からこんにちは』など