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【ライター根本直樹】『ザ・クラッシュ』がやって来る! 無賃乗車、少年ヤクザの恐喝、東京パンクスのカッコよさ……逃げて、走って、どうなった!?(前編)

来日決定、さあ、どうする?

 1982年(昭和57年)1月、英国パンクムーブメントの代表的バンドのひとつ、ザ・クラッシュの来日公演がついに実現した。その数ヶ月前、新聞の社会面下段でチケット発売情報を知った14歳の私は、比喩ではなく本当に鼻血を噴き出した。

 当時はすでにセックス・ピストルズは解散しており、ジョニー・ロットンは本名のジョン・ライドン名でPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)として活動、あの頃としては超実験的なサウンドで「パンクとロックの終焉」を高らかに謳っていた。時代はすでにパンクからポストパンクの時代に移行していたが、田舎のガキがそんな先端のムーブメントなど知る由もなかった。

やっぱりカッコイイ!



 私は極端に低音のベースで木造のポンコツ家屋が地震のように揺れ動いたPILのセカンドアルバム『メタルボックス』も好きだったが、そうは言っても当時はまだ10代前半のガキ。性急なリズムと、扇情的なメロディーで愚直なロックンロールを奏でるクラッシュの音にもっともハマっていた。フロントマンのジョー・ストラマーはもちろん好きだったが、それ以上に私は、ギターを弾きながら情けないようなふらついた甘い声で歌うミック・ジョーンズのほうがなぜか好きだった。

 クラッシュのあれこれについては今さらここで説明する必要もないだろう。とにかくピストルズと並ぶ、初期英国パンクムーブメントの二大巨頭であり、ポリスやジャムなどとともに商業的にも成功した、今や伝説的なバンドである。

 14歳の私はいきり立った。「ちょっとくらい悪いことしたって行くしかない!」と。

“伊藤博文”を握りしめて改札を強行突破

 そりゃ悪いことなのはわかっているが、クラッシュが来日するのだ。キセルくらいは許してほしい。地方在住の貧乏なパンク少年たちは誰もがそう思ったはずだ。「行けなかったら死ぬ」くらいの気持ちだったのだ。

 駅員が人力でカチカチと切符を切っていた当時の改札を、私は隙を見て強行突破。一目散にホームに駆け降りて電車に飛び乗り、セブンスターに火をつけた。あの時代、国鉄(現JR)の電車内には灰皿が据え付けてあり、普通に煙草を吸うことができた。ポケットには伊藤博文の肖像が描かれたくしゃくしゃの紙が1枚と小銭がちょっとだけ。後先など何も考えていなかった。

 クラッシュのコンサート(当時はライブとは言わず、コンサートと呼ぶのが主流だった)に行くには、チケット代のたしか8千円くらいと、それよりも高い交通費が最低でも必要だった。当然まとまったカネなどなかったので、私は11歳の頃からお年玉などでコツコツと買い集めてきた「洋楽」のレコード十数枚を、ちょっとマセた友人や先輩に1枚500円程度で売りつけ、何とかチケットを取ることができた。その中にはピストルズもあれば、好きだったバズコックスやジョイ・ディヴィジョン、ポップ・グループのアルバムもあったが、背に腹は代えられない。泣く泣く売り払ったが、交通費を作るまでには到底至らず、“無料”で上京する道を選んだ。

 チケットは無事手に入った。しかし困ったことに来日する1年前、クラッシュは大ヒットアルバム『ロンドン・コーリング』に続き、最新作『サンディニスタ』を発表。この新作はレコード3枚組というふざけたアルバムで、たしか4千円以上もし、私はずっと買えずにいた。最新作を聴かずにコンサートに行くのは悲しすぎる。私は途方にくれたが、その頃たまたま友達の兄が持っていることがわかり、公演の3ヶ月ほど前、高音質のカセットテープ「メタルテープ」に録音させてもらってコンサート前夜まで気が狂ったように聴き込んだ。

 このクラッシュ4枚目のアルバムは、レゲエ、ダブ、ジャズ、カリプソからヒップホップまでさまざまなジャンルの音楽を散りばめたひどく実験的な作品で、すでにパンクのイメージからはかけ離れたサウンドだったが、聴き込むうちにのめり込み、後に私のベストアルバムの1つになった。

『サンディニスタ』を聴き、彼らの来日公演を体感して以降、私の音楽的嗜好は大きく変わった。いかにもなパンク音楽への興味は減退し、ブラック・ウフルなどのUKレゲエや、女性パンクバンド、ザ・スリッツのボーカルだったアリ・アップをフィーチャーしたダブ集団ニューエイジステッパーズなどに傾倒していった。そのあたりの話はキリがないのでこれ以上はやめておこう。

 まあ、とにかく、1982年1月30日の夕方、田舎のガキは何とか新宿厚生年金会館の前に辿り着くと、居並ぶ都会のパンクスたちに度肝を抜かれたのである。

【著者プロフィール】
根本直樹(ねもと なおき)
1967年前橋市生まれ。函館市立柏野小学校卒。週刊宝石記者を経てフリーに。在日中国人社会の裏側やヤクザ、社会の底辺に生きるアウトサイダーを追い続ける。アル中、怠け者、コドナ(大人子供)、バカ