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「遺体を焼いて食べて、お爺さんを蘇らせたい」全容は解明されぬまま…死刑執行は早すぎた|連続幼女殺害事件・宮﨑勤

1988年8月から翌6月にかけ、東京、埼玉で4幼女4名が犠牲となった連続誘拐殺人事件。1989年7月に猥褻事件で逮捕された宮﨑勤が一連の犯行を自供すると、「遺体を食べた」などと証言するその異常性が問題となった。2008年6月、死刑が執行されている。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

精神障害か、詐病かーー

 平成元年8月10日、雲一つなく晴れあがった東京は、朝から気温がぐんぐん上がった。夏休みに入ったわたしは、家族を車に乗せ奥多摩湖に向かっていた。奇妙な縁だが、その朝、連続幼女殺害事件4人目の被害者・Dちゃん(5)の頭部が発見された林に隣接する吉野街道を走行していた。
「八王子市内で猥褻事件を起こした五日市町の男が、Dちゃん殺害を自供」
 カーラジオから臨時ニュースが流れた。わたしは車を急旋回し、五日市町へ急いだ。猥褻事件を起こした男・宮﨑勤(26)の自宅は「週刊秋川新聞」を発行している印刷会社だった。すでに十数名の報道陣が集まっていた。ランニングに短パン姿で裏口から入ると「こいつ誰だ」という視線が飛んできた。旧知の新聞記者が手招きしてくれたお陰でマスコミと認めてくれた。

 工場奥の居間で、頭髪をポマードで決めた父親(59・当時)と小柄なお婆さんがちょこんと座って、記者からの質問に答えていた。わたしがお婆さんと思った婦人は勤の母親(55・当時)だった。それほど、夫婦の見た目に差があった。
「息子は物静かで大人しい性格、あんな(幼女殺害)事件を起こすような子供ではありません。趣味はアニメのビデオ収集で、部屋を見てくれれば分かります」
 父親の了解を得たわたしたちは、勤の部屋に足を踏み入れた。8畳の部屋の窓と壁がビデオテープで覆いつくされ薄暗い。敷きっぱなしの布団の甘酸っぱい臭気が鼻をついた。ダンボール箱にはメンコ・カードと書かれ、26才の男の子供っぽさに唖然とした。この有り様は後に「オタク」と表現された。
 ビデオ雑誌などが堆く積まれていた下に、エロ漫画『若奥様のナマ下着』があった。それをひょいと抜いたテレビカメラマンは、一番上に載せ撮影した。性犯罪者の「いい絵」を撮るための演出である。マスコミ的においしいブツが、思っていたほど勤の部屋にはなかったのだ。唯一、幼稚園の入園案内がロリコンを連想させたが、テニスクラブのパンフレットもあり、この男は幼女だけでなく「オンナ」に興味がある、とわたしは確信した。
 程なく駆けつけた警視庁の捜査員に追い出されるまでの60分間は、重大事件の容疑者の自宅を捜査前に取材するという奇蹟に近い体験だった。

 近くのキャンプ場に家族を残し、わたしは五日市町を駆け回った。取材で浮かび上がったのは歪んだ家族関係だった。もともと宮﨑家は機織り業を営み、盛期には女子工員が10名以上も働いていた。近所の主婦が言う。
「勤のお爺さんは女工さんに手を出し、孕んだ子が何人もいました。お婆さんは、お爺さんの悪口を近所に触れ回り、PTA会長をやっていたお父さんも役員の女性と噂になり奥さんと喧嘩が絶えなかった」
 印刷業が忙しくなった両親は、従業員や祖父に勤を預け、生まれつき障害があった手の治療も行わなかった。慕っていた祖父が88年5月、他界する。勤は遺体となった祖父の耳元に、愛犬ペスの鳴き声を録音したテープレコーダーを近づけた。後に勤はこう供述している。
「眠っている感じなので目を覚まそうと思った。お爺さんが見えなくなっただけで、姿を隠しているのだ」
 火葬場から持ち帰った祖父の遺骨を、勤は食べた。最初の被害者・Aちゃん(4)の遺骨を食べた理由を「焼いて食べて、お爺さんに送って、蘇らせたい」と語っている。骨を食べることは蘇生の儀式だったのだ。大好きな祖父の死によって、元来あった勤の精神障害にスイッチが入ったとわたしは見る。一連の幼女殺害時事件が始まるのは、祖父の死から3ヶ月後である。

 わたしは一審の東京地裁で生身の宮﨑勤を見た。動機を問われると、小太りの青年は突然「ねずみ人間」が出現したからだと語った。わたしの頭は混乱した。公判中鉛筆をくるくる回し、ときには居眠りをしているようにも見えた。勤にはリアリティが欠落していた。
 精神鑑定で、日本で初めて「多重人格」と判断された宮﨑勤。詐病という識者もいる。勤は逮捕後2冊の本を上梓している。それが責任逃れの遁辞かも知れない。しかし、その「言葉」は犯罪解明の第一級の資料ではなかったか。
 死刑執行はあまりにも早すぎた。「宮﨑勤事件」以後に起きた酒鬼薔薇聖斗、てるくはのる、秋葉原事件など「理解不能な殺人」解明の原資を、われわれは失ったのではないか。

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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。

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