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ライター根本直樹のTOKYOバカ一代 外道伝#9 都市伝説の飲み屋 池袋『ハルピン水餃子』の金さん(後編その1)

なぜか昔から、市井に暮らす、名もなきバカが好きだった。
中国出身の金さんもそんなバカの1人である。彼はオーバーステイの身でありながら、池袋の奥地で、今や“伝説”と呼ばれる小さな居酒屋を経営していた。バカにはバカが集まる。店の常連客たちのバカっぷりも相当なものだった。

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マフィアの店から独立

 中国ハルビン市出身、オーバーステイ(不法残留)の金さんが店主を務める伝説の居酒屋『ハルピン水餃子』はオープン当初から客足が絶えなかった。池袋の最奥地、三業通りにやって来る前の金さんは、駅西口、マルイ近くの裏路地にひっそりと佇んでいた『味居』という、カウンター席わずか7席ほどの、これまた伝説の一杯飲み屋で雇われ店長を3年ほどやっていて、多くのファンがついていた。

 しかしこの店の経営者は中国東北部出身のマフィア筋で、売上が悪いと怒鳴られ、脅され、売上がよくてもまともな賃金を払ってもらえず、金さんは虎視眈々と独立の機会を狙っていた。そして、信用のおける常連客十数人に独立したい旨を伝えた上で、私が幹事となり、開業資金の寄付を募り、何とか独立にこぎつけたのである。今で言えば、クラウドファンディング、ユーチューブのスパチャのような方式だった。

 当時金さんは来日してすでに10数年が経過していた。まだまだ貧しかった中国から日本の円を求めてやって来た中国人の多くは、猛然と働き、大抵4、5年も日本にいれば数百万円から1千万単位の金を蓄えて故郷に凱旋するのが普通だったが、金さんはこの時点で手持ちの現金が10万円ほどしかなかった。

「なんでそれしかないんだよ? 実家に仕送りしてたとか?」と金さんに尋ねたことがある。すると「いやあ、仕送りしたこと、一度もないんだ。なんか働くのが嫌いでさ、ちょっと金が入ると、ついついさぼったり、競馬に行ったりしてたから、全然貯金できなかったんだよ」と言って照れ臭そうに笑い、さらにこんなマヌケなことも言っていた。

「風俗だってさ、基本的には3千円のピンサロで我慢してきた。キャバクラだって1、2回しか行ったことがないよ」

 何はともあれ、金さんはマフィアの店から逃れることができた。難点は店が駅からだいぶ遠いということ。これまで働いていた『味居』は駅から徒歩数分のところにあったが、三業通りで新規オープンした『ハルピン水餃子』は駅から15〜20分は優にかかるうえ、そもそも歩いている人もまばらなエリアで、店舗を仲介してくれた不動産屋からも「あそこでほんとに店をやるんですか」と驚かれたほどである。

 しかし、大方の予想に反して金さんの店は繁盛した。これには地元の人々も驚き、閑古鳥鳴く周囲の飲食店からは次第に冷たい目で見られるようになった。

はぐれ者たちの憩いの場

 『ハルピン水餃子』に集う客たちは実に雑多だった。百貨店勤務のサラリーマンから、自称大手携帯電話会社の“部長”、いつも半グレチックな彼氏とやって来るメンヘラ風のOL(来るたびに2人で痴話喧嘩をする)、無職の元受刑者(本人は冤罪と言っていた)、風俗嬢(熟女)、ヤクザ(弱い者からは金を取らない、と常々言っていた)、占い師、マジシャン、何者かさっぱりわからない風体の者など色々だったが、みなに共通しているのがそこはかとない「はぐれ者」感であり、「敗残者」の香りだった。そこに私は好感を覚え、金さんの店にいるとなぜかとても落ち着いた。店主の金さん自身、十数年も日本にいるのに身分もなく、金も得ることができなかった一種の敗残者であり、それが多くの似た者たちを惹きつけていたのかもしれない。

当シリーズの最初に登場したマナブも金さんと親しかった

 金さんの店は一応店名にあるとおり「水餃子」が売りということだったが、実際はいい加減なものだった。独立にあたって常連客が集まり、今後の方針などを話し合ったときに、誰かが「何か“売り”があったほうがいい」と言い出し、だったら金さんの故郷、中国東北部の名物料理である水餃子を店名に入れようとなった。しかし金さんは「いやあ、俺、作ったことないんだよね」と無責任に笑うだけだったが、何とか説得して水餃子をメインメニューに据え、営業をはじめたのである。

 普通、中国東北部出身の人間なら誰もが子供の頃から水餃子の皮作り、餡詰め等を手伝わされ、作り方をマスターしているものだが、金さんは何もわかっていなかった。仕方ないので安物の冷凍水餃子を中国系の業者から仕入れ、茹でるだけで出せるようにした。客から「やっぱり本場の味は違いますね」などと言われると、金さんはいつも照れたように笑っていたが、否定もしなかった。

 だいたい夕方の5時頃から店を開け、深夜の3時、4時まで営業していた。週末などは席が足りず、そうすると客たちは勝手に店内で立ち飲みをはじめ、ぎゅうぎゅう詰めに。まるで荒くれ者のフーリガンが集うイングランドのパブのような状態になった。当然、トラブルも頻発した。

 あるとき、自称闇金の常連客が、普段は仲よく飲んでいた大手携帯電話会社の“部長”に絡みはじめ、部長が怒鳴り返すと、激昂した闇金男は卓上にあった爪楊枝をつまむと目にも止まらぬ速さで部長の頬に突き刺した。客たちはみな唖然として見ていたが、金さんだけはのんびりした顔をして、部長にこう言った。

「あ、ここで爪楊枝抜くと血がぴゅっと飛び出るから、外で抜いてね」

 どっと笑いが起こる店内。部長は青ざめた顔で外に行くと、十分後、頬に絆創膏をして再び来店。闇金男が「すまん、つい熱くなっちまって」と握手を求め、これに部長が応じると店内から拍手が沸き起こった。

 こんなことが毎晩あった。閑散としたエリアで夜毎の大騒ぎ。当然、近隣の店や住人は面白くない。たびたび抗議を受けたり、警察を呼ばれるなど、不穏な動きが多くなっていった。

 次回、『ハルピン水餃子』の終焉と金さんの帰国について少々書いて、本シリーズの締めとしたい。

【著者プロフィール】
根本直樹(ねもと なおき)
1967年前橋市生まれ。函館市立柏野小学校卒。週刊宝石記者を経てフリーに。在日中国人社会の裏側やヤクザ、社会の底辺に生きるアウトサイダーを追い続ける。アル中、怠け者、コドナ(大人子供)、バカ