あの時、やっぱり置いていけなかった感情
好きなモノからは、逃れられないのかも知れない。
あの時もそうだった。
一度、今の仕事に区切りをつけそうになった事があった。
それはデザインの事で。
デザインをナリワイにしてから、僕にはデザインしかなかった。
気づけば、長い間、デザインに携わり、20年近くが経過しようとしていた。
人生というヤツが大きく方向転換した事があり、
それはあまりにも突然で、
選択を余儀なく。
僕たちは、北に、移住した。
誰かが言った。
南は観光で、北は逃亡で。
おいおい、北で暮らしている人に失礼やぞ。と、思う反面。雰囲気は拭えない。
東京から考えると、傷心したときに向かうのは、やはり北側な気がする。
何より、静かで、向き合える意味では、ある意味正解な気はする。住んでても、ズレはほぼない。
話を戻すと。
そこはパートナーの故郷でもあった。
ここには、デザインの仕事がない。と、誰かが言った。それは、半分正解で、半分不正解だったけども。
それを知るにはもう少しだけ時間がかかる。
ゆえに、心機一転。
僕は一度、デザインを離れる覚悟で、
全く別の仕事をしてみる事にした。
その仕事は、思いの外、肉体労働で。
みるみる体が絞られていった。
そもそもが、泥のような肉だったのだ。まともに運動をしていないではないか。
1月で7キロおちて、2月目にはロースがヒレになっていった。
気がつけば、その仕事も2年目が終わろうとしていた。
すこぶる健康体だった。悩まされ続けた偏頭痛はいつのまにか消滅し、鏡越しの自分には、髭もなく、腹に割れ目が生まれていた。
ある日の、貴重な休日に、できたばかりの図書館に行った。
もともと本が中毒な自分を思い出した。思い出すほどにしばらく離れていた気がした。
あれは確か、図書館から家に帰ってきた時だったと思う。
気がついてしまったのだ。果たと。
図書館では最大5冊の本を借りる事ができる。
その本が、全てデザインの本だった。
無意識だった。
今の仕事に携わるような、
それに関連した本が一切ない。のだ。
それは純粋。
心の声だった。
先生、デザインがしたいです。
ぼくは安斉先生に訴えていた。
ちょうど2年目の任期が終わる頃、杜氏にその事を白状した。
酒造りの仕事は、未体験ゾーンで、本当に面白いモノだった。けれども、正直、辛いモノでもあった。もちろん想像と違う事もあった。でも、一切合切ふくめて、全てが貴重な財産になった。
デザインの好きさ加減に、気がつけた
のは、でかい。
今、もしも、おのれの仕事に迷う人がいるなら、それを一度横に置いて、別の事をしてみる事を、強くおすすめする。
きっと、本当のスキが見えてくるから。
デザインを辞めなくてよかった。
栓を開けたコーラを海の中に入れると、海水が入ってくる。僕のコーラは、9割が海水になっていた。
今は、なみなみにコーラが溢れそうです。
コロナ禍になって、似たような状況になっている人がいるかもしれない。人生は迷うものだし。きっと、遠回りも悪くないですよ。
うちの猫のオヤツが豪華になります