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042_午前2時のラブレター (今、遺書を書く時期かもしれないね)

午前二時に目が覚めた。
横で寝ている子にグイグイと蹴られ、起こされた。

一度起きると、眠れないのを知っている。

決まってアトリエに向かうことにしている。
といっても、アトリエは2階だ。

北東北はこの時期、まだ冷える。ストーブをひねって
パソコンの前に座る。

朝になるべく、文章を書くことにしている。
寝起きの脳がクリアだから。
テーマはその時に、降りてくる。

どういうわけか、『遺書』にしようと思った。
多分、これも、ころなさんの影響だ。

いつ死が訪れるか、分からないのだ。

3キロ圏内でクラスターも起きた。
人間は、震災で学んだはずだ。それでも、日常を取り戻すと、忘れてしまう。

でも、今、いい時かもしれない。

とりあえず、浮かんだものを書き留めることから始めた。

***

頭のいい人を見ると、羨ましくなる。

選んでいるつもりはないけども、そういう友達が周りにいる。ただの憧れなのかもしれないし、わからない。

けども、目の前にいる人に嫌われたくないと思う子供だったと思う。人というよりも、目の前のオトナに。
実は僕には両親がいない。だから、それは、一種のスベだったのかもしれない。わからない。

クラスメイトには嫌われない方だったと思う。いわゆるカースト的に下層の人たちからもよく好かれた。差別が嫌いだったからだ。生きている時点で、両親が欠如しているから、差別が自分に向かうのを意識的にかわしていたのかもしれない。わからない。

両親というものがいなくても、子供はすくすく育つ。周りに気遣ってくれる血縁もいたし、必要以上にカバーされて育った。不自由はない。それでも、両親という欠如は、錆のように、いたるところに浮き出てくる。その世代のオトナが家にいない、存在がないということの。支障みたいなものがある。

学校の課題のテーマに『父親』が出てきたり、家に車がなかったり。在る人には、想像ができないだろう。替わりに想像力という武器をもらった気がする。それが、巷にいうハングリーの事だ。

距離を置いた姉が存在していたが、娘という生き物には、父親という存在が想像以上に必要で、苦しい想いをしたのだろう、欠如に耐えられず、途中でネジが飛んでしまった。

わたしにも親という存在は、想像以上に必要だったみたいだが、姉のそれを見たおかげで、ネジを飛ばさず生きられた。

平々凡々の人間には、死ぬまで分からないだろう。
稀に、真似事のうまい輩がいる。けども、表現の根本に宿るものが違うことに、鼻が利いてしまう。

宿っていない表現を見ると、吐き気がしてしまう。

だから、こっち側の人間なのか、そっち側の人間なのかが、分かってしまう。というよりも、感じてしまう。
それでも大衆は一般だから、民主主義の中で負ける。

だからと言って、そっち側の人間が嫌いなわけでもなく、憧れみたいなものもある。
温いハウス栽培みたいな人間に育ちたかったと思うことはやっぱりある。

やはり、憧れなのかもしれない。分からない。

それが、友達の領域なら、まだしも。それを超える関係になると、うまくいかないことが多い。

相手がいることと、結婚できたことは、まるきり別のことだった。
憧れが、自分の線路上にないものだと気がつくまで、いつしか本当に憧れだったことにあらためて気がついた。割とオトナになってからだった。

私には、結婚ができないかもしれない。
憧れていただけに、少し淋しかった。

そう思い始めていた矢先、あなたに出会った。
決め手は、笑顔だった。

あなたの底抜けの笑い声を聞いた時に、わたしの憑き物が落ちた。
それは、千がくされ神の泥を落とすように。

今、手探りしながら、親をやってみている。
家族をくれてありがとう

うちの猫のオヤツが豪華になります