自適の恋愛談 小中編

とあることがきっかけで、過去のことを思い出しがてら随筆を書いてみようということになりました。これが最初あまり上手く行かなかったので、Twitterでアンケートを取ってひとまずテーマを決めてもらいました。家族・友人・恋愛・失敗談etcの4択で、結果「恋愛」が最多得票でした。やっぱそこが気になりますよね。時系列で、あまり気張らずに書いていきます(最初の「きっかけ」は後々の記事で話そうと思います)。

ただ、正直こんなこと他人に晒して何のメリットがあるのか?(むしろ身バレしたり幻滅されたりするリスクがある)という気がしないでもないです。でも最近FFさんのエッセイを読んで非常に面白かったのと、やっぱり誰かの何かの役に立つかもしれない(暇つぶしでも気づきを得るでも)との思いで、ここに綴ります。

※爽やかできれいな恋話を想像している方、「恋愛」の定義に対してこだわりの強い方は、読まずにブラウザバックをお願いします。

※別記事の仮名(A)とは別人です。仮称は話題ごとにリセットします。


まず小学生の時の話をすると、まあ細かいことを言えば近くの席の子とやいのやいのしたりはありましたけど、結局お互いに「こいつ気になる」レベルで終わったので特筆することはありません。

ただ一つ印象的だったのは、とある子から手紙をもらったことです。当時ピアノを習っていて、同じ教室に通っていましたが、それほど仲の良いつもりはありませんでした。しかし、2枚の便箋には私との(ささいな)思い出や、「いつか一緒にステージの上で弾きたい」という想いが綴られていました。同性だったので、明確に「恋」ではなかったかもしれませんが、後々の出来事も考えるとそれにも近い「憧れ」的な感情はあったのかなと思います。というのも後述するのと同じような「いい加減」な態度を、その子にもとっていた覚えがあるからです。ただ当の私は急にそんな手紙を渡されやや困惑し、関心の低さも相まって返事は書きませんでした。

中学に入っても付き合うなどの浮いた話はありませんでしたが、それなりに片想いやちょっとしたいちゃいちゃを楽しんでいました。

一年生の終わり頃、同じ剣道部の先輩Aを好きになりました。これが長い片想いの始まりになります。夏頃から稽古に正式参加したので、関わり始めてから好きになるまで半年以上ブランクがあった訳ですが、この傾向はその後も続いている気がします。初対面の時は何とも思わないというかむしろ印象が薄いくらいの人を後で好きになります。好きになるまでに時間がかかった分冷めにくい、まさに熱しにくく冷めにくい体質です。Aの第一印象は、「話す時の距離が近い人」でした。顔を覗き込みながらかなり近めに話すので、最初は少し苦手でした。それがどうやって好きになったのか、それもやはりAの「距離の近さ」からでした。

「とりあえず運動部に入りたい」との思いから選んだ剣道部でしたが、その武道的な厳しさについていけず、一年目にしてやる気を無くしていました(今考えてみると向いていなかったし、うつっぽくなっていた)。他校での合同稽古の時も「具合が悪い」と言って倉庫にいたり、ランニングや素振り練習の時も気が進まず一人部室にこもっていたり。そんな時、いつも私を暗闇から引きずり出してくれたのがAでした。

謎に自己肯定感が低かった私は、「こんな私にもこんなに優しくしてくれるなんて」と内心感動していました(ちょろいものです)。Aは参加を強制するようなことはせず、「見取り稽古(見学)できる?」とみんなの所に連れ出したり、「話しながら一緒に走ろう」と誘ってくれたりと、色々世話を焼いてくれたのでした。その頃には完全に好きになっていた私は、まさに舞い上がるような気持ちでその誘いを受け、「このまま時が止まれば良いのに」とわざとゆっくり走ったのを覚えています。しかしAはあまり異性とベタベタするような性格ではなかったので、二人で走っているところを別の先輩に見られて「えっどういう状況??」と言われると、「じゃ!そういうことだから!!」とあっという間に走り去ってしまいました。Aにその気はなかったのでしょうが、私は「そんなピュアなところも可愛いな〜」とますます恋情を深めていました。

その他にも、稽古中(こてと面越しですが)頭をぽんぽんされて悶絶したり、他の先輩との余りにゆるふわな会話に(良い意味で)頭を抱えたりと、心に留まったエピソードを挙げればキリがありません。さらに優しいだけでなく、頭の中を覗いてみたくなるようなややズレた思考回路の持ち主でしたので、私は知的好奇心が高ぶるあまりまあ人に言うのがはばかられる、ちょっと気持ち悪いことをしていました。一言でいうと「ストーカー」ちっくな…。

片想いというのは実に楽しいもので、毎日嬉々としてAの情報を集めていました。クラスや出席番号、教室の席位置はもちろん、時間割や靴のサイズ、身長体重血液型誕生日…。ほとんどは同じクラスの先輩に教えてもらった(または聞き出してもらった)ことなので、そこまでプライベートじゃないというか知ろうと思えば誰でも知れる情報でした。Aは警戒心が薄いというか素直な人だったので、私が送り込んだスパイ(?)の質問にも何の疑いもなく答えてくれました。また、このことは私の友人内に広く知られていたので、忘れ物を借りにAが同じ階にやってくると他のクラスの子が教えてくれて、わざわざ遠巻きに見に行ったりもしました。

「A先輩効果」はすごく、Aに「すごいね」って言われたい、その思いだけで二年生になってからは勉強も部活もひたすら頑張りました。県大会に出場するために、夏休みのそれはそれはきつい稽古にもフル参加、しかも無見学で正式な休憩以外一度も面を外しませんでした(経験者ならその辛さがわかるはず)。定期テストでは万年3位だったところに初めて2位を取って、成績表をAに見てもらえた時は感無量でした。

当然進学する高校もAの後を追う気満々だったのですが、男女別学校に入ってしまったので、諦めてとりあえず県内の公立普通科で一番偏差値の高い高校を目指すことにしました。Aのところと対になる(〇〇と〇〇女子みたいな)学校はあったのですが、相手方より僅かに偏差値が低かったので、Aに感心されたい私はそこを選べませんでした。

ここまで影響を受けておきながら、何も本人に対してアクションしなかったのかというと、一応少しはやりました。稽古でお世話になったお礼の手紙を渡したり、図書館での勉強会について行ったり。しかしそんな地味アピールで届くはずがなく、とうとうAの卒業式の日になり、校門から出てくるのを待っていたのですが友達といたためどうにも声をかけづらく、結局そのまま帰ってしまいました。どうしても諦めきれず、卒業後電話をかけて告白を試みたこともありましたが、「Aは誰にでも優しい。そんなつもりじゃなかったのに告白なんかしたら困らせてしまう」と思い携帯を片手に号泣しながら諦めました。

付き合うには至りませんでしたが、Aを追いかけた日々は、自分磨きに精を出したことも含めて中学時代の唯一まともな「青春」だったかもしれません。刹那的ではありましたが、確かに楽しかったです。


いちゃいちゃに関しては、クラスメイトのBとなぜか「擬似恋愛ごっこ」みたいなことになっていました。Bは何というかちょっと不良っぽい感じでした。「真面目な優等生」だった自分とは正反対で、でもこんなタイプの子に素直に甘えられたりすると存外気分の良いもので、受け身ではあったもののいつも一緒にいました。こちらから何もアクションしなくても、Bの方から寄ってきてぐいぐい手を引いてくれたので、求められてる優越感が心地よかったのです。

10年前の話なのでどうしてそんな関係になったのか定かではありませんが、今でも強烈に覚えている「萌えた」エピソードが2つあります。1つは、社会科見学のバス内でBが頭を私の肩に預けて眠ってきたこと。Bが窓際だったのでその気になれば反対側に寄りかかれたのに、わざわざこちら側に寄りかかって来たことに何か熱いものが込み上げて(あ、剣道強くなろう…)と思いました。2つ目は、休み時間にBが私の席に来ていた時のこと。昼休みでもないただの10分休憩の時にも、わざわざ来て机に伏せて目を閉じていました。Bの寝顔を見ながら頭を撫でていたら、無性にぐしゃぐしゃと撫で回したくなってそれを伝えると、あっさりと「いいよ」と。いくら何でもそれはできないと遠慮していると、突然自分でわしゃわしゃと思い切り髪をかき乱して、「はい♡」と頭を差し出しました(このあと滅茶苦茶撫で回した)。

多分普通の人だったら、友人にこの程度されたくらいで心に刻まれてしまうようなことはないでしょう。しかし私は普通より人間関係の荒波に揉まれてこなかったため、恋愛経験の無い青少年のごとく、その小悪魔的な振る舞いにドギマギし、嬉し恥ずかしと身を委ねていました。それでいながらどこかそっけなく、上っ面の笑顔と優しさである種「いい加減」にBに接しているところがありました。この奇妙な態度が、一貫して友人関係における私のスタンスでした。

そんな関係が終わりを告げたのは、Bが私のメモを使っているのを見た時です。「〇〇って怒ることなんかあるの〜?」なんて言われていた矢先、その光景を見て激昂してしまいました。野望とか自己啓発とか禍々しいものをつづったメモを悪気なく見られて、恥ずかしくて、でも恥ずかしがるのも恥ずかしくて、迷った上到達した感情が怒りでした。恐らくBは空いたページを開いていただけで、その前の文は読んでいなかった(というか汚くて読めなかった)はずだと頭の片隅ではわかっていても、メモを床に叩きつけて怒鳴ってしまいました。理科室での出来事だったのですが、教室に帰る時いつもなら後ろから勝手に腕を組んでくるのに、その時は来ませんでした。それ以降のBに関する記憶が途絶えているので、仲直りはしなかったのでしょう。完全に私が悪いのでこちらから謝るべきでしたが、どこかで「向こうから戻ってくるだろう」「こっちから赴いて拒絶されたら怖い」という自信があるのかないのかわからない想いがあり、できませんでした。思えばこの態度も、小学校から高校まで一貫していました。


そうして三年生になりAというモチベーションを失い、Bや他の友人とも仲違いして孤立していた私に受験勉強が頑張れる訳はなく、それらしい努力はほとんどしませんでした(「Aより良い高校に入りたい」のに勉強するモチベがなかったのか?については、「自分ならそれくらい受かるだろう」という慢心がありました)。受験の結果は、先の高校は(自己採点を見るに、恐らくギリギリ)落ちてしまい、滑り止めの私立に通うことになりました。といっても偏差値は1しか変わらず、Aの高校よりは幾分高かったので、特に悔しさもなく満足していました。そんなことより私は、仄暗い過去を払拭すべく、私のことを誰も知らない新天地に行きたかったのです。

〜高校編へと続く〜

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