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【特別公開】一人暮らしの歳時記 5月

【注意】この記事は、自由炊事党機関誌「自炊のひろば」第3号に掲載されるはずだった(が諸々間に合わなくて発行中止になってしまった)記事を、特別に公開するものです。都合により予告なく公開範囲を変更しまたは公開を取りやめる場合がありますので、ご了承ください。

5月

山菜

たけのことふきのとう以外の山菜に手を出すようになったのは、つい最近のことだ。わらびは灰でアク抜きをしないといけないし、たけのこだって下処理が大変だから、山菜全般に調理が面倒なイメージがあって、今まで避けて通っていた。
しかし、遅い春を迎えた東北や信州の直売所に行くと、新鮮で鮮やかな山菜たちが驚くほど手頃なお値段でずらりと並んでいるから、買わないわけにはいかない。
山菜が並んだ棚の前で、スマホ片手に下ごしらえの方法を調べる。茹でるだけなど、普通の野菜と同じように使えるものもある。山菜は意外と調理のハードルが低いのだ。今まで、なんでたけのこしか料理してこなかったのだろう。無知は罪だ。
昨春ようやくデビューした山菜料理は、東北と信州それぞれで買い漁った。ゴールデンウィークに、桜が散ったばかりの青森で手に入れたのが、こしあぶら、しどけ、こごみ。両手いっぱいに抱えてレジに持っていったのに、1,000円ちょっとにおさまってしまった。
しどけとこごみは茹でるだけで美味しいから、マヨネーズをつけてむしゃむしゃ食べた。
山菜の女王と呼ばれるこしあぶらは、木の新芽のような独特な形をしている。まるごと天ぷらにするのが最高に美味くて、一人で一袋まるごと食べてしまう。
家で山菜を料理するために天ぷらの練習をはじめたが、結構難しい。薄力粉に水を少なめに入れ、かなりどろっとした衣を作る。混ぜすぎるとグルテンが出てきてサクサク感が損なわれるから、ダマが残るくらいでいい。温度が低いほうが良いから氷を3つくらい入れて、卵の代わりにマヨネーズをピューッと加える。
小さいフライパンに半分くらい油を熱し、箸から落とした水滴がパチパチ爆ぜるようになったら、揚げはじめる。
葉物は洗って水気を切ったらボウルにあけたおき、事前に薄力粉をまとわせる。一つずつ衣につけて、油に落としていく。
油をケチって小さなフライパンで揚げ焼きにするものだから、一度に2つ3つくらいしか揚げられない。焼肉と同様に、裏面(火に近い側)に火が通って表面の縁まで色が変わってから、ひっくり返す。泳がせるように揚げるなんて、贅沢だし油の処理も大変だから家ではできない。ただ大人しく待つばかりだ。
こういう手間のかかる料理をするのは、決まって深夜である。一袋分のこしあぶらを全部揚げ終える頃には、日付が変わっている。旅先で日本酒を開けて、ようやく晩酌がはじまる。

山菜の天ぷら

サクリと衣に歯が入ると、ほろ苦さと独特なアロマが口に広がる。山菜と油の相性はよく、ジュワッと溶け出す油は爽やかな香りをまとっていて飽きることがない。
すっかりほろ酔い気分でそのまま寝てしまい、朝を迎えて後悔することがある。揚げ物をしている間は気づかないのだが、髪がかなり油臭くなっているのだ。うっすら前日の酒が残った状態で目覚めてシャワーを浴びると、とたんに風呂の中が昨晩の続きのようなにおいに包まれる。
春眠暁を覚えず、寝坊した朝は現実が待ち受けている。

さてもう一つ、信州で買ったのは、根曲がり竹、山うど、ニンニクの芽。根曲がり竹とは姫竹とも呼ばれる細いたけのこで、真竹の生えない北海道ではたけのこと言えば根曲がり竹のことだった。長野でも食べられるのか、と思いながら売り場で眺めていると、土のついたままの根曲がり竹を棚に並べながら「今取ってきたばかりですよ」と言うではないか。それで衝動買いしたのだが、食べてみると期待を裏切らない味だった。
根曲がり竹は小指ほどの太さだが、たけのこと造りは同じなので、外の皮に切れ込みを入れて何枚か剥ぎ取るところまでは一緒。糠を用意したり、一晩茹で汁につけっぱなしにしておいたりする必要はないから、根曲がり竹の方が調理ははるかに簡単だ。
水を張った鍋で皮をむいた根曲がり竹をよく茹でて、鯖缶とともに味噌汁にした。長野県民が愛する、鯖缶とたけのこの味噌汁である。直売所とはいえ、山深いところに育つ根曲がり竹はそこそこのお値段がするから心して味わう。たけのこの皮の裏に隠れた苦味がぐっとまろかになったような上品な味で、シャクシャクした食感も素晴らしい。ほろりと崩れる鯖の身と合わせ、ズズーっと汁を飲む。日本酒とやってもいいのだが、半分は残しておいて猫まんまにするのがたまらない。お行儀なんて気にせず、ズルズルと掻き込む。一人暮らしだからできる「一杯で2度美味しい」秘密のレシピだ。
山うどは穂先を取って皮をむき、酢水にさらす。生でも食べられるなんて、画期的な山菜だ。本体はそのまま酢の物にして頂いたが、先ほど外した穂先と皮に旨さが込められているのだ。
穂先は天ぷらにすると、ザクザクした衣からうど特有の強い苦味がこみ上げてくる。地下で栽培されたうどにはない野性味が心地よくて、一束分のうどの穂先をいっぺんに食べてしまった。
うどの皮は繊維質が強いから、しっかり千切りにしてきんぴらにする。それでも硬いのは下ごしらえがよくなかったからだろうが、みりんと醤油で甘辛く味付けると、ごま油や甘みでうどの野性味が程よくマスクされて心地よい味わいだった。グニグニと噛み続けながら、お猪口を傾ける。
一週間ほぼ毎日山菜づくしで、いよいよ純和風の飯にも飽きてきた。にんにくの芽は少しパンチを利かせて、玉葱少々と厚揚げとで味噌炒めにしたが、それがまた素晴らしかった。中華食材だから牛肉なんかと炒めても良かったのだが、田舎味噌と厚揚げのコクとニンニクの芽のコキュコキュした食感とが合わさると、気持ちの良い酒のつまみになる。当然米と合わせても美味いから、昼ご飯まで山菜尽くしになってしまった。

山菜の味噌炒め

こうして東京にいながら遅い春を楽しみ尽くしたから、もう悔いはない。来春もまた旅に出よう。安くて新鮮で美味しい山菜を買うためだけに出かけても良い。そう思えるほどに楽しませてもらった。

アスパラ

北海道に住んでいたことがあるから、アスパラガスにうるさくなってしまう。本州で売られているアスパラはたいてい、小指よりも細くて皮をむいたら折れてしまいそうだ。たまに入る立派なやつも、高すぎるか少なすぎるか……つまり買う気にならないのだ。
5月に北海道に出かけたら、宿の食事にぶっっといアスパラが出てきた。これこれ、こうでなくちゃ、と思いながらナイフを入れると、ほろりと繊維がほぐれて甘い汁がこぼれた。決して高級な宿ではなかったから食事にはあまり期待していなかったのだが、聞けば自宅で栽培しているのだという。高級食材を買ってくるよりもはるかに贅沢なアスパラであった。
そのアスパラをもっと食べたくなって聞いたところ、近くに販売もやっている農家があるのだという。橋を渡った先というアバウトな案内を頭の中でくりかえしながら、気持ちゆっくりめに真っ直ぐな国道を走る。
赤に白抜きで「アスパラ」と書かれたのぼりを目印に路地に入ると、農機具入れのような売り場の奥で、大量のアスパラが出荷を待っていた。てきぱきと発送作業をする家族に声をかけると、何キロにしますか? と聞かれた。
クール便での発送がメインだから、店頭での販売も1kg単位なのだろう。「とりあえず1kgで」と答えると、すぐさまレジ袋に満載のアスパラが手渡された。1,200円です──これでこの値段とは、と驚きながら、作業の手をこれ以上止めないようにすぐにお金を払って店を出ることにした。
瑞々しいアスパラは親指くらいの太さがあって、柔らかくハリがある。わずかに土のついた根本には露がおり、切り口は真っ白だ。朝どれとはこういうものか、と感嘆する。
その日の飛行機で帰京して、すぐさま調理に取りかかった。下の3分の1くらいだけピーラーで皮をむく。あえて丸のまま、豚の切り落とし肉を斜めに巻いてフライパンに並べる。20cm以上はあるから、並べるのもひと苦労だ。巻き終わりに焼き目をつけないと剥がれてしまうから、少しずつカーブをつけてなんとか並べきり、フライパンを火にかけた。途中でひっくり返して蒸し焼きにし、最後に醤油とみりんをジューッと回しかける。たちまち立ちのぼる甘い匂いは、みりんだけではなくアスパラや豚肉の旨味である。焼き立てを焼き魚用に買った細長い角皿に並べ、ナイフとフォークで切り分けながら食べる。

アスパラ

アスパラは穂先の食感と甘さの奥に少しだけのぞかせるほろ苦さがとりわけ好きだが、瑞々しくて繊維っぽさのない根本にも驚かされた。こんなにも素晴らしいアスパラに出会えたことを感謝せずにはいられない。
残ったアスパラは、ベーコンブロックとともにぶつ切りにして串焼きにしたり、クリームソースパスタにたっぷり入れたりして、一人で食べ尽くしてしまった。北海道の遅い春を彩るアスパラが、我が家の食卓に欠かせなくなりそうだ。


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