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行列のできるリモコン #毎週ショートショートnote

1,645字


 厚い雲の隙間から星が明滅していた。裏路地に入り腹の底に染み入るようなカツの匂いが漂い出すと、肩に食い込むリュックの重さを忘れた。

 ガラガラ鳴る玄関をくぐると、白いねこ型配膳ロボットが出迎えた。物好きな店主がまた何か買ったらしい。
「耳を撫でるとね、色々しゃべってくれるのよ」
 老女将がそう言いながら忙し気にロボットの耳をふた撫でした。
「耳は触らないでほしいにゃー」
 俺の前に佇むロボットがそういった時には、すでに女将はお茶を取りに奥へ消えていた。

 ある日の塾の帰り道、この老夫婦が営む定食屋を見つけてから、今では当たり前のように夕食を済ます場所となっていた。赤い色のはげた看板が掛かっていて一見するともう潰れているように見えるのが、客が少ない要因の一つだろう。店内は客の代わりに、色褪せた犬山城のジグソーパズル、名護屋城の復元模型、ずらりと並ぶ御城印に、動かなくなった犬型の小さなロボットや、埃かぶった缶バッチを作るおもちゃなどが溢れ、すっかりエントロピーが増大するに任せていた。

 暫くすると味噌に浸かって黒くなった味噌カツを例のねこのロボットが運んできた。その後を味噌汁だけ持った女将が付いてきて、机にカツとご飯と味噌汁を置いてくれた。カウンターの向こうで忙し気に鍋の様子を見る店主を見ながらカツを頬張る。小さな店ではほとんど役に立たないロボットを買うくらいなら、ぎしぎし鳴る厨房の床でも張り替えた方がよほど有意義に違いない。ある日思い立ったように八戸やら島原やらに出掛けて臨時休業にすることもしばしばで、仮に父の会社の加盟店だとしたらとっくに契約を解除されているだろう。そう思う俺の脇をねこのロボットが通り過ぎて玄関から外へ出て行こうとしたため、慌てて女将が連れ戻していた。

 いつものように塾が終わり暗い夜道の中歩いていると、定食屋の20m手前辺りに何か白いものが落ちていた。拾ってみるとボタンがひとつ付いた何かのリモコンのようだった。その白い色と手に馴染む曲線から、先日脱走しようとしていた例のねこのロボットが脳裏に浮かんだ。店に着くと女将に「落ちていた」と言って渡した。しかし、女将の手の動きとタイミングが合わず、リモコンは床にうつ伏せになって落ちた。その時、電子的な「ピ」という音が聞こえた気がしたが、ロボットは反応しなかった。女将は「物がありすぎて、何のリモコンだったかしら」と言いながら、奥へ消えて行った。
「やってますか」
直後、珍しく新規の客が一人入って来た。

 次の日定食屋に異変が起きていた。狭い路地には駐車をした車が並び、店先は行列ができていた。店内からは賑わし気な声が聞こえてきたため、早々に諦め、その日はコンビニで夕食を済ました。たまたまテレビで取り上げられたか、有名人が来たかで一時話題になっただけだろうと思い、日を開けて店を訪ねたが相変わらず行列ができていた。その店がどこかで取り上げられたという情報も見つからなかった。異変が起きる前に変わったことといえば、あのねこが来たことか、いや、その後だからリモコンを拾ってからだろうか。しかし、そんなことはあるはずがない。試しに行列に並んでみた。冗談のつもりで、店にあるはずのリモコンをもう一度押してみようと思った。しかし、混雑する店内で疲れ切った老夫婦を見ると声など掛けられなかった。

 その店は、張り紙ひとつ出して唐突に閉店した。噂によると店主が過労で倒れたそうだ。どうやら無断駐車や騒音が増え、繁盛しだした定食屋への妬みもあって、近所からの苦情も多かったらしい。カツの匂いが漂わないただの路地裏を歩いている時にふと虚しさに襲われた。いや、それだけではない多くの感情が一気に押し寄せていた。そしてその中の一つに、この定食屋を立て直せないだろうか、という気持ちを抱いていることに気が付き自分でも驚いた。だとしたら、このまま父の轍を踏み続けるのが最善なのだろうか。分からない。分からないが、いつの間にか俺は父の会社に向かって駆け出していた。

<了>


たらはかに(田原にか)様の下記の企画へ参加しています。

410字くらいというルールなのですが、大幅に超過してしまいました。

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