【小説】母胎樹 プロローグ

「えっと、どういうこと?」

「や、だからさ、俺の友達と寝てほしいんだけど」
 
 どういうこと?って聞き返したのは、別に聴こえなかったから聞き返したんじゃなくって、そんなふざけたこともういっぺん抜かしやがったらぶっ殺すぞ、という意味で聞き返したのに、そんな私の複雑な理論でできた繊細な問いかけに、彼は無遠慮に、ただ同じ言葉を繰り返す。
 
 ほんっと馬鹿だなぁって思う。付き合いたての頃はそんな馬鹿さも可愛らしくて愛おしいと思えたけれど、今では彼の愚かさには憤るかそれを通り越して呆れるか。だいたい20歳過ぎた男に可愛いもクソもあるか。馬鹿なのはかつての私だってそうだった。「んもぉ〜、バカだな〜❤️」なんてほざいてこの男の知性の感じられない愚行の数々をかわいいの一言で許してしまっていた私が馬鹿だった。

「で、どうなの?してくれる?」
 
 憤りのあまり黙りこくっていた私の顔を覗きこみながら彼は言う。

 しつこい。
 そこに違和感を覚える。

 この男は馬鹿だけれど、でも私が明らかに嫌がっているのにしつこく何度も同じお願いをしてきたりすることはない。それくらいの分別はあったはずだ。なにか、単純にスワッピングをしたいわけじゃなくて、いやわからないけど、なにか深い別の事情があるのかもしれない。いくら馬鹿でスケベだからといって、話の詳細を聞かずに切り捨てるのは良くなかったかもしれない。

「で、なんで? 理由を一つも聞いてないんですけど」

 途端に、彼は神妙な面持ちになる。黙る。熟考する。

 嫌な空気が流れる。どんよりと濁っていて、息苦しい空気が。やっぱり別の事情なんてものはなかったのか。それか、その事情は重い話で、語り始めるのに躊躇する類いのものなのか。だったら一発目にブチ込んできたあれだってもっと躊躇して話すべきだし、やっぱりこの男はどうしようもなく馬鹿なんだなぁ、と呆れる。

「ダチがさあ、ガンなんだよ。もってあと二年って......」

「この話と関係あんの?」

「あるんだよ、ダチの最後の頼みなんだよ」

「私とのセックスが? あんたは何も思わないわけ?」

「そいつ童貞でさ、童貞のまま死ぬのが嫌なんだって......」

「だったら私じゃなくていいじゃん。その辺の風俗とかで済ませればいいでしょ」

「それだと素人童貞じゃねぇか。本物の童貞卒業を見送りたいんだよ、ダチとしてはさあ」

「だ、か、ら、なんで私なのよ。あんただって自分の彼女が寝取られんのよ? だいたい、そういう男同士のノリ、マジでキモいから私を巻き込まないでくれる? 童貞がどうとかマジどうでもいいわ。」

「はぁ?何いきなりキレてんだよ。意味分かん…...」

 ばちん、ときれいに鳴らせたらよかったのに、実際は「ごおっ」って感じの鈍い音のビンタが鳴った。

「あんたほんとキモい。一生連絡してくんな」

 感情に任せて怒鳴る。すると瞼の辺りが暖かくなっていくのがわかる。駄目。ここで泣いちゃったら、またこいつは全部謝るし、優しく抱きしめて慰めてくれる。

 こういうところも本当に嫌い。

 感情に任せて出た言葉が実を結んで、本当の気持ちになる。私は彼が嫌い。超嫌い。

「ごめん、帰るね」

「送っていくよ」

「ありがとう、いいよ」

 彼の家のドアノブに手を当てる。そして出会ってからの二年三ヶ月のたのしかったこと悲しかったことムカついたこと殺してやろうと思ったこと、複雑で大きな感情を右手に込めて、ノブを力強く握る。

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